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宮崎秀夫 【山岳スーパースター列伝】#16

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2013年6月号 No.43

 

山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
スーパースターというべきかどうかはわからないが、特異な個性であることは間違いないこの人を紹介する。

 

宮崎秀夫

その男は「悲運のエジソン」と呼ばれている。

男は自ら考案した登山道具をいくつも商品化した。その多くは世界的に見ても先駆的といえるアイデアに基づくもので、後年、海外の一流メーカーの製品開発にも影響を与えたといわれている。

男は優れた登山家でもあった。伝説の登山家、ガストン・レビュファとロープを組んで登った経験のある数少ない日本人である。また、40年も前に谷川岳で初登攀したルートは時代を超えた困難さを誇り、再登者を迎えるまでに33年を要した。

男は優秀なコーチでもある。世界で活躍する女性スポーツクライマーの草分け的存在といえる小林由佳にクライミングを教えたのはこの男である。

しかし男が登山界の表舞台に立つことはほとんどない。したがって、その名を知る人は一部に限られている。

男の名は宮崎秀夫――。

「いまはさあ、マット売ってるんだよ、マット。わかる? クライミングジムに敷いてあるでしょ、あれだよ、あれ」

1944年生まれの宮崎秀夫は現在77歳。長谷川恒男などとほぼ同時代を生きてきた登山家だ。

宮崎の自宅は東京目黒区の住宅街にある。玄関の横には古びた看板がかかっており、「日本スポーツクライミング研究所」という手書きの文字がかろうじて判読できる。宮崎はここで、登山・クライミング用品の製造・販売事業を行なっている。マットは現在の主力商品なのである。

1970年代、ヨーロッパアルプスの山を精力的に登りこんでいた宮崎は、80年代以降、それまでの登山経験から得たアイデアをもとに、個人でさまざまな登山用具の開発・販売を始める。

クライミングギアのカム回収器「宮崎リムーバー」、アイスクライミング用アックスのリストループ「宮崎ホイホイ」、アイススクリューの氷詰まりを簡単に取り除ける「宮崎チョンチョン」……。

そのネーミングセンスはさておき、手作り感満点の見た目に反して使い勝手は確かによく、一時期、宮崎ホイホイはアイスクライマーの間で定番的な人気を誇った。「シュイナードだってマネしたんだからよ!」と宮崎は胸を張る。

宮崎の開発した製品でもっとも有名なのは、1980年代初頭に発売された「スノーシャット」であろう。クランポンの雪付きを防ぐアンチスノープレートである。

当時のクランポンにこれは付いておらず、宮崎は実用新案まで取得した。有効期間は10年。その間、他のメーカーからはアンチスノープレートが付いたクランポンは発売されなかった。ひとつだけ販売したメーカーがあり、宮崎は権利を主張することもできたが、結局それをしなかった。

「メンドくさくなっちゃって」

「まあ、みんなが使ってくれて安全性が高まるほうがいいしね」

いまでは市販のクランポンには当たり前にアンチスノープレートが付いている。宮崎のアイデアは、自身で販売したスノーシャットの売り上げ以外には1円も生まず、印税生活は夢に終わった。そしてスノーシャットという名前自体も忘れられようとしている。だから「悲運のエジソン」なのである。

それにしても、その多彩な経歴のわりに知名度が高くないのはなぜなのか。「オレ文章書けないからさあ」と、冗談とも本気ともつかぬセリフを吐きながら宮崎はこう続ける。

「有名になんかならないほうがいいんだよ。有名になった登山家はみんな山で死んじゃったからね。オレは無名のままで好きなことやっていたいから」

長谷川恒男しかり、植村直己しかり。そうした登山家と同時代を生きてきた人間ゆえの思いなのだろうか。

「それより、このマットの溶着機械がすごくてね、まさに金の成る木なんだよ!」

元祖ガレージブランド・宮崎秀夫は、いまも目黒の自宅兼研究所で、次なる製品開発へのアイデアをめぐらせている。

 

宮崎秀夫
Miyazaki Hideo
1944年生まれ東京都出身。1970年代早くからヨーロッパアルプスに通いつめ、グランドジョラス北壁ジャパニーズ・クーローアール初登などの記録を残す。1984年には谷川岳の氷瀑「シーラカンス」を初登。これは以後33年間、登攀に成功する者が現れなかった。

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PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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