BRAND

  • FUNQ
  • ランドネ
  • PEAKS
  • フィールドライフ
  • SALT WORLD
  • EVEN
  • Bicycle Club
  • RUNNING style
  • FUNQ NALU
  • BLADES(ブレード)
  • flick!
  • じゆけんTV
  • buono
  • eBikeLife
  • HATSUDO
  • Kyoto in Tokyo

STORE

  • FUNQTEN ファンクテン

MEMBER

  • EVEN BOX
  • PEAKS BOX
  • Mt.ランドネ
  • Bicycle Club BOX

バブ・チリ・シェルパ 【山岳スーパースター列伝】#23

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2014年4月号 No.55

 

山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
今回は隠れたスーパースターというか、影の実力者というか、シェルパの実力を世界に知らしめたこの人物。

 

バブ・チリ・シェルパ

2014年4月18日、エベレストで大規模な雪崩があり、シェルパ16人が亡くなるという事故があった。このためにこの年のエベレスト登山は事実上不可能になり、ほとんどの隊が登山活動をできないまま帰国の途についた。

このことでわかるように、いまやヒマラヤ、とくにエベレスト登山ではシェルパの活躍は欠かせないものになっており、彼らのサポートがなければ登山はできないといってもいい。

シェルパというと、荷上げのポーター役というイメージが強いかもしれないが、エベレストではそうではない。先頭をきってルートを拓いていくのはシェルパであり、彼らがロープを張ってきっちり整備したルートを、多くの登山者が登るというのが普通になっている。そのどちらが大変であるかは、言うまでもないことと思う。

しかしシェルパ個人が登山界で注目されることはほとんどない。たとえば三浦雄一郎でも野口健でもいい。彼らの業績が脚光を浴びることはあっても、彼らのためにルートを拓いたシェルパがだれなのかは、だれも知らない。一般の人が知らないだけでなく、登山に詳しい人でもほとんど知らないのだ。かくいう私だって知らない。でも、本当にすごいのはその人たちではないのか。

個人の名前が表に出てくることはほとんどないが、トップクラスのシェルパはじつは驚くべき強さを誇っている。欧米の最強クライマーといえど、シェルパのエースとスピード勝負をして勝てるかどうかはわからない。ノーマルルートだったら勝てないような気がする。

考えてみれば、エベレストに人類初登頂したのは、テンジン・ノルゲイというシェルパだ。テンジンはエドモンド・ヒラリーとふたりで頂上に立った。これはイギリスが国家の威信をかけて送り出した隊。その最終メンバーのひとりにシェルパが選ばれているのはどういうことか。登れる可能性がいちばん高い人物だったから、ということであるはずなのだ。

しかしどんなに強いといっても、シェルパは基本的に仕事で山に登っているわけで、欧米や日本の登山家のように自己実現や趣味で山に登ることはない。そういう時代が長く続いていたのだが、近年、シェルパ自身のプロジェクトとして登山を行なう者が増えてきた。*1

彼らが自分への挑戦として山に登れば、どんなすさまじい記録が生まれるのか。それを最初に示したのが、バブ・チリ・シェルパという人物だ。

バブ・チリは2000年、エベレストのベースキャンプから頂上まで16時間56分 *2 で登るというスピードレコードを作った。これだけだとピンとこないが、通常の隊であれば速くてもまる3日はかかる行程である。ちなみにシェルパをのぞいた外国人の最速記録は22時間30分。こちらは無酸素の記録なので、酸素ボンベを使ったバブ・チリと同列に比較はできないが、どちらも勝るとも劣らずというレベルにあるとはいえるだろう。

バブ・チリはその前年、エベレストの頂上に酸素ボンベなしで21時間滞在するという記録も作っている。頂上に滞在することにいったいどういう意味があるのかはよくわからないが、8,848mという標高は、普通の人ならいるだけでも30分で死ぬといわれる環境である。人類の限界を示したという意味はあるのだろう。

こうしてバブ・チリは、テンジン以来、世界にその名を知られるシェルパとなった。ネパール国内ではもちろん英雄扱いである。しかしスピード記録の翌年、クレバスに落ちてあっけなく亡くなってしまった。そのとき35歳。まだまだ活躍できたはずだ。

バブ・チリに刺激されたのか、その後、スピード記録に挑戦するシェルパが何人も現れ、これまでの最速は8時間10分だという。ただしこの記録は信憑性が疑われてもいる。*3 バブ・チリの活躍は「挑戦するシェルパ」を生み出したが、一方で、名誉欲にかられるシェルパも生み出してしまったのかもしれない。

 

*1 本記事初出の2014年以降、自身のチャレンジとして登山を行なうシェルパは飛躍的に増えている。2021年1月、標高世界第2位のK2(8,611m)がオール・ネパール人の隊によって冬期初登頂されたのが、その象徴的な事例。

*2 ネパール側ルートでの記録。チベット側ルートの最速記録は16時間45分(ハンス・カマーランダー/1995年)

*3 ギネスに認定されている記録は10時間56分46秒(ラクパ・ゲル・シェルパ/2003年)

 

バブ・チリ・シェルパ
Babu Chiri Sherpa
1965~2001年。エベレスト山麓のクンブ地方のシェルパ族の村に生まれる。主にエベレスト登山のサポートで活躍し、自身でも、エベレスト山頂最長滞在記録(21時間)や最速登頂記録(16時間56分)を樹立。エベレストには生涯で10回登頂。2001年、エベレストでクレバスに落ちて死亡。

SHARE

PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

No more pages to load