BRAND

  • Lightning
  • 2nd(セカンド)
  • CLUTCH Magazine
  • EVEN
  • BiCYCLE CLUB
  • RUNNING style
  • NALU
  • BLADES(ブレード)
  • RIDERS CLUB
  • CLUB HARLEY
  • DUCATI Magazine
  • flick!
  • じゆけんTV
  • 湘南スタイルmagazine
  • ハワイスタイル
  • buono
  • ランドネ
  • PEAKS
  • フィールドライフ
  • SALT WORLD
  • Kyoto in Tokyo

軍艦島とヴァイキング

南の海で、ひとりの外国人シーカヤッカーに出会った。2カ月をかけて九州一周の旅をしたデンマークの青年だ。若きヴァイキングと長崎を漕ぎ、僕らは海旅と自由について語り合った

文◎ホーボージュン Text by HOBOJUN 
写真◎山田真人 Photo by Makoto Yamada
出典◎フィールドライフ No.58 2017 冬号

南の海で出会ったヴァイキングの末裔

「九州へ飛ぼう」と言い出したのはマコトだったか僕だったか、いまとなってはよく覚えていない。でもどちらにしても双方に異議はなかった。

まだ11月だというのに本州は猛烈な寒波に覆われ、北日本を中心に暴風雪が吹き荒れていた。海水はまだぬくもりを残していたが、それでも長時間海に浸かる気にはとてもなれなかった。だから次の旅先を決めるときには、自然と南方に意識が向いた。

「九州西岸はどうだろう?」

昨年、僕らは福岡県の糸島から長崎県の松浦にかけての玄界灘を旅したことがあった。だから今度は平戸から先のエリア、佐世保か長崎あたりを漕いでみるのもおもしろい。

「それに魚も旨いしな」

前回の旅の途中、呼子で食べた活イカや鷹島で食べた黒鯛はこれまでの人生を塗り替えるほど衝撃的だった。これから九州ではクエや寒ブリ、ヒラメやフグが旬を迎える。それを思うとヨダレが出た。

「よーし! 九州へ行くぞ!」。かくして九州へ飛んだのである。

福岡に着いた僕はまずは糸島にある『サザンワークス』を訪ねた。ここは〝玄海灘男〞こと松本哲也が主宰するガイドカンパニー。今回僕らはいっしょに旅をすることにしたのである。

今回もガイドを買って出てくれた玄海灘男。人情に篤く、腕っぷしの強い、絵に描いたような九州男児なのだ。

「おいーっす!」。いつものようにクラブハウスを覗くとハンモックで昼寝をしていたのは玄界灘男ではなく、見知らぬ白人青年だった。「コンニチハ。ワタシノ名前ハ、ルンデス」

差し出された右手を慌てて握る。身長190センチを越える長身。金髪のロングヘアー。栗色の透き通った瞳。べっこうの眼鏡が知的な印象を醸し出している。でもいったいコイツは何者なのか……。

そのとき、灘男が姿を現した。「コイツは北欧のデンマークから来てるんですよ。いわゆるヴァイキングの末裔ですね」「へえ〜。で、そのヴァイキングがなんでここにいるの?」「3日前までカヤックで九州一周してたんですよ」「へえ! すごいじゃん!」

彼の名前はルン・ブロズガード。27歳。昨年の冬、スキーをするために来日した。デンマークは緯度は高いが雪はほとんど降らず、スキーをするにはスウェーデンやヨーロッパアルプスまで行かなければならない。

そこで有名な〝ジャパウ〞(ジャパニーズ・パウダースノー)を追い求め遙か地球の反対側まで、仕事を辞めてやって来たのだという。

冬のあいだずっと志賀高原に滞在していたが、日本が気に入り、その後しばらく南伊豆のカヤックガイドのところに居候していた。そして伊豆の海を漕ぐうちに日本の海をカヤックで旅してみたいという想いがどんどん強まったのだという。

「夏の終わりにそのガイドから連絡があって、どうしても九州一周がしたいって言うんで、俺が面倒を見ることになったんですよ」と灘男が教えてくれた。

そして今年の10月、カヤックツーリングのスキルもなければ、日本語もほとんど話せないルン青年はここ糸島を出発し、反時計回りに九州を漕ぎ始める。

しかし10月といえば台風シーズンまっただ中だ。次々と襲い来る台風に翻弄されてたいへんな思いをしながらも、宮崎までなんとか漕ぎ、そこで旅を終えて糸島に帰ってきたそうだ。

「明日から長崎を漕ぐけど、よかったらいっしょに行くかい?」。冗談半分に誘ったらルンは大喜びで承諾した。

2カ月に渡る長旅を終えたばかりだというのにルンはまったく躊躇しなかった。若いってのはすげえことだ。僕だったらしばらく温泉にでも浸かってのんびりしたい。

でもそうと決まれば話は早い。僕らは灘男のヴァナゴンに4艇のカヤックを積み込み、一路西へと向かったのである。

行こか戻ろか思案橋。男はみんな哲学者なのだ

長崎市内の思案橋横丁にて。思案橋はかつてこの先にあった花街に「行こうかそれとも戻ろうか思案した」ことからその名がついたという。男3人の旅にふさわしい。

しかし翌日から九州北部には強い北風が吹き荒れ、とても海に出られる状況ではなかった。波が穏やかで出艇できそうな場所を探しながらひたすらクルマを走らせる。

唐津、伊万里、佐世保、西海。150㎞以上走るがなかなか風は止まない。しかも猛烈な寒波に覆われていて気温はわずか3℃。スキー用グローブを持ってこなかったことを後悔するほどの寒さだ。結局この日は出艇を断念した。

「日本の居酒屋に行きたい」。ルンのリクエストでこの日は長崎の街に繰り出すことにした。中華街を流し、駅前をうろつく。凍える僕らの前を、ゴトンゴトンと懐かしい音を響かせながら路面電車が走っていく。

長崎は博多とは比べものにならないくらい小さい街だが、エキゾチックな雰囲気が強く漂い、僕らのような異邦人を喜ばせた。なかでも思案橋あたりの雰囲気は最高だ。

新鮮なキビナゴと焼酎のお湯割りで乾杯。

「アレはどういう意味ですか?」。思案橋のアーケードの日本語をみてルンが聞く。

いまはもう橋はなくなってしまったが、その昔はこの先にあった花街に行こうかやめようかと橋の上で思案したことからその名がついた。ぼくら男ならだれしも身に覚えがある(のか?)話なのだが、それを英語でどう説明していいかわからない。

しかたなくルンには「昔、偉い哲学者が哲学をした場所なんだよ」と言っておいた。オトコはみな哲学者なのである。

一時間ほど街をうろついたあと裏町のいい雰囲気の居酒屋に入る。新鮮なキビナゴの刺身と寒ブリ、長崎名物のセミエビを頼み、焼酎のお湯割りで乾杯。ルンは器用に箸をつかって魚を食べている。

「日本食はどう?」「大好き。とくに魚が好きだよ」「へえー。デンマークではみんなどんな料理を食べるの?」「ニシンだよ。ニシンばっかり」

デンマーク人はニシンが大好きで、美人のことをニシンと呼ぶぐらい好きなんだそうだ。なかでも人気は酢漬けで、これをライ麦パンに載せて食べると言う。

これは博多の長浜。九州は海も楽しいが夜の街も楽しい。

ルンは小さいころから釣り少年でどこに行くのにも釣り竿を手放さない。九州一周中も毎日のように竿を出していたそうだ。

「日本はいろいろな魚が釣れるからおもしろいよね。デンマークの海は北極海だからニシンやサーモンやタラばかりだけど、日本には北の魚も南の魚も回遊魚も地魚も全部いるからびっくりするよ」。日本の海の多様性は外国人から見ると奇跡的だそうだ。

たらふく食べた僕らは海岸沿いのキャンプ場にテントを張った。夜空がパリパリに冷えている。明日からもう12月だ。

まるで軍艦のような軍艦島におののいた

水平線に浮かぶ軍艦島を眺める。そのシルエットは本当に巨大戦艦にしか見えない。

翌朝僕らは長崎の海を漕ぎ出した。まず目指すは軍艦島(端島)だ。世界文化遺産にも登録されている炭鉱の島で、コンクリートで固められた岸壁や炭鉱夫たちが住んでいた巨大な集合住宅がまるで軍艦のように見えることからそう呼ばれる。

「ホントに軍艦みたいだ……」

最初にその島影を見たときの僕の素直な感想だ。島には自然のままの岩や植物がまったくなく、海上に突き出した巨大建造物には異様な雰囲気が漂っている。いまにも動き出しそうな雰囲気にただただ圧倒された。

この島は19世紀から石炭が採掘されていたが、明治時代に三菱が買い上げると大規模な開発が行なわれた。そして第二次大戦中には年間41万トンを出炭し、日本の近代化を支える存在となる。

最盛期にはなんと5200人もの炭鉱夫が住み、人口密度は東京23区の9倍以上、バングラデシュを越える世界一の人口密集地となったそうだ。

南北わずか300mの島には小中学校、店舗、病院、寺院、映画館、理髪店、パチンコ店、スナックなどがあり、火葬場と墓場以外ほぼ完結した都市機能を持っていたという。

74年の閉山以来、長く立ち入り禁止が続いていたが09年から限定的に上陸が許可され、いまは見学ツアーも行なわれている。しかし整備された桟橋がないため船が着けられる日が少なく、シーカヤックは残念ながら着岸できない。

間近でみる軍艦島はすさまじい迫力だった。まるでSF映画に出てくる要塞みたいで、僕もルンもただただたじろぐだけだった。

ひとり旅の思い出はダイヤモンドと同じだ

ロックガーデンで遊ぶ。長崎西岸は変化に富んでいておもしろい。

野母崎の西側には入り組んだ海岸線と変化に富んだロックガーデンが続いていた。僕らはブーマーに注意しながら狭い岩礁帯を抜けたり、細い入り江に入りこんだりしてカヤッキングを楽しんだ。

長崎の海は僕が想像していたよりずっと漕ぎやすく、美しかった。なかでも印象的だったのは砂浜にゴミや漂着物がないことだ。日本中どこの海域でも見かけるプラスチックゴミや流木の姿がまったくないのだ。

長崎のビーチはどこも美しく、ゴミひとつ落ちていない。人影もほとんどなく、見かけるのは釣り人や散歩のご老人ぐらいカヤックを上げてテントを張っていると地元の人たちが訪ねてきていろいろと世話を焼いてくれた。

潮の流れのせいなのか、それともたまたまタイミングがそうなのかわからないかったが、気分がいい。

「ワオ! このあいだ通ったときには、波が大きかったのに!」「そうそう、この砂浜に上陸してテントを張ったんだ!」

岬を回り込むたびにルンが大騒ぎしている。ひとりで旅したときの興奮と感動を反芻しているのだ。

「僕はあの旅のすべてをいまでも思い出すことができるんだ。きっとデンマークに帰ったあとも、そして年をとって老人になっても、忘れることはないと思う」。ロックガーデンを漕ぎながらルンは僕にそう話してくれた。

野母崎を回り込み脇崎へと向かう。岬を回り込むたびにルンが「ここはめちゃくちゃ風が強かったんだ!」とか「あの先で釣り人に声をかけられたんだよ!」と興奮していた。ひとり旅で積もりに積もった感情が爆発しまくっていた。微笑ましい。

そんなルンの純粋な気持ちはよくわかった。ひとり旅の苦労や感動はグループで行った旅の何倍も心に強く刻まれる。ましてやそれが外国だったらなおさらだ。

僕も若いころにひとりで旅をしたときのことを、いまでもありありと思い出せる。風の匂い、雨の予感、風の冷たさ、夜の怖さ……。それは心の根元にしっかりと刻まれて、いつまでも消えることはない。

人は若いうちに旅をすべきだ。ひとりきりで。自然のなかを。もしそれが孤独でキツい旅であればあるほど、光り輝く財産になるはずだ。ダイヤモンドのように、硬く透き通った宝石になるはずだ。

自由の正体について焚き火の前で考えた

ルンとは旅の間いろんな話をした。生まれ育った環境も世代も大きく違うが、議論するのは楽しかった。

浜に上がると乾いた服に着替え、流木を集めて焚き火を熾した。ルンは焚き火が大好きだ。大きな流木を見ると目付きが変わる。原始の炎が普段は眠っているヴァイキングの魂に点火をするのだろうか。

「ルンが自由を感じるのはどんな時なの?」

ある日、焚き火を囲みながらルンとそんな話をした。海について、旅について、僕らは語り合った。

「たとえばクタクタになるまでカヤックを漕いで、やっとのことで上陸したとするでしょ」「うん」「そんなときはお酒でも飲んでリラックスしたくなる」「うん」「だけどお酒を飲むと翌朝のパフォーマンスに支障をきたしてしまうかもしれない」「うん。ルンはよく飲みすぎるからね(笑)」「そう。そんなときに飲むのを我慢すること。それが僕の自由」

なんだか禅問答のようだったが、言わんとすることはわかった。つまり自分に複数の選択権があり、より大きな欲望(ここでは旅をすること)のために、ほかの欲望(ここではお酒)を捨てることが許されること、つまり「選べること」が彼にとっての自由なのだ。

毎日の食事は玄海灘男が腕を振るってくれた。野蛮極まりない風貌だが料理上手。長崎中華街で買った揚げ麺を使い名物の皿うどんを作ってくれた。「小雀チュンチュンなんて目じゃないですよ」と朋友をdisっていた。

自然のなかを旅していると自由にならないことがあまりに多い。とくにカヤックの旅は風や波や潮や天候に大きく左右される。出たくても出られない、進みたくても進めない、諦めたくないのに諦めなくてはならない、そんな場面がとても多い。ルンも悪天候に阻まれて、何日も停滞を余儀なくされたらしい。

「台風21号のときは4日間まったくテントから出ることができずに発狂しそうだった。見ず知らずの土地でいったいなにをやってるんだと思ったら涙が出たよ」とルンは言う。

だからこそ自分でジャッジができる状況を幸せだと思った。なにかを取るために、なにかを捨てる。そこに自由を感じたのは今回が初めてだと言っていた。

海には道がないだから旅をするのだ

「これからどうするの?」。旅の最終日、僕はルンにそう聞いてみた。

「冬の間は志賀ですごして、春になったらデンマークに帰るよ。もうビザが切れるからね」「そうか」「でも、デンマークに帰ってもなにもないんだ。仕事は辞めちゃったし、住むところも引き払った。日本に来る直前に恋人とも別れてしまった。だから僕にはもうなにもないんだ」「でも、なんでもある」「……」

しばらく考えたあと「そうだね」と言ってルンは笑った。そして「日本人ておもしろいね。もしかしてそれが“zen”ということなのかな?」と僕に言った。

野母崎に上陸し裏町を散策。ルンには見るものすべてがワンダーランド。

哲学者でも宗教者でもない僕にはそれが禅なのかはわからない。でもひとつだけわかることは、僕らの先に道などないということだ。結局自分の人生を切り拓くのは自分だけだ。

それは海を旅することにとても似ている。

海には道がない。そこには幾千幾万の先達がいて、幾千幾万の旅をしてきたはずだが、彼らの軌跡は一瞬にして消えさり、あとには平らな水面が残るだけだ。水面はなにも語らない。だから僕らは波や、風や、潮の流れに耳を傾け、自分自身でジャッジをし、ひとり漕ぎ進むしかない。

この日は終日穏やかで、黄金の夕焼けが水面を染めた。僕らはそこに一瞬の軌跡を残しカヤックを漕ぎ続けた。とても美しい一日だった。

出典

SHARE

PROFILE

フィールドライフ 編集部

フィールドライフ 編集部

2003年創刊のアウトドアフリーマガジン。アウトドアアクティビティを始めたいと思っている初心者層から、その魅力を知り尽くしたコア層まで、 あらゆるフィールドでの遊び方を紹介。

フィールドライフ 編集部の記事一覧

2003年創刊のアウトドアフリーマガジン。アウトドアアクティビティを始めたいと思っている初心者層から、その魅力を知り尽くしたコア層まで、 あらゆるフィールドでの遊び方を紹介。

フィールドライフ 編集部の記事一覧

No more pages to load