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舟生大悟 厳冬期北アルプス27日間単独縦走という静かなる偉業 Part 2

日本海から穂高への厳冬期単独トラバースの挑戦。この計画を27日で達成した舟生大悟の偉業を振り返る。出発時で51kgの荷物を負いながらの延々と続く深いラッセルに、疲労は蓄積していった。

>>>Part 1はこちらから

舟生大悟 厳冬期北アルプス27日間単独縦走という静かなる偉業 Part 1

舟生大悟 厳冬期北アルプス27日間単独縦走という静かなる偉業 Part 1

2022年01月12日

この記事WILDERNESS No.7(2017年10月刊行)からの転載です。

文◎柏 澄子 Text by Sumiko Kashiwa
写真◎舟生大悟、佐藤雅彦 Photo by Daigo Funyu, Masahiko Sato
出典◎WILDERNESS No.7

なんて非情なんだ山は! でも山は、いつもの山だ。

ここからも苦しんだ。「出発したことを後悔」というほど寒く、ラッセルは深く延々。視界も悪く不動岳の先に雪洞、2泊。先の計算をし直した。残りの日数は11日間。19日までに槍ヶ岳を越えられなければ、槍平から下山。20日のリミットは双六小屋、鏡平方面へ下山。烏帽子岳を越せば、ペースは上がるはずと思っていたが、冬型の気圧配置が続く。

1月13日 風下を下ると胸ラッセル。1時間に150mぐらいしか進まない。赤沢岳の登りは1時間に標高差40m程度。バンザイラッセル最高!

 翌日は強風が加わり、四つん這いになるときも。「3歩進んで3歩下がる」を繰り返し烏帽子小屋へ。今季最大の寒波を迎え停滞。巻き返しはこのあとだった。積雪が減り、好天もめぐってきた。16日に三俣山荘。17日は槍ヶ岳山荘に19時到着。

1月18日 岩稜をひたすら歩いた。きわどい場所もあり緊張する。天気が良かったので助かった。カリカリの雪面の上り下りで、ふくらはぎがパンパン。

1月19日 午前中は風が強く、馬ノ背からジャンダルムまでが緊張した。生きて帰ってこられてよかった。西穂に着いたときは叫んだ! 感動しました。

古くは竹中昇らが、この縦走を成した。1977年末から29日間。舟生と違うのはメンバーが3人、白馬山荘と水晶小屋にそれぞれ10日間、15日間の食糧と燃料をデポ、時間切れで槍から下山したこと。目標にしやすいルートであり、成功せずともトライした話はいくつもある。では、かつての者と舟生はなにが違ったのだろうか。

札幌市の借家に住む。玄関先も2階も山の装備ばかり。今回の山行では、テントの中でひとりの長い時間に、一軒家を建てたいと設計図まで描いた。

6年前(当時)の春、日高全山単独縦走した当時は、登山の全容を描けていなかった。それから舟生の経験はいっそう色濃くなった。冬期グランドジョラス北壁、モンブラン・プトレイ40時間。厳冬の北アルプスは、犬ヶ岳までの下見、船窪岳での敗退、穂高のパチンコなど。穂高で「それほど雪は悪くない」と知り、船窪岳まで縦走したことで、先が見えた。6年間に山のなかでさまざまな判断をし、経験を重ねた。真面目に登り続けている者は、確実に力がつく。

「船窪岳で敗退した前回とはメンタルが違った」と本人は言う。一昨年は尊敬するクライマーを立て続けに喪った。チャムランから今井健司が帰ってこなかった。入山直前には谷口けいが遭難死した。「自分も死ぬのではないか」と、無暗にネガティブな気持ちになった。

妻・未雪とは札幌のアウトドア専門学校同級生。電波が通じれば妻に連絡を入れ、富山県警からの情報も得ていた。下山後の舟生は「臭い」「ものすごく食べる」の二拍子。

でも、今回は違った。落ちれば死ぬ箇所もある。けれど閉じ込められる恐怖はなかった。勝算は五分五分、順調にいけば抜けられると考え、そのとおりになった。やり遂げる実力をつけた者だった。しかしそれは結果。実力だけでこの縦走が遂げられるだろうか。やればできるのと、やり通すのはまったく違う。歩き通すんだという、たしかな意志と健全な精神を持ち続けたことに価値がある。

山行中、これからの人生について、舟生は具体的に考えた。ガイド業、家族との生活、クライマーとして。山岳ガイドとクライマーの両輪を本気で駆動させられる時期は、人生を通じてそう長くない。けれど、舟生には若さがある。いまの健全な精神で登り続ければ、経験はもっと分厚くなる。その可能性を舟生は秘めている。理由は日記を読めばわかる。心底山を味わっているからだ。登山に集中できるのは幸せ者であり、それは、舟生の生き方そのものなのだ。

針丿木岳。
穂高岳山荘。
最後のピークは西穂高岳。充溢した穏やかな笑み。舟生は剱岳を登り、かつ避難小屋を使用せずしてこそ、この縦走は完成すると考えている。彼が先人の歩みをたどったように、次の者が完成させるだろうとも思っている。

>>>27日間単独縦走のギアを一挙紹介!

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PEAKS 編集部

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装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。

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