フォトグラファーが撮り歩く浅間山外輪山
PEAKS 編集部
- 2020年01月30日
いい本に出合ったときは、それを読み進めれば世界が広がり、旅をしているように感じられる。カメラだって同じこと。自分の1台を手に入れれば、きれいな風景を写したいと、いまここから旅がはじまるものだ。天気予報は晴れ。カメラ片手に山を歩く、それだけでいいな。
山の内部を覗く、一部を切り取る。被写体探しの山歩きもいい。
モワーンとした硫黄の臭いが鼻孔をくすぐった。それは山が活動している証。歩きはじめて2時間足らずだが、これだけ臭いがしていて安全なのだろうか。顔をしかめて見上げれば、一瞬で頬が緩んでしまうほどに心地のよい青空が澄みわたっている。
フォトグラファーは白い歯をこぼすと、ファインダーから周囲をのぞき込んだ。これまで何万回、何十万回と繰り返してきたように。
長野県と群馬県にまたがる浅間山。富士山に似た円錐形の山頂は標高2568mに達している。深田久弥の日本百名山にも数えられている、おなじみの名峰だ。
だが、その山頂に立つことは、現在では不可能になっている。信仰の理由から? 登るには過酷すぎる気象条件だから? たしかに道中ではいくつもの鳥居をくぐり抜けるし、あたり一面は雪に埋め尽くされている。でも、結局は人間の問題なんかじゃない。活発な活火山、それが浅間山なのである。
取材時点で、気象庁が発令する噴火警戒レベルは“2”(火口周辺規制)。2015年6月に“1”(活火山であることに留意)から引き上げられて以来、山頂火口からおよそ2㎞にわたる範囲が立入禁止とされている。火口から風に吹かれて揺れる噴煙は、テレビで見覚えがある人も多いことだろう。
では、山頂に立つことができなければ、その山に行く意味はなくなってしまうのだろうか。たしかにキミが百名山コレクターならそうかもしれない。でも、もしキミが山でもカメラを手放せないようなタイプだったら、登頂なんてちっぽけな理由で山から遠ざからないでほしい。
自然のなかをぶらり歩く。気に入った風景に向けてシャッターを切る。山に行く理由なんて、それだけで十分なはずだ。
「山頂に立たなくたって、見えるものはたくさんありますから。体力や目的に見合った楽しみ方が大切。ぼくはゆっくりと時間をかけて、山の内部を覗くように写真を撮りたいですね」
そう語るのは、フォトグラファーの宇佐美博之さん。雑誌の仕事を中心に、夏山では多い月で20日間も山に入るという。一方、新鮮味をなくさないようにと、作品撮りの時間も重視。冬山でも月3回、最低3泊はプライベート山行に充てているようだ。
「ひとつくらいは狙うカットを決めていきますが、山の予定なんて狂うもの(笑)。決めつけはせずに、発見を楽しみながら、出合った風景を撮影していきます」
11月末、宇佐美さんの撮影山行に同行することになった。早朝から関越自動車道をひた走り、向かう先は雪化粧をした浅間山。雲ひとつない、とびっきりに冬晴れの1日だ。
旅は浅間山荘からはじまった。浅間山を望むルートの場合、車坂峠を起点にするのが一般的。アップダウンが少なく、好展望の稜線に出るのが容易なため。それでもフォトグラファーが渓谷沿いのほうのルートを推す理由は、歩きはじめてすぐに明快となった。
橋の下で流れている赤褐色の蛇掘川に見入ったかと思うと、おもむろに三脚を組み立てはじめたのだ。「こんな色の川って見たことありませんよね。前に来たときに衝撃を受けて。しばらく集中してもいいですか?」
1分、2分、3分……。やがて宇佐美さんがようやくファインダーから目を離した。真剣なまなざしから、再び普段の柔和な表情へ。納得いく写真が撮れたのだろうか。木漏れ日がその横顔を照らしていた。
変化する景観に動物との遭遇。これだから浅間山はおもしろい。
火山館の手前、硫黄の臭いが立ち込めるようになったころ。冷たい風が吹きすさび、少しずつ登山道が雪に覆われていく。それまで緑色を見せていたカラマツは少しずつ葉を落として、やがて視界が開けるようになった。
光に敏感なのがフォトグラファーというもの。木漏れ日から揚々と注ぐ陽光へ、被写体を照らす光も変化して、またまなざしが切り替わっていく。
しかし日射しは強く、アウターシェルを着て行動するに不釣り合いなくらい。暖かさと雪というコントラストは、初冬ならではだ。
「ここまでは、まるで春みたいな葉の緑が続きましたね。でも、向こうの外輪山の斜面は雪のおかげで青白く見えませんか? 樹林帯から稜線へという景観の変化だけでなく、こうしたバリエーションの幅も浅間山の魅力です」
次第に雪の量は増えていった。一歩、また一歩と進んでいくうちに、踏み込みが深くなっていく。初冬の新雪はふかふか。氷も見られず、クランポンはバックパックの中で出番を待ったままである。
火山館をすぎて、湯ノ平の分岐を曲がったら、外輪山の斜面を登っていく。黒斑山、蛇骨岳、仙人岳。これらピークの連なりが浅間山外輪山と呼ばれているが、“山”の名がつくそれは二重火口の外側を意味する。
すなわちここは、浅間山の長く活発な火山活動における、古いほうの噴火口の岩壁。途方もない時の流れのなかで創り出された、特異な姿なのである。
斜面に取りつくと、急に斜度が大きくなり、トレースも消えて雪に阻まれるようになった。くるぶしまで、ときにひざまで、動くたびに新雪が大きく口を開ける。
呼吸を整えようとひと息つき、バックパックに差していたアイスアックスを取り出した。斜面に突き刺して、体を確保しながら持ち上げていく。そうはいっても、柔らかな雪面にはまるで手応えがない。まるで気休めの免罪符を振り下ろしているかのようである。
「カモシカだ!」。雪山の静寂を切り裂くように、突如として宇佐美さんが声を上げた。おぼつかない足もとから目線を上げれば、20mほど前方には堂々たる山の主。この距離にいながら気づけなかったなんて……。そのひと足早い察知にフォトグラファーの観察力を称えても、決して大げさではないように感じられる。
カモシカは微動だにせず待ちかまえていた。人間慣れをしているのか、闖入者の歓声も、カメラが発する機械音も気に留めるようすがない。宇佐美さんは前方に進み、レンズ越しに動物と視線を交わしていた。
「じつは浅間山は5回目なんです。外輪山に来るたびにカモシカと出合えるので、今日も撮れるんじゃないかと期待していました」
それでは、動物を狙ってカメラも望遠レンズに? 「いえ、今日は標準レンズと広角ズームレンズだけ。ボディも1台。仕事のときにはレンズ3本、ボディ2台を持っていくんですけど。いつも使うのは、画角をイメージしやすい標準レンズのほう。出合った風景に対して、頭のなかで画づくりをするようにしています」
ようやくファインダーから目を遠ざけて、宇佐美さんはカモシカに直接視線を送った。すると被写体の役目を終えたことを察知したのか、山の主は急に斜面を駆け出していく。浅間山と外輪山、ふたつの火口に挟まれた広葉樹林。重低音の足音に続けて、別れを告げるように鳴き声が響いた。「キャンッ!」
被写体を探す。写真を撮る。それが山なら、なおさら楽しい。
えいやっ、1歩、2歩。えいやっ、1歩、2歩。アイスアックスを振り下ろし、雪に足を取られながら進んでいくと、ようやく外輪山の稜線に立った。振り向けば、お椀を引っ繰り返したような形の浅間山がどーんとかまえている。
この分岐から北の黒斑山(標高2404m)へは往復40分。撮影も加味すれば1時間は要するだろう。一方、展望地であるトーミの頭までは南へ往復10分。
「今日はトーミの頭までにします。黒斑山と30分のコースタイム差があるということで、30分も長く撮影に充てられますし。あ! 向こうに八ヶ岳や南アルプスも見えます。ちょっと撮ってきますね!」
北へ、東へ、南へ、西へ。宇佐美さんはそこかしこにカメラを向けて、シャッターを切り続ける。晴天下のそれは美しい風景に対して、こちらが十分に感じ入っても、まだ被写体を探し続けている。
「漠然と山の写真を撮るだけでなく、山のパーツを探すようにしても楽しいですよ」。宇佐美さんが撮影する写真は、独特の視点によって切り取られている。出発時の川にはじまり、木の枝に夢中になったり、足もとに転がる落ち葉にカメラを向けたり。山という大きな画を分解して、パーツを拾い集めるように撮影する。
それによって、分解された山を再構成しようとしているのではないだろうか。フォトグラファーのまなざしに触れ、それに重ねるように山に目を向ければ、それはまた違った姿で現れるに違いない。
トーミの頭を動き回って撮影し終えると、宇佐美さんはやがて浅間山に見入った。「朝日や夕日を浴びた浅間山もまたきれいなんですよ……」
今回は、クルマを停めた浅間山荘まで引き返さなければいけない。雪に埋もれるように登った雪面を、今度は同じように下っていくのだ。冬が進むにつれて日没も早いのだから、ここで引き返すことになっても、仕方あるまい。
でも、今日は撮れなくても、また浅間山に来ればいいだけのこと。前泊をしたり、違うルートを歩いたり。それができるのが日帰り山行なのだから。こうして旅人は再び旅に出る。カメラに連れられるようにして。
>>ルートガイドはこちらから
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文◉内田洋介 Text by Yosuke Uchida
写真◉杉村 航 Photo by Wataru Sugimura
取材期間:2017年11月28日
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PROFILE
PEAKS 編集部
装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。
装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。