世界の自転車レース界に波及! ロシアのウクライナ侵攻による経済的な影響とは?
山崎健一
- 2022年04月21日
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2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻。4月21日現在、少なくとも4.6万人の死者を出し、世界経済にもただならぬ損害を与えつづけるも、未だに終結の気配が見えない。世界の自転車競技を司るUCIも、本侵攻の加害国に対する制裁を実行し、間もなく2カ月が経過する。本侵攻によって起こった世界情勢の変化やUCIによるアクションは、実際にどのような影響を世界自転車ロード競技界に及ぼすのか?
ここでは国際事情に明るいUCI公認代理人の山崎健一さんが現状をレポートする。
世界自転車ロードレース界への実質的は被害とは?
世界中を心底驚かせたロシアによる前時代的なウクライナ侵攻。
各種情報を見聞きするたびに、憤りとやるせなさが止めどもなく溢れてきますが、とにもかくにも一日も早く平和が訪れることを切に願っております。
経済&情報の国境がほぼなくなった昨今では、国家の情報操作が効かないSNS等によって加害者の蛮行が白日の下にさらされ、ある意味今後の同様の侵略行為に対する抑止力となりうる点がせめてもの救いなのでしょうか。
さて、本コラムでは本ウクライナ侵攻が自転車競技界に対してどのような影響を与えるのか?を少々考えてみたいと思います。
2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻に反対する西側諸国や日本は、ロシアとそれに協力的なベラルーシに対して、輸出入&銀行取引制限などの経済制裁を断行。そして2月28日には国際オリンピック委員会(IOC)もロシア&ベラルーシの国際大会出場を禁止するよう、各スポーツ競技の世界連合(IF)に勧告。その結果、サッカーのFIFAを始め、自転車のUCIもロシア&ベラルーシを国際大会から排除する措置を即発表しました。
UCIが発表したロシア&ベラルーシに対する制裁の要点は下記のとおりです。
- ロシア&ベラルーシのナショナルチーム、同国籍チームをUCIレースから排除
- 両国内でのUCIレース開催不可(国内選手権含む)
- ロシアまたはベラルーシ国籍の国際審判等をUCIレースに採用しない
- UCIレースでの両国国旗、ナショナルチャンピオンジャージ等の露出不可
なお、ロシアまたはベラルーシ国籍の選手個々がUCIレースに出場することは認められているため、欧州などのプロチームに所属するこれら両国選手は、これまでどおりUCIレースに出場可能です。しかしながら、表彰台に於ける国旗の掲揚などは禁止となっており、例えば、UCIレースである「フレーシュ・ワロンヌ」(4月20日)の主催者ASOのリザルトでは、ドイツ国籍のUCIワールドチーム「ボーラ-ハンスグローエ」に所属のロシア国籍選手、アレクサンドル・ウラソフ選手の国旗アイコンが非表示にされています。
ロシア国籍プロチームはどうなったか?
UCIによる本制裁により直接的なダメージを受けたのは6つのロシア国籍UCIチーム(UCIプロx1、UCIコンチネンタルx3、UCIトラックx1、UCIウィメンズx1)。そのうち、前出のウラソフ選手がかつて所属し、ツール・ド・フランスでステージ優勝を飾ったイルヌール・ザカリンが所属するロシア国籍UCIプロチーム「ガスプロム-ラスヴェロ」に於いては、UCIによる制裁がチームを直ちに窮地に陥れました。
まずタイトルスポンサーであり、年間約5億5千万円をチームに投入する「ガスプロム」社は、ロシア政府が同社株の過半数を所有する天然ガスの世界最大企業。EU諸国による全天然ガス購入分のじつに約40%はこのガスプロム社からのものですが、ウクライナ侵攻に反対するEU諸国は、ガスプロム社からの天然ガス購入を自粛し、ロシア以外の国からの調達を模索開始。ちなみにガスプロム社傘下のガスプロム銀行は、ロシア国内の兵器・機械産業に対して多額の融資をしているため、この点でもガスプロム社への売上貢献を避ける動きが全世界的に広がっています。
ロシア側もEUに対して「ガスは売らないぞ!」との脅しをかけるなど、まぁつまるところガスプロム社の中・短期的な経営状態悪化はほぼ確実です。
そんなガスプロム社をタイトルスポンサーに持つロシア国籍の「ガスプロム-ラスヴェロ」は、UCIの制裁措置によりチームの“職場”であるUCIレースへの出場が不可に。そして、チームに対して機材を供給するフランスのLOOK社(フレーム)やコリマ社(ホイール)も、本侵攻に対する反対する立場から、チームとの契約を即解除。基本的に月ごとに分割でチームに支払われるガスプロム社からのスポンサーフィーも、今後は恐らく支払われることはないでしょう。
「ガスプロム-ラスヴェロ」チームは、実質的に欧州(スイス&イタリア)を拠点とし、21人の選手中、約半数が非ロシア人であったため、チームはUCIに恩赦を要求。しかしUCIによる制裁決定はやはり覆らず、追い詰められたチームは3月27日に活動停止及び、ガスプロム社に代わる新スポンサー獲得を目指すことを発表。21名の所属選手たちはすでに移籍市場に流れ出ていますが、コロナ禍により経済状況が芳しいチームはない上に、ロシア国籍選手を獲得するレピュテーション(風評)・リスクもあり、4月21日現在、非ロシア&ベラルーシの2名が移籍先を確保したのみ。チームの看板選手であり、本来は2022年末の引退を予定していたロシア人のイルヌール・ザカリンも、実質的に即引退を余儀なくされました。
当然ながら、チームに関わる非ロシア国籍スタッフを含む15人程度の職も奪われた形です。
ロシア人実業家、オレグ・ティンコフ氏の場合
2007年~2016年までプロロードレースチームへのスポンサリングをし、口座所有者ベースでは世界最大のオンライン銀行である「ティンコフ・クレジット・システム」。その創業者であり、現在も同社経営に多大な影響力をもつロシア人実業家、オレグ・ティンコフ氏も今回のウクライナ侵攻により強烈な損失を被っています。
自転車競技を強烈に愛するティンコフ氏の企業は、2012年に日本の宮澤崇史選手が所属したことでも有名なUCIワールドチーム「サクソバンク-ティンコフバンク」のメインスポンサーを務め、2016年まで毎年約8億円をチームに投入。同氏の夢はツール・ド・フランス制覇でしたが、当時破竹の勢いだった「チーム・スカイ」&クリス・フルーム選手らに阻まれて悲願達成ならず、2016年をもってスポンサリングを停止。とはいえティンコフ氏は、当時の絶対的勢力である英「チーム・スカイ」の時代が過ぎ去った後のロードレース界“復帰”を公言していました。
しかし、2020年にティンコフ氏に対してかけられた脱税容疑や、本人へのがん診断(2022年現在は完治との報道あり)の影響で、2020年春に同社株価は暴落。その後は同氏に対する取締役会からのプレッシャーが強まり、ティンコフ氏は自身が持つ自社株の多くを2021年初頭に売却。かつて84%あった同社取締役会におけるティンコフ氏の投票権は35%にまで下落し、発言力が低下。結果として、ロードレース界への復帰に暗雲が垂れ込めていた昨今でしたが、なおも世界的な大富豪であり、ロードレース界への10億円弱の投資などおそらく屁とも思わない財力と影響力を持ち合わせていたはずです。
そこに起こったのがウクライナ侵攻による西側諸国による経済制裁。その影響で、2021年11月には約100米ドル価格を付けていた同社英国ロンドン株式市場の株価は、3月下旬時点で約3米ドル。モスクワ株式市場での株価も下落した結果として、オレグ・ティンコフ氏の現資産価値はウクライナ侵攻前の10分の1にまで暴落しました。
ちなみにティンコフ氏自身は、今回のウクライナ侵攻に対して「NO」の立場を公言していますが、いずれにせよ彼の財力、影響力の低下は否めません。
筆者個人的には、ティンコフ氏による自転車界に復帰を楽しみにしていましたが、彼自身の財力低下、そしてそもそもロシア国籍企業の資本を受け入れる欧米諸国チームが現れるとは思えず、ある意味ゲームオーバー感が漂ってしまった形です。
ちなみにUCIワールドチーム、またはUCIプロチームが産む雇用は約30~50人。ただでさえ正規雇用場所が少ない世界自転車ロードレース界において、金銭の流入が減ることは、同業界で働く人々にとってマイナスでしかありません。
今後ボディブローのように効いてくるウクライナ侵攻の悪影響
さてティンコフ氏の例は、西側による経済制裁がロシア企業に直撃した典型例かもしれません。一方、恐らく最も自転車ロード界が懸念すべきは、ロシア(人口約1.44億人)でビジネスをすることによるブランドイメージ低下(レピュテーション・リスク)を避けるために、本音はロシアでビジネスを継続して儲けたいが撤退せざるを得なくなった企業等の業績悪化による影響ではないでしょうか。
ドイツの経済・気候保護大臣であるロベルト・ハーベック氏による試算によると、ロシアからの天然ガスや石油購入が不可になる諸影響や、各民間企業による“ロシア市場撤退”が続けば、ドイツの国内総生産(GDP)が近年中に約5%減少する見通し。すでにコロナ禍により全世界の経済規模が約5%減少しているといわれるため(詳細はこちら)、EU諸国においてはざっくりと10%程度の経済減退が現実的に。ちなみに2008年に世界中を混乱に陥れた米国発のリーマン・ショックによるドイツのGDP減少率は、前年比約9%減だったため、この数字の強烈さが際立っています。
自転車ロードレース界は、チケット収入が望めるサッカーなどのスタジアムスポーツと異なり、企業のマーケティング(宣伝)費用に依存してチーム&大会が運営されているため、経済減退による世界自転車ロード界へのダメージが甚大になるのは必至です。
具体的には、選手の給与減、スタッフの非正規雇用が(さらに)増加します。
UCIには罰則や制裁を実行のみではなく、世界自転車競技界の経済構造改革が求められています。
筆者個人、底知れぬ怒りを感じつつも、その感情を抑えるべく、なんか色々と小難しいことを書いてしまいましたが……「全くもって何も生み出さない武力行使は即刻止めて下さい」の言葉で締めさせて頂きます。
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