古賀志に導かれた天性のクライマー 堀 孝明【El PROTAGONISTA】
管洋介
- 2021年07月24日
INDEX
運命となった2009年ジャパンカップ
2009年10月25日、曇り空の下、ジャパンカップはスタートした。レースはヨーロッパプロを置き去りにして、果敢にプロトンから抜け出した5人の日本人選手がリードする展開。とくに地元宇都宮ブリッツェンの廣瀬佳正は強烈にこのレースを牽引し続けていた。
この日、堀は古賀志の山頂で宇都宮ブリッツェンのフライヤーを観客に配る手伝いをしていた。「こんな場所にずいぶん人が集まるんだなぁ……」とレースを横目にしていると、静かだった山の中腹から湧き上がる歓声に、思わず振り返った。
薄暗い坂の頂上に突然伴走車のライトが光り、単独で駆け上がって来る廣瀬が現れた。6周めの山岳賞を目前に拳を突き上げて駆け抜けていく姿を目の当たりにした堀の体に稲妻が走った。「ロードレースを見たこともない自分が、これだ!と直感しました。レースが終わると、いてもたってもいられずに、田村君から廣瀬さんを紹介してもらいました」
貯めていたバイト代でアルミのロードバイクを購入。この日以来、堀は進学を目指す友人たちをよそに、わき目もふらずペダルに打ち込んだ。「廣瀬さんと出会えたことで、まだレースも知らないのにブリッツェンの練習に混ぜてもらい、スピードにもまれました。このとき、ブラウ・ブリッツェンという下部組織構想があると聞き、自転車に人生を賭けてみたいと……」
競技歴1年で上り詰めたJプロツアー
2011年、ブラウ・ブリッツェン一期生のメンバーとして、堀は初めてのレースシーズンを迎えた。東日本大震災の影響でレースの延期が続くなか、出場した5月1日の八方ヶ原ヒルクライムで堀は周囲を驚かせた。なんと小坂光、初山翔ら当時の宇都宮ブリッツェンの選手たちを30秒以上引き離し優勝を飾ったのだ。
そして翌月の西日本ロードクラシック・E3のデビュー戦で優勝、特進で上がった栂池ヒルクライム・E2では2位を57秒引き離し優勝。3戦めの富士ヒルクライム・E1では3位に。
その破竹の勢いはとどまることを知らず、経済大臣旗杯・E1を制し、シリーズ最終戦輪島大会ではついに宇都宮ブリッツェンの研修選手としてJプロツアー出場を果たした。「がんばれば世界は変わっていく。高校時代に自転車で、遠くの海を目指したときのあの感覚と同じでした」
Jプロツアーデビュー戦を完走した堀は2012年、宇都宮ブリッツェンに正式入団を果たした。
飛び抜けた活躍の陰にケガと戦った選手人生
堀の腕には大きな手術痕が残る。10年のキャリアのなかで、落車による腕、手首の5度の骨折を経験した。軽量な身体が生み出す強烈な登坂力を武器に戦ったプロ人生だが、ケガには幾度も悩まされた。
2012年はプロデビュー初戦から不運が続いた。下総クリテリウム予選では落車に巻き込まれ、両手首を折る重傷。復帰後の9月の広島大会で落車し、左手首骨折。本来であればプロとしての仕事を学ぶ1年のほとんどを戦線離脱したまま過ごした。
堀の真価が発揮されたのは2013年4月の伊吹山ヒルクライム。元UCIプロツアー選手のホセ・ビセンテ(現マトリックス)がコースレコードを更新する圧巻の勝利に注目が集まるなか、ホセから遅れること3分7秒の5位でゴールし、堀はU 23カテゴリーのリーダーとなった。
そして7月の石川大会で1周めから阿部嵩之(現宇都宮ブリッツェン)と飛び出し、一度プロトンに吸収されるも再び4人で抜け出して準優勝。堀はゴール直前まで100km以上リードを続け、ロードレースでも戦えることを証明した。そして、そのとき目前で逃した勝利は堀の心に火をつけた。
堀が輝いたのは2016年。4月のチャレンジロードではかつてワールドツアーで活躍したオスカル・プジョルを上りのスプリントで下しプロ初勝利。その後もレース上位に名を連ねる堀に、フランスで活動するチームブリヂストンから声がかかった。
その年の10月、ジャパンカップでは1周めから飛び出し山岳賞を獲得。7年前に自転車競技を決意したその場所をトップで駆け抜け、夢を現実にした。そして宇都宮ブリッツェンでの最後のレースで、チームへの感謝、ファンへの恩返しを走りで表した。
念願のヨーロッパそして再び古巣へ
2017年、フランスを拠点に念願のヨーロッパレース参戦。躍起立つ堀だったが、初戦のレースから洗礼を浴びる。「体重がないのが裏目に出ました。ギヤが足りず下りのたびにもがき苦しみ、その勢いで入る上りで砕け散ってしまう……」
完走が精一杯という状況に、それでも手応えをつかもうと、がんばった矢先に落車し手首を骨折。復帰した青森での全日本選手権でも落車し骨折。たび重なるダメージに腕は湾曲し大手術を経験。「結局この年は復帰できませんでした。それと同時に雨の路面を見ては、またケガをするんじゃないかという恐怖が芽生え、イップスとも言える動作障害が起きるようになっていました」
もう世界を見ることもできた。夢はかなったじゃないか。そう自分に言い聞かせ、最初に宇都宮ブリッツェンに受け入れてくれた栗村修元監督に引退の相談をした。すると「そんな終わり方でいいのかオマエは!」と叱咤され、廣瀬佳正GMに「来季ウチでイチからがんばってみないか」と励まされた。自転車を始めるきっかけだった廣瀬に声をかけられたことで堀は顔を上げた。
2019年シーズン、堀は再び宇都宮ブリッツェンのトレインを引き始めた。「あの日、ロードレースに魅せられたから今僕はここにいる。この脚でもう一度みんなを感動させたい!」
ケガに泣かされた若き逸材は、今再び上りで解き放たれるときをねらう。
REPORTER
管洋介
海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍
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