ロープウェイを降りたら2000m越えたぞ。
別世界へひとっ飛びだよ。
ギュッギュッて歩くたびに雪の音がするの。
あれが俺、昔からたまらなく好きなんだよね。
なんかもう仕事が忙しくてさ。最近どこにも行けてなくて、明日香、寂しくしてたと思うんだ。連絡してもそっけない返信だったし。でもこのあいだやっと休みがとれて、遠出しようって誘ったんだよ。
前からずっと「遠出したい」って言ってたから、八ヶ岳に行く計画を立て始めたんだよ。そしたら山の道具なんて持っていないよ、て慌てちゃってさ。でも、妹の靴とかウエアがあるよ、って言ったら、乗り気になってくれて、やった! って思ったね。ちょっと計画してたことがあったからさ。
12月の北横岳って、わりと雪が積もってるんだよ。ロープウェイを降りたら2000m越えだぞ。別世界へひとっ飛びだよ。ギュッギュッて歩くたびに雪の音がするの。あれが俺、昔からたまらなく好きなんだよね。学生のころとか、毎年のように行ってたから、久びさで余計にうれしくて、よーし歩くぞって感じで。
明日香は目を丸くしてたよ。こんなところ歩けない、どうしよう、とか言っちゃってさ。普段すごく高いヒール履いてOLやってるんだから、そっちのほうが大変に見えるけどな。もちろんアイゼンは俺がつけてあげたよ。王子様みたいにヒザを着いて。大丈夫だよ、とか励ましてさ。
針葉樹に雪が積もるなか、明日香とゆっくり歩きながら、連れてきてよかったなと思ったよ。明日香はずっと笑顔で、「絵本みたい。きれい」って喜んでいたし、ニット帽がまた似合っていて、かわいかったな。
途中休憩して、雪道のなかで俺、カップ麺を作ったんだ。そうそう。俺たちがよくやってたあれだよ。持ってきたガスバーナーを出して、雪をその中に入れてお湯を沸かしてさ。そしたら明日香のやつ、汚い、て言うんだよ。空から降ってきた雪を溶かしてるだけだから大丈夫だ、水を持ってくると重いけどこれなら一石二鳥なんだぞ、って教えたんだけどさ。信じられない、無理!とか大きな声で言い始めて。まったく、信じられないのはこっちだよ。結局ひと口しか食わなかったから、俺がカップ麺ふたつ食べたよ。いやもちろん、明日香が腹空かせてるままだとかわいそうだから、干しイモ炙ってやったよ。炙ると甘くなるじゃん?
柔らかくて香ばしくなるしさ。でも、なんか反応はイマイチだったな。
で、また歩き始めたんだけどさ、急に、もう下りたい、とか言い出してさ。まいったよ。「山では途中でやめるとかできないんだ」って、俺、ちょっと強めに言って。昔、俺も高校の先輩にそうやって喝入れられて頑張れたからさ。そのくらいのほうがふん張れるかなって思って。そしたら明日香、頭痛い、寒いとか始まってさ。いま思うと、明日香、寝不足だったんだろうな。俺に合わせて有給休暇をとるために、前日、残業で帰りが遅かったみたいなんだよ。でもそのときは、何言ってんだよって思ってしまって、俺、「水いっぱい飲みな。あとは、歩くペースを上げたら体があったまるよ」て言ったの。だってそうじゃん。それしかないよな。
そのあとはペースアップして歩いたよ。明日香も俺に必死についてきたから、雪のなかでも汗だくになって、どんどん化粧が崩れるの。最初のうちは何回も立ち止まって、目のまわりが黒くにじんでいるのとか直してたけど、最後はもう開き直って、タオルでゴシゴシ顔を拭きながら歩いてたよ。最後はほとんど無言。山と向き合う時間だったんだろうな。そのゾーンに入ると、気持ちいいのよ。で、山頂だよ。明日香、何も言えなくなってたよ。やっぱ感動したんだろうね。2480mだもん。まわりの山が白く雪が積もってるのも全部見渡せる、一番高いところだもん。いやー気持ちよかったよ。
で。ここからが、俺の本番だよ。
しばらく黙って景色を見ていた明日香と、1mくらい距離を空けて、バックパックから指輪を取り出して。ひざまずいて言ったよ。
「今井明日香さん。俺と、結婚してください!」
ずっと、やりたかったんだよね。俺の声を聞いて頂上にいたおばさんたち、たちまち、こっち見て「あらぁ」とか言っちゃって。拍手までしてくれて。全部で五、六人いたかな。
そしたらさ、明日香、なんて言ったと思う?
「別れよ、シンくん」だってよ。
俺、頭真っ白。なに言われてるのか意味わからなかったよ。
「こういう目立つこと、苦手って昔から言ってるじゃん。教えてくれるのはうれしいけど、シンくんは、だれのためにこれ、やってるの?自分のためでしょ。そもそも、こういうアウトドアだってそうだよ。あたし、行きたいなんて言ってないじゃない」
って。なんなんだよ。俺は、明日香と北横岳に来るの、めっちゃ楽しみにしてたのに。明日香だって、歩きながら「きれい」なんて言って、写真バシャバシャ撮ってたんだよ。
計画は大失敗、だよ。カッコ悪いったらないよ。俺も、なんか居たたまれなくなって、下りようか、って言ったよ。
どっかのおじさんがさ、多分、俺たちのこと見てたんだろうな、「ふたりとも、下で温泉にでも浸って帰ったらいいよ」て。そうだ、いいこと言うじゃんって思ったよ。温泉に行けば明日香も、体調も機嫌も直るかなって。
なのにロープウェイで下まで降りたらさ、明日香、「じゃ、ね」ってさ。スタスタとバス停に向かって行ったよ。
俺? もちろん、温泉、行ったよ、ひとりで。うん。
雪見ながらの露天風呂って、やっぱいいな。
明日香? どうしてんのかな。その日から、もう連絡も返ってこないんだよね。なんなのかな。さっぱりわかんないよ。ま、いいよ。俺は来週、また山行くわ。
お前も、行く?
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PROFILE
ランドネ 編集部
自然と旅をキーワードに、自分らしいアウトドアの楽しみ方をお届けするメディア。登山やキャンプなど外遊びのノウハウやアイテムを紹介し、それらがもたらす魅力を提案する。
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