BRAND

  • Lightning
  • 2nd(セカンド)
  • CLUTCH Magazine
  • EVEN
  • BiCYCLE CLUB
  • RUNNING style
  • NALU
  • BLADES(ブレード)
  • RIDERS CLUB
  • CLUB HARLEY
  • DUCATI Magazine
  • flick!
  • じゆけんTV
  • 湘南スタイルmagazine
  • ハワイスタイル
  • buono
  • eBikeLife
  • ランドネ
  • PEAKS
  • フィールドライフ
  • SALT WORLD
  • Kyoto in Tokyo

春の三浦半島を漕ぐ|ホーボージュンの全天候型放浪記

神奈川県の南部、相模湾の東側にある三浦半島は多くの観光客が訪れる景勝地でありマリンスポーツの聖地だ。今回は春を求めて、僕のお膝元でもあるこの半島を一周した。

文◎ホーボージュン Text by HOBOJUN 
写真◎山田真人 Photo by Makoto Yamada
出典◎フィールドライフ No.55 2017 春号

今年最初の海旅へ

海に浮かぶと江ノ島が遠くに見えた。この季節には珍しく富士山もクッキリ見える。天気の安定しない3月に富士山の全容が見えることは少ない。明け方にほんの一瞬姿を見せることもあるが、たいてい陽が昇るころには春の霞の向こうにその美しい姿を隠してしまう。「やっぱでっかいなあー」

風は冷たく、海水は痺れるほど痛かったが、気分はとても晴れやかだ。富士山というのはどうしてこんなに人間をあっぱれな気持ちにさせるのだろう。

朝7時すぎに鎌倉の由比ヶ浜から出艇した僕は、まずは葉山の沖1㎞に浮かぶ「名島」という無人島に向かうことにした。ここには森戸神社の祠がある。今年最初の海旅を始めるにあたって、まずは航海の安全を祈念しておこうと思ったのだ。

太陽族と東京オリンピック

湘南の海はにぎやかだ。沿岸を漕ぎ進むとヨット、ウインドサーフィン、SUP、アウトリガーカヌーなどたくさんのシーマンたちとすれ違う。

逗子湾を横断して葉山マリーナの沖合に出ると、そこには何十艇ものヨットが浮かんでいた。大型クルーザーから470級やスナイプ級、小学生たちの乗るちびっ子ディンギーまであらゆるヨットがいる。慶大、明大、中大、早大など、葉山に艇庫を持つ大学ヨット部や地元高校の練習艇も出ていた。

「そこで体重かける!」「ティラーの持ち替え素早く!」。ゴムボートに乗ったコーチの怒号を浴びながら学生がタッキングの練習をしている。東京オリンピックの地元開催が決まってから競技セーラーたちはがぜん燃えている。日本代表に選ばれたい。世界を舞台に戦いたい。そんな熱気が遠くからでもヒシヒシと伝わってくるのだ。

このあたりは日本のマリンスポーツとビーチカルチャーの発祥地だ。逗子海岸の脇には石原慎太郎・裕次郎兄弟が住んでいて、いつも海で遊んでいた。そんな海辺の若者たちの無軌道な生活を描いた慎太郎の『太陽の季節』は、1955年に発表されるやいなや一大センセーショナルを巻き起こし、第34回芥川賞を受賞。

翌’56年には裕次郎出演で映画化されたが、こちらもあまりの過激さに物議を醸した。以来夏の海辺で享楽的に生きる若者は「太陽族」と呼ばれるようになる。そして慎太郎原作・脚本の映画『狂った果実』の主演を張った裕次郎は一気に国民的大スタアとなっていった。

そして漁師さんたちとも。葉山の裕次郎灯台の前では、見事な櫂さばきで小舟を操りながら海草を採っていた。

名島のすぐ横、外洋から森戸海岸へ入る水路には大きな白灯台が立っている。この灯台はヨットが大好きだった裕次郎の3周忌に慎太郎が寄贈したものだ。灯台には「海の男裕次郎に捧ぐ葉山灯台」と書いたプレートが貼ってあるが、地元の人は親しみを込めて「裕次郎灯台」と呼んでいる。

太陽族は滅び、スタアは逝き、政治家として強権を振るった慎太郎兄もいまでは百条委員会で吊し上げをくらう有様だが、それでも逗子界隈では石原兄弟はいまだ英雄だ。そして太陽族の末裔たちは目を輝かせながら帆を張り、裕次郎灯台はそれを暖かく見守っている。

海はただの海ではない。たくさんの想いと人生を浮かべているのだ。

いにしえの侍に航海安全を祈願

名島の小さな祠を訪れ、今年の航海の安全を祈願した。

名島は外洋の波に洗われる無人島だ。大潮の満潮時にはほとんどが海面下に沈むから遠目には赤鳥居が海に浮いているように見える。島の形は複雑だが、上陸時はちょうど朝の満潮だったから入り江の奥までなんなく漕ぎ入れることができた。鳥居で一礼し、海鳥のフンで真っ白になった岩山を登る。

岩山の頂きにある小さな祠は対岸の海岸にある森戸神社のものだ。森戸大明神は1180年に源頼朝によって勧請された由緒ある神社。いまも葉山の総鎮守として町内の人々に愛されているだけでなく、ここから見る夕景は絶景として知られ、各地からたくさんの観光客が訪れる。

お参りをすませた僕はふたたびカヤックを漕ぎ、春の海を南下した。左手には一色海岸と大きく茂った森が見えている。この森のなかには日本でいちばん有名な家族の別荘がある。葉山の御用邸だ。この周辺には芸能人やスポーツ選手や億万長者の別荘がたくさんあるが、規模もスケールも品格も段違いだ(あたりまえか)。

御用邸をすぎ、長者ガ崎を回り込むと僕はバウを180度南に向け、沖に向かった。ここから約5㎞先に亀城根という大きな岩礁帯があり、そこに大きな黄色い灯台が立っている。まずはそこを目指すのだ。

岸を離れて沖に出ると意外にウネリが大きかった。風は真南。ほぼ正面から吹き付けてくる。風波が立ち、バシャバシャとデッキを洗った。飛沫を顔に浴びたとたん、カヤッカー魂が覚醒した。腹の底からザワザワと緊張感が湧き上がって来る。

沿岸を離れて沖に出ると南風が強く吹き付けてきた。シーカヤッキングには陸上では感じることのない畏敬の念と恐怖が常にある。

ティリーハットのあごひもを締め直し、前傾姿勢で風に向かった。フェザーリングの角度を60度に切り替え、パドリングの軌跡を低く保って空気抵抗を極力減らす。両脚を踏ん張り、腰でバランスを保った。

このあと向かい風はどんどん強まり、パドリングの手を緩めることができなくなった。左舷には秋谷漁港のテトラが見えていたが、さっきから景色が変わっていない。「や、やばい……」

焦ってハンディGPSで確認したら対地速度は2ノット(時速3・7㎞)ほど出ていた。順調とはいいがたいが、ちゃんと前には進んでいる。僕は覚悟を決めてこのまま突き進むことにした。

パドリングハイとカモメのジョナサン

シーカヤッキングはまるで禅のようだ。地球の波動にシンクロし無我の境地へ向かう。海という巨大な存在の前で「空」に気付く。

その後2時間、僕は沖を睨んでひたすら漕ぎ続けた。目の前のデッキバッグには行動食と水筒が入っていたがパドルから手を離す余裕はとてもない。上半身はずぶ濡れだったが、喉はカラカラに乾いていた。

やがて頭のなかがカラッポになり、妙な高揚感に包まれてきた。まるで自分の下半身が海に溶け出してしまったような感覚なのだ。

こういう状況はランニングでもよくある。いわゆるランナーズハイというやつだ。しかしランニングとパドリングの違いはつねに相手が動いているということ。海流や風向き、ウネリや波の大きさは刻々と変化するから、カヤッカーはワンストロークワンストロークを相手に合わせて進まなければならない。

しかし、そうして一秒一秒を相手に合わせながらも、頭はどんどん空になっていく。肉体が海とシンクロして勝手に動くようになるのだ。そしてそのような〝自動運転〞状態になると意識はとりとめもないことを考え始める。

朦朧とした(恍惚とした?)頭でこのとき僕が考えていたのはカモメのことだった。今朝は海鳥の姿が多く、あちこちで鳥山が立っていた。きっと回遊魚の群れが入ってるのだろう。葉山沖にはオオセグロカモメが群れをなしていた。

オオセグロカモメの群れとランデブー。空を舞い、波を切り、ウネリに浮かぶカモメたちは僕の友人であり憧れの的だ。

僕は生まれ変わったら鳥になりたいとけっこう真剣に願っている。そしてできればカモメになりたい。なぜなら僕は(時速320㎞で空を飛び、カモメ界では〝偉大なるカモメ〞と呼ばれた)ジョナサン・リヴィングストーンを心から尊敬しているからだ。

ジョナサンは昔、弟子のカモメたちによくこう言っていた。「君たちの全身は翼の端から端まで、それは目に見える形を取った、君たちの思考そのものに過ぎない」

そのときカヤックの右舷から大きな波がやってきた。僕はほぼ反射的にウネリの真ん中にブレイスを入れこれをかわした。「思考の鎖を断つのだ。そうすれば肉体の鎖も断つことになる」

ウネリは僕を高く持ち上げ、そのまま僕をストンと降ろした。スターンが左へドリフトし、バウがグイッと右を向く。「私たちは自由なんだ。好きなところへ行き、ありのままの自分でいていいんだよ」

僕は左膝を引き寄せて船体を軽くリーンさせ、右手を大きく伸ばしてスイープした。ウネリは沖から次々とやって来ては僕とカヤックを高く持ち上げた。「思考の鎖を断つんだ」

スターンが流れてバウが右を向く。リーンを入れてスイープする。ウネリが僕を持ち上げる。バウが右を向く。リーンを入れてスイープする。それを何度も何度も繰り返す。頭のなかでジョナサン・リヴィングストーンが叫ぶ。「そうすれば肉体の鎖も断つことができるんだよ!」

波とカヤックとカモメと海と肉体と意識が渾然となり、僕はだれもいない沖合をひたすら漕ぎ続けた。シーカヤッキングは禅と同じだ。地球の波動に自らをアジャストし、意識を解き放つ。それはリチャード・バックが『カモメのジョナサン』で描いていたことであり、禅が目指す悟りの境地でもある……。

春の海に揉まれながら、僕はそんなことを考えていた。

焚き火をするために旅をし、野宿をする

この日は佐島の先にある西に開けた砂浜に上陸し、簡素なキャンプを張った。ここは僕のお気に入りの場所で、ときどき野宿をしにやってくる。いや、もっと正確にいえばここに「焚き火をしに」やって来る。

夏の週末を除けばこの浜を訪れる人はほとんどなく、だれにも気兼ねせずに焚き火ができるのだ(もちろん焚き火台を使い、小石ひとつ焦がさないようにするのが僕の流儀だ)。

夕方になり焚き火を熾すと、まるでそれを待っていたかのように空から雨が落ちてきた。春雨だ。静かにシトシトと降りつづける雨だった。雨粒は音もなく落ちてきて、そのまま灰色の砂に吸い込まれて消えた。炎に手をかざしながら僕は飽きることもなくそのようすを見ていた。

雨のなかの焚き火も悪くない。雨雲のせいで空は暗かったが、水平線の向こうにはぼんやりと街の灯りが見えた。あれは鎌倉の灯りだろうか?それとも鵠沼あたりの灯りだろうか?

わずか数十キロの距離なのに、海を隔てるだけでこんなにも遠く感じる。まるで宇宙の果てで光っているように。でももし僕がカヤックを持っていなかったら、星の光も街の光もさして変わりない。泣いても喚いてもそこにたどり着けないのだから。

カヤックは宇宙船なのだ。雨のなかでそんなことを考えた。

あらためて三浦半島とこの海の魅力を知った

海上にぽっかり浮かぶ亀城根灯台。豊かな漁場として知られる。

翌日は小網代や油壺を経由して城ヶ崎まで漕いだ。三浦半島の先端にある風光明媚な島だ。かつては城ヶ島の内側にある三崎港にもよく立ち寄ったが、数年前に地元漁船と水上バイクの接触事故があり、カヤックを含む小型レジャーボートの入港が禁止されてしまった。

朝出艇準備をしていたら突然小雀チュンチュンが現れた。おたがいびっくり。東京から遊びに来た友人を案内していたそうだ。

僕個人としては手漕ぎのシーカヤックとあの下品で迷惑な(僕は水上バイクのことを〝ハエ〞と呼んで心の底から軽蔑している)乗り物をいっしょくたに規制するのには納得できないが、地元ルールを尊重し、港内へは入らないようにしている。

三浦半島最先端の城ヶ島に上陸しブラブラと散歩。この辺りには昭和のテイストがまだまだ色濃く残っている。

だから三崎に遊びに来ると(三崎港には友人の小雀チュンチュンがやっているカフェがあるのだ)城ヶ島にカヤックをデポし、渡し船に乗って行く。自分で漕げば3分の距離を何十分もかけて運んで貰うのだからばかばかしい。

昼メシはちょっと奮発して1800円の中トロ丼を食べた。三崎に来てマグロを食べないなんて無粋はできない。口の中でとろけるマグロは大きな大きな太平洋の味がした。

マグロ基地の三崎漁港を訪れたら中トロ丼を喰わないわけにはいくまい。むふふふ。

毘沙門経由で半島を回り込み、今回は三浦海岸で旅を終えた。広い海岸から京急の駅までは目と鼻の先。折り畳み式のフェザークラフトならタクシーを使うまでもない。

ちょうどこの日は相模湾の風物詩であるワカメの浜茹でと天日干しが始まっていた。

三浦半島から伊豆半島にかけての相模湾一帯は僕のテリトリーである。にもかかわらずワンウェイのキャンプツーリングは今回が初めてだった。いつもフェザークラフトで出かけるときは遠くへ遠くへと意識が行き、なかなか旅の目的地にはしない。

しかし今回ゆっくりこのルートを漕いでみて、本当にいい海だと再認識した。水はきれいで、景色はすばらしく、海岸線は変化に富んでいる。東京からもアクセスしやすく、万が一海が荒れたときにエスケープできる港や砂浜も数多い。

黒崎の鼻と呼ばれる岬に登る。吹き抜ける風のなかにかすかな春の訪れを感じた。

お国自慢をするようで気恥ずかしいが、今回はローカル・カヤッカーを代表して言わせてもらおう。本当にいい海ですよ。一度旅しに来て下さい。

海辺の焚き火ツーリングに必携の道具。

モンベルのアルミ製小型フライパン。

モノラルの折り畳み式焚き火台。

ソロストーブとステンレスコッヘル。

タイドグラフ付のカシオ・プロトレック。

古いクレイジークリークチェア。

ニーモのタニLS1P。

モンベルのゴアテックス製ビブ。本来は農作業用に開発されたアイテムだけど頑丈で頼り甲斐があり、海辺でも最強なのだ。

出典

SHARE

PROFILE

フィールドライフ 編集部

フィールドライフ 編集部

2003年創刊のアウトドアフリーマガジン。アウトドアアクティビティを始めたいと思っている初心者層から、その魅力を知り尽くしたコア層まで、 あらゆるフィールドでの遊び方を紹介。

フィールドライフ 編集部の記事一覧

2003年創刊のアウトドアフリーマガジン。アウトドアアクティビティを始めたいと思っている初心者層から、その魅力を知り尽くしたコア層まで、 あらゆるフィールドでの遊び方を紹介。

フィールドライフ 編集部の記事一覧

No more pages to load