ジェフ・ロウ 【山岳スーパースター列伝】#19
森山憲一
- 2022年05月10日
文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2018年10月号 No.107
山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
テクニカル・アルパインの代名詞ともいえるこの人を紹介したい。
ジェフ・ロウ
2017年7月、パキスタンにあるラトック1峰(7,145m)北稜が登られ、世界のアルパインクライミング界の大きな話題となった。上部で大きく迂回をしているので北稜の「完登」とはいえないが、北面から山頂まで達したのは歴史上初めてのこと。ビッグクライムであることは間違いない。
なぜこれが大きな話題になったのかというと、ラトック1峰の北面は、未踏のルートなどほとんどなくなった現代において、人類がどうしても登れなかった数少ない大物課題のひとつだったからだ。
初めて北稜がトライされたのは1978年。以来、世界最高クラスのクライマーが北稜やその隣に位置する北壁に何度も挑戦していながら、ことごとく跳ね返されてきた。
そのクライマーたちの名は、ラブ・キャリントン(Rabの創業者だ)、トーマス・フーバー、コリン・ヘイリーなど。彼らが登れなかったと聞くだけで、難しさがわかろうというもの。日本のエース・佐藤裕介らも北壁にトライしたことがあるが、あまりのコンディションの悪さに手も足も出ず敗退している。
40年以上前、そのラトック1峰北稜に初めて挑戦したのが、今回の主役となるジェフ・ロウである。
アメリカ人のロウは、4人チームで北稜にトライ。頂上直下わずか150mまで迫りながらも登頂は果たせなかった。2017年に登られたルートはこの下から右に迂回しているので、北稜自体の人類最高到達地点は、現在でも40年前のロウらのチームが記録を保持していることになる。
このラトックを筆頭に、1970年代から90年代にかけて、ロウはアメリカのアルパインクライミングの旗手として獅子奮迅の活躍を見せていた。ロウが得意としたのはテクニカルで困難なクライミング。彼の登るルートはどれも激烈に難しく、世界のアルパインクライミングの新しい扉を開くようなものばかりだった。
とくに際だっていたのがアイスクライミングテクニック。ロウは、アックスやクランポンを巧みに操って岩壁を登るテクニックも編み出した。これによって、それまでは登れる対象とは見なされなかったオーバーハングしたミックス壁(氷混じりの岩壁)にも登路が見出されるようになっていく。
これはモダンアルパインクライミングにおいて革命的な事件であり、これ以降、アックスなどの道具も飛躍的な進歩を遂げた。ロウがいなかったら、現代のアイスクライミングの進歩は10年は遅れていたかもしれない。
ところで、ロウの名はアルファベットで記せば Jeff Lowe。これを見てピンとくる人もいるかもしれない。そう、「ロウアルパイン」は、ロウが創業したメーカーなのだ。ロウには、グレッグとマイクという兄弟がいて、彼らはアメリカの登山界では「ロウ三兄弟」として知られていた。その三兄弟で「使えるギアを作ろう」と創業したのがロウアルパインなのである。
ロウアルパインは、現在ではトレッキング向けのバックパックやウエアが中心になっているが、ジェフやグレッグが関わっていた初期は、マニアックなハードギアやクライミングパックで知られる、かなり尖ったブランドだった。ジェフとグレッグは道具作りにも才能があったようで、その後に影響を与えた革新的なギアをいくつも開発した。
さて、ジェフ・ロウといえば、カトリーヌ・デスティベルのことについてもふれておかねばなるまい。1980年代にフリークライミングの女王だったデスティベルにアルパインクライミングを教え、90年代にアルピニストとしての飛躍をもたらしたのはロウである。
このころふたりは、クライミングパートナーだっただけでなく、付き合ってもいたらしい。デスティベルの大ファンだった私はもちろんおもしろく思っていなかったが、ロウはメタメタにクライミングがうまいうえに、知的かつダンディーな風貌で、すべてにかなわない私はどうすることもできなかった(いずれにしたってどうすることもできないけど)。
40代後半まで世界の第一線で登り続けたロウだが、2000年代に入り、ALSに似た難病を発病。闘病を続けていたが、2018年8月24日、ついに67年の生涯を閉じた。偉大なるアルパインクライミング導師の冥福を祈ります。
ジェフ・ロウ
Jeff Lowe
1950年~2018年。アメリカ・ユタ州出身のアルパインクライマー。6歳のときに父親に連れられてグランドティートンを登る。ザイオン・ムーンライトバットレス初登攀(1971)、クワンデ北壁初登攀(1982)、アイガー北壁最難ルートといわれる「メタノイア」単独初登(1991)、世界初のM8「オクトパシー」初登(1994)など、長年にわたって世界最先端のクライミングを続けた。
SHARE
PROFILE
PEAKS / 山岳ライター
森山憲一
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com