筆とまなざし#243「ある日曜日。木曽駒ケ岳へ1泊2日のスケッチ山行へ(中編)」
成瀬洋平
- 2021年09月17日
絵を描くということは、モチーフとある種の関係を結ぶこと。
静かな山にひとり佇んで絵を描くのは、思索の時間でもありました。これまで、山で絵を描くためにはより山深い場所へ行かなければいけないと思っていました。そのためにも歩く距離や山行日数を長くしなければいけないと思っていたのです。もちろん、山の懐深くで滞在日数が長ければ長いほど山に溶け込んでいくことができるし、多くの風景を見ることもできる。けれども「天空の山小屋」を描きながら気づいたのは、歩いた距離が短くても、山にいる時間が短くても、その場所ですごす時間が濃厚であるならば納得のいく絵が描けるということでした。山でどのような時間をすごし、その風景といかに関係を結ぶのか。それこそが大切なのだと思ったのです。
絵を描くということは、モチーフとある種の関係を結ぶことにほかなりません。それは風景であったり、草花であったり、あるいは人間であったりするわけですが、そのモチーフを観察し、少しずつ近づき、より深く理解することが絵を描くということで、実際に描かれた絵はその表層です。絵は、モチーフと自分との間に紡ぎ出された物語だと言ってもいいかもしれません。そのような関係をいかに結ぶのかが大切なのであって、必ずしも人気のない山奥でなくてもいいわけです。そして絵を描くという行為は、そのような関係性を非常に濃厚にさせてくれる手段であり、モチーフをよく知るための術なのでしょう。絵描きは、そのようにして世界を理解していくのだ。そう思いました。
木曽駒ヶ岳の頂上は大勢の登山者で賑わっていました。しばらくガスのなかに見え隠れする宝剣岳を眺め、描こうかと迷ったけれど人が多いので止めました。夕方、ガスが晴れてワンチャンスあるようだったらまた登ってこようと思い、一旦テントに戻ることにしました。
テントに着くとすでに15時を回っていました。ふつうに歩いたら30分もかからないルートです。絵を描きながら歩いただけで5時間も経っていたことに驚きました。夕方になるまで、テント前の岩に腰掛けて周りの風景を描きました。一枚は、将棊頭山へと続くなだらかな稜線。もう一枚は、その稜線がガスで見えなくなったので描いた夏雲。もう初秋だというのに不順な天候のおかげで湧き立つ雲が見られました。これまで雲そのものをモチーフにしたことはほとんどありませんでした。山の風景が見えないときは雲を描けばいい。それも、今回の旅で得た大きな気付きでした。(続く)
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