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中央分水嶺を越えて、太平洋を目指せ

中央分水嶺を越えて、リバートリップに出掛けよう! そんな想いを胸にキャンプ道具とパックラフト装備を背に、残雪が残る谷川岳を越えて、雪解け水で暴れるホワイトウォーターのメッカ、利根川へと向かった。

出発後すぐの避難小屋。停滞への決意

出発から約3時間、霧が濃く、雷雨もやってきそうだった。

「うーん、困ったな……。仕方ない、ここでようすを見るか」

時刻は、午前11時。僕は、茂倉岳山頂直下にある茂倉岳避難小屋の前で悩んでいた。出発した土樽の登山口からは、まだ3時間ほどしか歩いていなかった。

樹林帯を抜けて森林限界を超えたあたりから、急に深い霧がかかりはじめていた。天気予報では、関東地方の山沿いで激しい雷雨が降る可能性が高いので注意してほしいとの情報を発信していた。

雷音は、まだどこからも聞こえてこない。ここから20分ほどのところに一ノ倉岳の避難小屋があるが、そこはふたりも入れば満室になってしまう、とても小さな避難小屋だ。

個性的な小屋なので一度は泊まってみたいと思っていたのだが、いつも躊躇する。先客がいたら、さらに先の谷川岳山頂下にある肩の小屋まで稜線を歩かないといけなくなるためだった。

結局、ひとまず昼食休憩をとりながら、茂倉岳避難小屋でようすを見ることにした。ここなら水も補給できる。それに、雷雲がやってきて停滞しても行程には余裕があった。

途中の茂倉岳避難小屋で待機することに。結局、この夜はここで一泊することになった。

本来は、谷川岳山頂から中ゴー尾根を下ったところにある二俣の幕営適地を1泊目の宿泊地と考えていた。明日の朝はゆっくりとすごして、出発前に持ってきたテンカラ竿を振るつもりであった。まぁ、たまにはこんな計画変更もいいだろう。

避難小屋の重い扉を開けて室内に入ると、川下りをするための一人用軽量ラフト〝パックラフト〞やパドル、テント装備などを収めたバックパックを床の上に下ろした。そして、アルコールストーブを取り出して、一杯のコーヒーを入れる。

水を少し継ぎ足すと、今度は持ってきた予備のドライフードに湯を注いで昼食とした。普段、昼食は行動食ですませてしまうのだが、こんな日だ。窓の外を見るほか、別にすることもないのだからいいだろう。

昼食を早々に終えると、夜明け前に自宅を出発してきたため睡魔が襲ってきた。窓から谷川の山々を眺めようとすると、なにもかもが霧のなかに隠れていた。霧の粒が大きく、まるで雨が降っているかのようだ。

寝袋を広げ、いよいよ停滞モードになってくる。ここまで来れば、もう先に進む気など起こらない。そう、僕はすでに停滞を決め込んでいた。

残雪が残る稜線を越え、利根川の河川敷へ

2日目の朝、昨日は見えなかった湯沢の街や関越自動車道を一望する。

翌朝、避難小屋の窓から差し込む薄日に起こされて寝袋から這い出すと、寝ぼけ眼で出入り口の扉を開ける。すると、昨日深い霧に覆われていた空は、どこまでも見渡せる青空に変わっていた。

朝6時。すばやく朝食をすませて、出発準備を整える。今日は、谷川岳を下り、途中で谷川の温泉に浸かって汗を流したあとで山麓の水上の温泉街へと向かう。そこからは、国道291号線を歩いて適当な河原でキャンプ地を探すつもりだ。

1日目は早々に停滞を決定して、翌日の晴天を願った。結果は、写真のとおり。苗場山や尾瀬の燧ヶ岳などが一望できた。

そこで山歩きからパックラフトに移動方法を変えて、行けるところまで漕ぎ進む。目標は、河原からすぐのところに駅があるJR上越線の岩本駅だ。

土合の登山口を出発して、茂倉新道を徐々に高度を上げていく。

軽快に茂倉岳、一ノ倉岳、谷川岳と稜線に延びた登山道に歩を進めていく。稜線上にも、まだ雪が残っていたところがあったものの、すでに緩み始めていて不安はない。

茂倉岳から一ノ倉岳へと向かう残雪上に残されたトレースを追う。雪は緩んでいるので、経験者であればアイゼンなどは不要だろう。

眼下に望む一ノ倉沢に残る雪渓の先端付近では、ロッククライマーたちが岩場にアプローチしようとしていた。ここは日本三大岩場としても知られ、また厳冬期には多数の遭難者を生むことから「魔の山」などと表現されてきた。

遭難事故が多い理由のひとつは、日本海側と太平洋側の天候がぶつかり合うことにあるのだろう。標高は2000mに満たず、それほど高くない。しかし、大気がぶつかり合うことから風が強く、冬型の気圧配置になると大量の降雪をもたらす。僕の経験では、夏山でも霧に包まれることが多い。

谷川岳の山頂下にある肩の小屋では、屋外にあるベンチで休憩をしながら展望を楽しんだ。隣のベンチに座っていた登山者と何気ない会話をはじめると、その男性は昭文社の「山と高原地図」を広げた。ずいぶんと古い地図を持っていた僕は、自分のものとの違いを確認するために彼の地図を見せてもらおうとした。

すると、これから向かう中ゴー尾根の下部からは、あまり整備されていない登山道を表す〝破線〞で描かれている。しかも、もともと泊まろうとしていた二俣の幕営指定地・適地のマークもなくなっている。

「やっぱり新しい地図を持っていないとだめですね」。そんな、やりとりを交わして登山者と別れる。中ゴー尾根へと向かうためふたたび歩き始めると、急にあたりが霧に包まれた。昨日と、同じ状況だ。日本海側からやってきた雲が、風に押されて尾根を越えて太平洋側へと流れていった。

谷川岳への主稜線を越え、富士浅間神社の小祠が祀られているオキノ耳へ。

主稜線から中ゴー尾根への分岐点に到着すると、登山道が崩壊しているため経験者向きとの注意書きがある。どの程度の崩壊なのか少し心配ではあるが、踏み跡が細い尾根道をそのまま下っていく。

谷川沿いの登山道で、いまにも崩れそうな橋を渡る。あと少しで谷川温泉に到着だ。

尾根道を太平洋側に下っていくと、雲が僕を追ってくることはもうなかった。川の流れの方向も、ここで明確に分かれる。さっき歩いてきた一ノ倉岳から谷川岳や、ここから平標山、三国峠へといたる稜線は中央分水嶺にあたり、これを境に北側に降った雨は日本海へ、南側の雨は太平洋へと注いでいく。

尾根道の両側は切れ落ちていて、急な下り道を慎重に下っていく。注意書きのあった崩壊箇所は、木の根が押し倒されていて多少歩きづらかったものの経験があればなんてことはないものだ。

谷川沿いの渓谷を、岩と岩の隙間を越え、小川を越えていく。蝉がせわしなく鳴き、森のなかはすでに夏の様相である。

きつい下り道は徐々に斜度を緩め、谷川沿いの河原道になった。岩から岩へと飛び移って、渓流を渡り、ときに岩にしがみつきながら越えていく。途中、少し長めの休憩をとったときは、登山靴とソックスを脱いで、足を渓流に浸して冷やす。

谷川温泉の手前で大休止。こんなときは、汗を吸ったソックスを乾かし、足を渓流で冷やすのが一番だ。

ここからは30〜40分ほどで谷川温泉に到着するだろう。温泉に浸かって汗を流したあとは国道沿いで食堂でも見つけて、そこで昼食を食べよう。そして、近くの食料品店に立ち寄って夕食用に惣菜と缶ビールを買って、河原に向かう。山登りだけでない街に近い川旅とのミックスだから、こんな楽しみ方ができるのだ。

水上温泉街に掛かる橋から利根川の状況を探る。
標高を落としていくと暑さが堪える。下山後は、谷川温泉で汗を流した。

気分は太平洋を目指してパックラフトを漕ぎ出せ!

胸の鼓動が高まり、川下りを始める前の独特な緊張感に心が覆われる。荷物をくくりつけたパックラフトに座り込むと、入念にスプレースカートのベルクロを留めていく。ヘルメットのストラップが締まっていることをもう一度確認すると、パドルをグッと握った。

銚子橋下の河原にて、2泊目の夜をすごした。水上温泉からは徒歩30分ほど。ここに水道はないので、事前に水筒などに飲み水を用意しておきたい。

「さぁ、出発だ!」

そう自分に言い聞かせて、岸を離れる。艇が、すぅっと水に浮き、いつもの浮遊感に包まれる。出発する前に岸からスカウティング(下見)した最初の瀬に近づいていく。たいしたクラスの瀬ではないのだが、朝一番のパドリングではなにかと緊張するものだ。

川下りを始めた銚子橋下から、すぐに登場する通称“なすびホール”をポーテージ。銚子橋より上流はスカウティングポイントが少なくて難易度が高い。

最初の瀬をなんなく越えると、また次の瀬が向こうに見えた。すかさず左岸に接岸してようすをうかがう。昨日の宿とした銚子橋下の河原からは、まだ200mほどしか進んでいない。

名もない小さな瀬だが、パックラフトでの通過は緊張する。

利根川の水量は、上流にあるダムの放水量によって変わるが、今年は降雪量が多くて水量も豊富だ。流れも、驚くほど早い。本来はもっと上流から漕ぎ始めるつもりであったが、水上の温泉街から見た川の流れは僕の手に負える状況ではなかった。

岸壁に覆われた渓谷のなかを流れているため上陸地点がなく、下流をスカウティングすることも難しそうだった。そのため、温泉街から歩いて30分ほどの銚子橋までやってきたというわけなのだ。

地面に立ち止まっていられる夏山登山とは異なり、川の流れのなかにいる以上、慎重であるべきだ。水の流れは、簡単に人の命を奪う。だが、僕はそんな基本も忘れていた。

荒瀬のスカウティングを終えて、ふたたびパックラフトに乗り込む。進むラインを思い描き、漕ぎ出すときの緊張感は川下りならでは。

「次の瀬も、大丈夫だろう」。安易な気持ちで、漕ぎ出してしまった。ひとつ目の瀬を越えたことで安心してしまっていた。それがまずかった。ふたつめの瀬を越えると、着岸する隙もなくそのまま3つめの瀬へとつながっていた。

「まずい、想像以上にデカい!」。いろいろな思いが、瞬時に頭を駆けめぐる。でも、大丈夫だろう。

しかし、無念。大きなホール(岩などの後ろ側にできる逆流する流れ)を越したところで左舷の船尾側を大波に捕まれて、あえなくフリップ。沈脱したのち、なんとか岸にたどり着いた。「クヤじぃ〜〜〜〜〜」。

瀬は、たどり着いた岸から先へ、先へと続いていた。意気消沈とした僕は、くくりつけたバックパックのストラップをほどいて背負い、パックラフトを担いで下流側へとポーテージ(迂回)した。

瀬を越えたら、パックラフトを下りてスカウティングへ。そんな作業の繰り返しで、利根川はなかなか前へと進めさせてくれない。

その後も、荒瀬は続いた。次から次へと続いた。瀬を漕ぎ終えると、着岸して次の瀬の下見をした。そのまま下るのが難しそうな瀬は、荷物をほどきパックラフトを担いで歩いた。

またまた、スカウティング。気の休まる暇なし。次々と現れる瀬に、精神的な疲労がたまる。

とくに一度沈脱したあとでは慎重になる。少しでも不安があれば、瀬の下まで荷物を背負っていった。

重さ2.5〜3㎏。パックラフトの利点

利根橋手前にできる通称“木ノ根ホール”を越えて、点在するホールから逃げ進む。この先には、川面からは見えにくい堰堤がある。

パックラフトは、とても軽量なので担いでいても苦にならないところがいい。それに、昨日までの山登りとは違い、川下りでは上半身を中心に使うので体の疲労部位が異なる。これは、僕が第2の故郷とするアラスカの北極圏でいつも感じていることだ。

彼の地では、数日間の川下りを終えてパックラフトをたたみ、峠を越えるために道なき道を2〜3日かけて歩いていく。そして、峠の反対側にたどり着くと、ふたたびパックラフトを膨らませて約1週間の川下りへと漕ぎ出す。こうした行程を2〜3回繰り返し、3〜4週間ほどの旅を続ける。

川下りだけ、山登りだけでは、体への負担が同じところに蓄積する。だが、パックラフトと山歩きを組み合わせることで驚くほど体の調子をよく保つことができる。

僕は、普通の川下りの道具としてもパックラフトはすばらしいと考えているが、本来はこうした旅をするために生まれた乗り物であり、日本国内でも新しい旅の提案をしたい。今回の旅は、その第一歩なのだ。

利根橋を過ぎ、堰堤とのあいだにできたイヤらしい瀬をポーテージ。素直な瀬がなくて困ってしまう。

相も変わらず、川は穏やかになる気配はなく、ポーテージが必要な荒瀬が続く。ここに来る前に、水上でラフティングガイドをしている知人に川の状況を聞いてきたのだが、彼女は水上温泉から〝余裕で〞半日で沼田の街まで漕げると話してくれていた。

上牧発電所は、左岸をポーテージ。

たしかに、利根川を知り尽くしたガイドが、安定感に優れたレギュラーサイズのラフトボートで漕げばそうかもしれない。だが、僕にはそんな芸当は無理だった。

上牧発電所は耐久性に劣るパックラフトでは不安だ。ラフトやリジットカヤックならそのまま越えることができる。

そして、ふたたび事件が起きた。それは、上牧発電所の堰堤を越えたあとで起こった。何気ない瀬に見えたのだが、下流に下るごとに激しさを増してゆき、あえなく2度目の沈脱。そのまま100〜150mも流されて、ようやく岸に退避できたときには体が冷え切っていた。

クヤじぃ~。なんと本日2度目の沈脱! それなりのパドリングテクニックがあるって自負していたけれど、自尊心がズタズタだ!

しかも、下流ではカヤックイベントが開催されていて、そのまま漕ぎ進まないでほしいとのアナウンスがあった。

地図を確認すると、ここから歩いて15分のところに上越新幹線の上毛高原駅がある。時刻も、すでに午後2時をまわっていた。目標としていた岩本駅までは、まだ3分の1ほどしか来ていない。気分だけは太平洋を目指していたけれど、仕方ない。ここで切り上げるのが得策だろう。

2度目の撃沈後、少し歩いたところに上越新幹線の上毛高原駅があった。残念だがここで切り上げることにした。

こうして僕は、それなりのパドリングスキルを備えていると自負していた自尊心をズタズタに切り裂かれ、すべての荷をバックパックに収納して利根川をあとにするのだった。いつか、出直してこようと心に決めて。

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PROFILE

フィールドライフ 編集部

フィールドライフ 編集部

2003年創刊のアウトドアフリーマガジン。アウトドアアクティビティを始めたいと思っている初心者層から、その魅力を知り尽くしたコア層まで、 あらゆるフィールドでの遊び方を紹介。

フィールドライフ 編集部の記事一覧

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