日本ロングボード紀行 湘南・鵠沼

海に囲まれた日本列島には、日々、大海原からうねりが押し寄せる。豊かな海岸線、峻嶺な山々から注ぐ大河に恵まれ、さまざまな波を生み出している。四季折々、津々浦々で、今この瞬間も波が生まれては消えていく。そこには、その波をこよなく愛し、守り、慈しむサーファー達の姿がある。そう、日本は世界に誇るサーフアイランドなのだ。この連載では、ロングボードを切り口に、各地のサーファーコミュニティと彼らの地元の波への思いを伝えていきたい。今回、足を運んだのは湘南の鵠沼海岸。果たして、どんなサーファーと波が待っているだろうか?

鵠沼ならではの魅力に引き寄せられて

目前にかまえる江ノ島、夕焼けに照らされる富士山のシルエット、晴天の日には大島が水平線に浮かぶ。太平洋に面した相模湾の奥部の遠浅のビーチでは、潮の干満で生まれる小ぶりなファンウェーブから台風のグランドスウェルによる一級品の波もお目見えする。サーフィンの楽しさを知ったばかりのビギナーから、エキスパートまで自分の力量に合わせて思い思いに波乗りを満喫している。ロングボード、ショートボードという垣根を越えて、笑顔のサーファーが多いのは気のせいだろうか。ここ鵠沼の海にはどこか自由で開放的な空気が漂っている。

週末はもとより平日もサーファーでにぎわい、ビーチ沿いの国道134号線には多くのサーフショップが軒を連ねサーフタウンの様相を見せている。この鵠沼のサーフィンの歴史をさかのぼることは、そのまま日本のサーフィン史をひも解くことにつながる。

多くの人にインスピレーションを与えてきた海

今から133年前、明治19年(1886年)、鵠沼海岸に海水浴場が開場した。当初の目的は病気療養のためだったが、江ノ島も間近で富士山を遠望する風光明媚な土地に魅了され、東京から多くの富裕層や文化人が移り住み別荘地として栄えた。後に多くの文学や映画作品がこの地から生まれる土壌になる。時を経て、第二次世界大戦後、進駐軍の米兵がバーベキューや海水浴などレジャーのために、鵠沼海岸にジープで通うようになった。その米兵の中にサーファーの姿も…。当時については、地元の鵠沼郷土資料展示室の資料が詳しい。昭和26年(1951年)、座間に進駐していた日系ハワイアンの米兵が、地元の少年を相手にサーフィンの手ほどきをした。そして、昭和38年(1963年)、佐賀亜光(敬称略 以下同)を筆頭とする佐賀兄弟を中心に日本初のサーフクラブ「シャークス」が結成された。以後、日本各地でサーフクラブが生まれ、やがて全国規模のアマチュア団体、そしてプロ組織の礎になっていく…。

波はいつでも「くるもの拒まず去るもの追わず」

以後、サーフィンの歴史に名を刻む多くのサーファーが、鵠沼から育ってきた。ことロングボーダーに限っても、名前を挙げたら枚挙にいとまがない。常に海外に目を向け1990年代のロングボードリバイバルの先陣を切った近江俊哉、6年連続日本一という前人未踏の記録を達成したショーロクこと宮内謙至、グランドチャンピオンにも輝きシェイパーとしても活躍するマミさんこと河村正美…。その足跡を追うように、これまたスタイリッシュなロングボーダーが続々と育っている。

「鵠沼には自由な雰囲気がある。くる者は拒まず去る者は追わずというような」とは、以前ショーロクがインタビューで語っていた言葉だ。波乗りを純粋に楽しみたいのなら、どんなサーファーでも受け入れるてくれる懐の深さがある鵠沼。サーフィンに限らず、常に新しいカルチャーに門戸を開いてきた風土が培ってきた賜物だろう。その精神は、これからの鵠沼を担う次世代のサーファーにも、脈々と受け継がれていくに違いない。

(出典:『NALU 2019年4月号 No.112』)

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