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静かな槍ヶ岳と愛しき山の人々

槍ヶ岳山荘には、今年6度目(取材当時)の夏を迎える若き小屋番がいる。春夏秋、いい日も悪い日も山を見ていれば、一期一会の登山者にはわからない山の姿が見えるのではないか。槍ヶ岳山頂のもっとも近くに暮らす山﨑愛美さんに、その魅力をたずねた。

文◉伊藤俊明 Text by Toshiaki Ito
写真提供◉槍ヶ岳山荘
出典◉PEAKS 2020年7月号 No.128

槍ヶ岳山荘6シーズン目の小屋番から見える景色

初めてアルバイトをした年の最後の日。青空のもと雪化粧した穂先が見送ってくれた。中央白い帽子が山崎さん。テント泊で入山したので大荷物だ。

槍ヶ岳付近にある3軒の山小屋のなかで、もっとも規模が大きいのが槍ヶ岳山荘だ。収容人数は400人と公表しているが、夏の最盛期にはさらに多くの人で混み合う。山頂直下にあって、アルプスの絶景を見渡すこの上ないロケーションとなれば人気が出るのも当然と思えるが、それを影で支えているのが山小屋のスタッフ、いわゆる小屋番だ。山﨑愛美さんもそのひとり。北アルプスを代表するといっても過言ではないこの山小屋で、今年6シーズン目を迎えた。

山﨑さんは大学時代に姉に誘われて登山をはじめた。初めての登山らしい登山は、家族と出かけた鳥取県の大山だった。大学では文化祭の実行委員を務めていて、大山は毎年の新入生歓迎キャンプで出かけるなじみの場所だったが、山に登ったことはなかった。それまでは里山を歩く程度の経験しかなかったので、あんな森のなかを歩いてなにがおもしろいんだろうと思っていた。

「稜線からの景色を、大山で生まれて初めて見たんです。歩きながら空に近づいていくような感じとか、周囲の山々や、麓の街や、日本海が見渡せるのに感動しました。あの開放感が、山が好きになるきっかけだったと思います」

こうして山の楽しさに目覚めた。その後は、旅行に出かけるときは山と温泉をセットにして、家族や友人と山に向かった。少しずつハマっていくなかで、あるときモンベルの取り組みを知った。

「当時は大阪で暮らしていたんですが、東日本大震災のあとにモンベルがアウトドア義援隊という活動を続けていることを知って、こういう社会貢献もあるのかと感銘を受けました」

鈴木ともこさんの本でのエピソードをきっかけに、山﨑さんの提案で実現した「とんがりコーン」とのコラボ。やりたいことはまだまだある。

アウトドア義援隊を知ったのは、震災から2年がすぎた2013年のこと。山﨑さんは大学4年生で就職活動のさなかだった。すでに飲食関連会社の内定も得ていたが、好きな登山に近い仕事に就きたいという思いがふくらみ、駆け込みでモンベルの入社試験を受けた。結果は不採用だったが、それで火がついちゃったんですと、恥ずかしそうに笑った。

「絶対にアウトドアで働く仕事がしたいと思って、内定を辞退してフリーターという親不孝な道を選んじゃいました」

それからは、登山用品店でアルバイトをして山に出かける日々。しかし、その後もモンベルの採用は叶わず、どうしようかと悩んでいるときに頭に浮かんだのが山小屋で働くという選択肢だった。どうせ行くなら景色が良いところがいい。まっさきに思いついたのが、鈴木ともこさんの本を読んで、いつかは行きたいと思っていた槍ヶ岳だった。南アルプスの栗沢山で初めて槍ヶ岳を見たときのことを思い出した。遠く、小さくても、ひと目でわかるそのカタチが目に焼き付いていた。

槍ヶ岳山荘のアルバイト募集をネットで見つけ、7月から10月の長期で応募した。仕事が決まり、海の日の連休前に小屋に入るように指示を受けた。山﨑さんにとってそれは初めての槍ヶ岳登山だったが、そのときのエピソードは小屋番たちの間でいまも語り草だ。

アルバイトが決まったことを登山用品店で働いていたときの仲間に告げると、「ちょうど山に行きたいから」と、入山に合わせて登山の計画を立ててくれた。山荘までいっしょに歩いてくれるという。新穂高温泉から入り、双六小屋を経由して西鎌尾根で槍ヶ岳へと向かうルート。しかし、入山2日目に天候は悪化した。強風で西鎌尾根は危険と判断し、双六小屋から引き返した。

ヘリの誘導も仕事のひとつ。パイロットは前部のミラーで地上からの合図を確認する。

「いまとなっては恥ずかしいですが、まだまだ山の経験が足りていませんでした。その日に着けないことを小屋に連絡すると、大変ですねとねぎらってくれましたが、“ヤベー奴が来る” って噂になったみたいで、いまだに笑い話です」

その日は新穂高温泉まで引き返し、翌日、上高地から再出発。槍沢ロッヂで一泊し、次の日にようやく槍ヶ岳山荘へ到着した。

鳥のさえずりと発電機の音しか聞こえない静寂の槍ヶ岳も知ってほしい。

「ガスで穂先も景色も見えないなかを歩き続けて、やっと着いたという感じでした。とにかくへとへとでしたが先輩方が温かく迎えてくれて、涙が出そうになったのを覚えています」

夕日と雲海。忙しい時間帯で意外と見られないので、貴重な機会に思わずパチリ。

仲間との山行も兼ねていたので、テント泊で行動していた。テントは同行者が担いでくれたが、それでも荷物は15㎏ほどあり、極度の疲労で体重が一気に4㎏も落ちた。悪天候はその後も続いて、数日間晴れ間が出なかった。初めて間近に穂先を見たときの感動は、さぞかし大きかっただろう。

スタートこそ波乱含みだったが、その後はトラブルもなく、無事に10月までのアルバイトを終えた。夏の最盛期、いちばん忙しいときは朝4時前に仕事が始まる。朝早いのは大変だったが、それでもきついとは思わなかった。山を下りると、志願して次の年には社員になった。以来、4月の小屋開けで入山し、11月に小屋を閉めて山を下りる生活を続けている。

槍ヶ岳山荘は標高3060mにある。水は雨水と雪解け水を使っていて、スタッフ用の風呂はあるが、毎日は入れない。電気は発電機でまかなう。「下界」と同じようにはいかないが、強いて不満を挙げるとしても、ネットがもう少し安定していればいいのにと思う程度だ。仕事と生活の場が密接している小屋の生活が好きなので、それほど不便とは思っていない。多くの時間をすごしたおかげで、山には慣れた。小屋番は月の休みはまとめて取り、そのたびに下山する。いまでは重たい荷物を背負うことはない。最低限の軽い荷物で、上高地から山荘まで8時間で一気に上がる。

長年勤め「槍の母」と呼ばれた岩渕さん(中央)を見送る。長年のスタッフも、短期のアルバイトも、別れはいつも感慨深い。

雪の下から小屋を掘り出し、登山者でにぎわう夏を迎え、紅葉の秋を見送り冬の到来を前に小屋を閉める。1年を通して槍ヶ岳を見続ける山﨑さんに、その魅力をたずねてみた。

「山はいつでもきれいです。ガスっていたのが急に晴れていく瞬間に立ち会ったりすると、小屋番の特権だなぁと実感します。見飽きることがない穂先や360度のアルプスの山々は、日本中の人に見てもらいたい絶景です。それでも、いちばん好きなのはと聞かれれば、5月か6月のまだ雪がたくさん残っているころの山と答えます。槍沢はまだ雪の下で、聞こえるのは鳥のさえずりと発電機のエンジンの音だけ。夏はあんなに大勢の人が来るのに、槍ヶ岳ってこんなに静かなこともあるんだと、初めて5月をすごしたときは驚きました。雪があるのでだれもが来られるわけではありませんが、静寂の槍ヶ岳もぜひ知ってほしいです」

最初の年の思い出。空き時間にガイドに連れられて、子槍の上でお約束の「アルプス一万尺」。

北アルプスの小屋番の平均勤続年数は4年半くらいだという。それを超えても仕事を続ける彼女は、よほど槍ヶ岳に恋い焦がれているのかと思ったが、それだけではないらしい。働き続ける理由をたずねると、こんな風に答えてくれた。

「『やっと来れた~』と喜んでいるお客さまを見て胸が熱くなったり、ヘリが飛ばなければ歩いて登って来てくれる大工さんや業者の方の槍への想いを聞いたり、先輩方の仕事ぶりを見たり。歴史がある大きい小屋だからこそ会える人たちも魅力だと思っています」

いい人が集えば、山の魅力はさらに深まるということ。

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PEAKS 編集部

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装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。

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