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ロード女子マスターズチャンピオン渡邊瑛里が考える女性選手の生き方【自転車との出会い~前編】

10月23日に女子エリート、アンダー23だけの全日本自転車競技選手権大会が開催されることになる。いっぽう1992年以前生まれ(30才以上)の女子が対象となる「女子マスターズ」の全日本自転車競技選手権大会ロードレースは予定どおり6月25日に開催され、渡邊瑛里さんがチャンピオンに輝いた。渡邊さんがその栄光をつかむまでには紆余曲折があった。ただ、その回り道をむしろ次へ進む助走として活動している渡邊さん、その自転車との出会い、さらに生活とトレーニングといった日本の女子選手が抱える共通の課題を須藤みつみさんが2回に分けてレポートする。

仕事や結婚、出産を経験しながら、好きな自転車を続けていきたい!

今回、自宅にお邪魔してじっくり話を伺った。左より渡邊瑛里選手、夫の友一氏、そして愛息の友瑛君。ちょうど2才の誕生日をお祝いした直後でした!

8月上旬、神奈川県は某所にある渡邊瑛里さんの自宅を訪問した。集団住宅のこじんまりとした部屋にある子どもの玩具や絵本が目に飛び込む。しかし、その隣の部屋には大きな黒いエアロバイクが鎮座している。台所でお茶を入れながら「子どもは動くものに興味持っちゃうんで。特に自転車の車輪とか危ないですからね。それで室内トレーニング用にローラー台を入れ替えてエアロバイクを導入したんですよ」と笑顔で語るのは、きゃしゃで優しいお母さん。

そんな彼女、渡邊瑛里さんは自転車のレースに打ち込み、先日の女子マスターズ日本一を決める「第90回全日本自転車競技選手権大会ロード・レース」で新チャンピオンになったとは、多くの人は思わないだろう。

ほかの女子選手、特に日本で自転車競技活動をおこなう多くの女子選手たちが通る道となる学業、仕事、結婚、そして出産と育児を彼女は経験しながら、目標を諦めずに結果に結びつけた。もちろん本人の資質もあるだろう。しかし、それだけでない部分もあると思った私は、この大きなタイトルを獲得したばかりの彼女に話を聞くことで、今後の日本女子選手たちの「1つの指針」になれば、と考え今回のインタビューに臨んだ。

高校時代は陸上部、ママチャリも乗りこなせないけど、大学では自転車部に入りたかった

須藤:今日は忙しいところ、ご主人にもお時間をいただきありがとうございます! 出身から聞かせてください。出身はどちらですか?

渡邊瑛里(以下・瑛里):島根県の浜田市というところです。高校は甲子園出場でも有名な島根県立浜田高等学校でした。高校までは島根で、その後に京都の立命館大学に入学するために引っ越ししました。

須藤:走りを前から見ていて、すごくスポーツの素養がある感じがしていたんですよね。学生時代とかのスポーツの経験は?

瑛里:中学と高校は陸上部でしたね。800mと1500m、3000mを6年間やってました。あと中学時代には水泳も。

須藤:陸上中距離と水泳の流れだと、当然トライアスロンに挑戦したくなりますよね。

瑛里:でも自転車だけに専念したくて、大学では自転車部に入りたかったんです。その頃、自転車はママチャリもまともに乗りこなせないぐらいだったのに無謀ですよね(笑)。それが当時の立命館(大学)の自転車部に女子部員がいないという理由で入部を断られてしまって……。途方に暮れていたところで偶然お声をかけていただき、結局トライアスロン部に入部することになりました。

須藤:でも入部したからには練習、頑張ったでしょう?

瑛里:そうですね。1回生と2回生はトライアスロン部に集中しましたね。それで近畿ブロック大会で優勝して、インカレに出場できて7位になりました。けれど、3回生からは教員免許の取得のために切り替えて勉強に集中しました。トライアスロンはお休みしてしまいましたが、おかげで免許を取れて4年で卒業できました。

須藤:いろいろとできることに手を出すよりは、1つに集中してガッツリ向き合って成果を出すタイプなんですね。それで念願の学校教員の仕事を始めることになるわけですね。

瑛里:はい。その勤め先の学校が神奈川なので、大学卒業と同時に神奈川県の茅ヶ崎市に引っ越ししました。

須藤:島根出身で京都に移り、そして神奈川県に住むわけですね。社会人生活がスタートするし、住環境も大きく変わるから大変だったのでは?

瑛里:そうですね。初めて関東地方に住むことになるし、学生時代とは生活が変わるので仕事との両立なども考えて、またトライアスロンから自転車のみにシフトすることにして、まずはご近所サイクリングから再開してみました。

須藤:やはり学生生活を終えて社会人になってからもスポーツ……というか自転車は続けたいと思ったわけなのですね。

瑛里:中学生から部活でスポーツを続けてましたし、大学の頃から自転車をもっと上手く速くなりたい!という思いがありました。それで、できれば社会人になっても続けたいなあ、と。

須藤:なるほど。だから最初はサイクリングから再開しつつも、またレース出場することになるのですね。

教員として就職しても競技を継続「ロードレースが苦手で、ヒルクライムばっかり出ていました」

瑛里:その後、千葉県市川市にある「TA-BO(ターボ)」という自転車店が運営するクラブチームに所属しながら、社会人1年目の秋に伊豆CSCのロードレースに参加しました(2011年・東京都クラブ対抗ロードレース大会)。これが初めての自転車レース参戦になりました。

須藤:初めてのレース! 成績とか覚えていますか?

瑛里:すいません! じつは当時はレースに出場するだけで頭がいっぱいで覚えていないんです(笑)。自転車レース自体は面白いとは思いました。でも当時はロードレースのようにアップダウンがあったり、コーナリングのテクニックが必要だったりするのが苦手だったので、だたひたすら上るだけのヒルクライムに出ることにしました。元々体力には自信があったので「自分はきっと、ヒルクライマーなんだ!」と思い込んでいたところはあったと思います。

須藤:そうなると、この後はロードレースよりヒルクライムレースに出場するようになったわけですね。

瑛里:25歳の夏に車坂でヒルクライムの大会があったので出場しました(2012年・こもろはす第9回サイクリング・フェスティバルあさま車坂峠ヒルクライム大会)。練習も準備もしてヒルクライマーとして自信を持って出場したのですが、上りのレースなのにアブに刺されちゃうし(笑)。

須藤:えー! そんなに遅かったということ?

瑛里:そうかもです! あと私がおいしそうだったのかも(笑)。本当にアブにいっぱい刺されちゃって、レースも思ったより走れなくて悔しかったです。それでも走ること自体が楽しいし、ヒルクライムみたいに上ることで走りに集中できるのが自分には合っているんだなあ、と実感することができました。

須藤:このレースでは結果は?

瑛里:確か(調べる)……3位だったみたいです。

須藤:走れなかった、という割にはしっかりと成績は残していますね。それだと手ごたえはあったのでは?

瑛里:練習のときよりは走れなかったと思います。

須藤:うーん、自分に厳しい。もっと速くなりたいという思いはますます強くなったという感じですね。

社会人として実業団チームへ所属する迷い、両立の難しさ

須藤:そうなるとヒルクライムだけでなく、いよいよロードレースにも挑戦したくなってくると。ここで思い出したんですけど、先ほど言っていた伊豆CSCのレース(東京都クラブ対抗ロードレース)は、この後も出ていますよね。

瑛里:そうですね。2013年で優勝したと思います。

須藤:そのレース、私、10年ぶりに現役復帰で出場していて2位だったんです(笑)。確か私が運営するチーム(Ready Go JAPAN女子自転車チーム)の選手たちと一緒に出場したけど、優勝した選手がぶっちぎりで速い!と。しっかりと走れている印象もあったので、思わず表彰式のときに声をかけてRGJチームのトライアウト(チーム加入テスト)を受けるように話をした覚えがある!

瑛里:はい……そうでした! その際はすいませんでした。

須藤:いえいえ。

瑛里:お話をいただいたときは、そんな女子チームがあるなら入りたいなあ、と思いました。けれど社会人をやりながらスポンサーが付いている実業団登録チームに所属するのはどうだろう、とか。何よりも初めてこのような話をもらってどうしようかと考えてしまって。結局お断りしてしまったんです。申し訳ありませんでした!

須藤:まあ、急に「チーム入らない?」とかレース会場で、そんな話をしても困りますよね。でも、まわりから走りを高く評価されるということはわかるようになったと思うけれど。どうでした?

瑛里:クラブチーム以外から声をかけてもらうことがある、というのが分かってきました。それで2014年に所属していたクラブチーム経由で、またお声をかけていただいて。

須藤:それが、もしかするとニールプライドのチームになりますか?

瑛里:はい。Neilpryde Men’s Club Pro Cycling(当時のチーム名。以下・ニールプライド)です。27歳のときになります。このときに生まれて初めてクラブチームでなく、スポンサーが付いた実業団チームに所属することになりました。

須藤:確かフランスと日本の合同チームとしてスタートした国際チームという構造でしたね。チーム結成の記者会見をフランス大使館で開催したり、華やかなチームで。あと女子だけのチームでなく、男子と女子の2本立てチームでしたよね。加入したときはほかにどんな女子選手が所属していましたか?

瑛里:同時期に加入したのが、真央さん(智野真央)でした。その記者会見には取材者がたくさん来ていたし、注目されているのだなぁ、と感じました。同時にチームのオーダーにはキチンと応えなければいけない!とも思いました。

須藤:ニールプライドに加入したとき、お仕事とかはどうしていたのですか?

瑛里:加入のときに社会人として教員を続けながらチームに所属するのは同意していました。ただ、仕事とチーム活動の両立は本当に難しくて、チームからのオーダーに応え続けるのが大変になってきました。あと男女一緒のチームでしたが、どうしても男子選手のオーダーが中心になりがちだったかな、と。まあ、監督もスタッフも男子ばかりで、女性スタッフは1人しかいなかったですし。

瑛里:わざとではないと思います。けれど、何となく所属人数の多い男子選手の動きがメインになりがちになってしまうこともありました。それでも、私や真央さんは気にしないで一緒にチームと動いていました。それ以上に問題だったのが、オーダーやスケジュールと勤め先の学校行事が重なることが多くなったことです。それで申し訳ないと考えて、チームに入って2年後の2016年に自分からチーム離脱を申し出ました。

須藤:チームに迷惑はかけられないと思ったのですね。

瑛里:はい。でも、そのタイミングで所属チームから「じつは今後、女子選手の所属自体を辞める」と聞いて。もしかしたら自分の活躍不足で女子所属を断念したのかとも考えてしまいました。そうではない、とチーム側は言ってくれたのですが。

須藤:その経緯は、自分のせいでは無いとはいえショックですよね。

運命の出会い、そして女子チャンピオンへ向けたトレーニングメニュー

瑛里:そんなことがあってから、もう自転車そのものを辞めようと考えました。それで最後のレース出場のつもりで栂池ヒルクライム(第20回JBCF栂池高原ヒルクライム)で走りました。

須藤:ラストのレースもヒルクライムにしようと。

瑛里:本当に最後にしよう、と思って走りました。その会場で主人と会いまして。

須藤:ここで、また運命が変わるのですね。

瑛里:前に所属していたクラブチームとも離れていて、ニールプライドも辞めることが決まっていて。もう自転車レースに出ることや走ることもないだろうな、と思っていたところで。

須藤:ここでご主人の出番ですね。ご主人、その頃はLink東北チームに所属でしたよね。

渡邊友一(以下・友一):そうでした。ちょうどレースに出てまして(笑)。栂池の会場で紹介してもらって話をしたら、ちょっと走りとか気になって。それで所属していた実業団チームを辞めるから、と聞いたので「なら、ちょっと普段こちらで走っているコースで走ってみない?」と何となく誘ってみたんです。

須藤:ここで世話好きで、面倒見の良い大尉(渡邊友一さんの通称)のチカラを発揮ですね。

瑛里:そこで主人から練習に誘われてさっそく練習会に参加しました。それが松輪周回というコースを利用した練習会でした。これがすごく楽しかった!

須藤:辞めるつもりだったのに、やっぱり走ったら楽しかったと。

瑛里:そうなんです。ちょうどチームからのオーダーというプレッシャーから離れられたので楽になったというのもあったと思います。それ以上に、本当に無心に走るのが楽しかった。それで自転車の練習をイチからやり直してみることにしました。

須藤:レースに再チャレンジすることになったワケですね。

瑛里:その際に、まずタイムトライアルのレースにチャレンジすることになりました。集団で走ってレース展開によって結果が左右するロードレースよりも、自分の地足のでき上がり具合が率直にわかるのではないか?ということで、主人に勧められて翌年の2017年、30歳のときに加須のタイムトライアルレース(加須こいのぼり杯・第11回埼玉県自転車タイム・トライアル・ロード・レース大会)に出場しました。このときにはクラブチームのPHANTOM湘南に所属して、2位に1分以上の差をつけるタイムで優勝できました。

須藤:そのときに手ごたえがあったと。

瑛里:しっかりと走れて成績にもつながって、このレースを境に自転車レースに出場するのを辞めることをやめました!

須藤:そんな気持ちを大きく切り替えられたのは、週末にチームメイトと行く通称「松輪周回」での練習の成果が大きかったと。

友一:それは大きかったと思います。

体づくりの基本は食事から、生活の基盤も改善

瑛里:確かに練習面でも成果がありましたが、それ以上に主人と一緒に住むようになったのも良かったかもしれません。

須藤:なるほど。練習だけでなく生活面でも大きな良い変化があったのですね。

友一:落ち込んだり疲れ切っていると、食事を作らなかったり全く食べなくなったりするんですよ。それで見るに見かねて一緒に住むことにしました。練習も大事だけど、普段の仕事にも影響するから家事をサポートすることにして、それは今でも続いてます。

須藤:そうなんですよね! しかも、非常に手の込んだ食事を作ってますよね。栄養バランスにも気を使っているようですね。

友一:やはり体づくりに大事なのは食事なので。できるだけ品数をそろえてバランスも考えてます。

日々の食事メニューから一部を公開! こちらは赤魚の焼き魚定食。油を取りすぎず、タンパク質たっぷりで品数も多い
こちらはゴーヤチャンプルー定食。旬のものも取り入れながら、野菜中心とした小鉢も素晴らしい内容、おいしそう!

須藤:そんなおいしい食事で食生活も整ってくると、練習にも良い変化が出ますね。

瑛里:そうですね。ちゃんと食事をできるようになってきたので、社会人生活と両立したトレーニングの見直しも本格的に開始しました。主人からアドバイスをもらい、今まで平日はほとんど乗っていなかったのですが、朝1時間は乗るようにしました。週末の松輪周回とかヤビツ峠、あと里山周回などを1日につき2時間から3時間、距離として50㎞から60㎞ぐらいを走るようにしました。

須藤:練習再開のキッカケとなった松輪周回で、日頃の練習も重ねられる環境になったわけですね。

瑛里:そうです。走るのが今まで以上に楽しくなりました! じつは、本当に集中して練習したくて。何度も同じコースとかをトレースするようにして走りたいんです。それが松輪周回だと実現できます。

2022年7月に福島県小野町で開催された「小野町こまちロードレース」に出場する渡邊瑛里さん

須藤:それ、わかります! 人によってはいろんなコースを走る方が練習になりますが、私も同じコースを丁寧にトレースしながら、今回はこんな感じでしか走れなかったから、次はこうして走ってみよう!とか、いろいろリトライができるほうがいい。

瑛里:週末の松輪周回は1周回が約10㎞、約16分で走れる周回コースで、標高150mぐらいのアップダウンが程よく入る、信号がないコースです。そのなかで何度も走ってトレースしながら集中し、反復もしながら練習できるのがいいです。同じコースで練習することで、自分の調子を知りながらテクニックなどのチェックできるし、一方でスピードを出すよりも、反復して走りこむことで体に覚えさせるようなトレーニングもしています。

須藤:その練習会に参加しているのが、瑛里さんやご主人が着ているチームジャージの「松輪塾」というメンバーになるのですか?

友一:そんな感じです。練習会の有志が集まっているのが松輪塾の成り立ちですね。

瑛里:女子だと昨年、Qリーグ総合リーダーになったサイタマサイクルプロジェクトの廣瀬博子さんもトレーニングに参加したことがあります。

須藤:ある意味、虎の穴のような練習会でご夫婦がトレーニングできる。理想ですね。

 

理想的な練習環境を手に入れた渡邊瑛里さん。このあと、出産を経て全日本チャンピオンを目指すことになるが、その過程には紆余曲折があった。

▼後編はこちら
ロード女子マスターズチャンピオン渡邊瑛里が考える女性選手の生き方【出産からの復帰~後編】

ロード女子マスターズチャンピオン渡邊瑛里が考える女性選手の生き方【出産からの復帰~後編】

2022年10月20日

 

▼渡邊瑛里(わたなべ えり/旧姓・新屋)

1987年12月1日生まれ・島根県浜田市出身

松輪周回の集合場所で記念撮影。これからも家族みんなで目標に向かって自転車レースを走っていきます!

*主な戦歴
2008年:第14年日本トライアスロン選手権・女子34位
2008年:学生トライアスロン観音寺大会(インカレ)・女子7位
2013年:東京都クラブ対抗ロードレース・女子優勝
2017年:第7回JBCFタイムトライアルチャンピオンシップ・女子2位
2017年:第13回富士山ヒルクライム・女子2位
2022年:ANAニセコクラシック2022・85km Women Age of 35 to 39優勝
第90回全日本自転車競技選手権大会ロード・レース 女子マスターズ優勝

▼須藤むつみ(スドウムツミ)

ミュージシャンを目指すなかで自転車と出会い、のちに実業団チーム所属選手となりレース活動を本格化。1997年1月、オランダで開催されたシクロクロス女子ワールドカップ「CYCLO-CROSS HEERLEN」に参戦、完走。1999年、第6回全日本シクロクロス選手権大会・優勝。2003年に現役を引退後、NPO法人および女子レースチームを設立。その後、2014年から自身のチーム所属として選手活動に復帰。
現在は女子エリート選手として、国内外のシクロクロスレース活動をおこないながら、「MC牛」としてもレースMCや大会運営活動を通して、シクロクロスを中心とした自転車レース普及を実施。2020年からは女子とジュニアのための自転車リーグ「Qリーグ・Nリーグ」を発足した。

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ロードバイクからMTB、Eバイク、レースやツーリング、ヴィンテージまで楽しむ自転車専門メディア。ビギナーからベテランまで納得のサイクルライフをお届けします。

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