桑の実から思い出される土地の記憶|筆とまなざし#285
成瀬洋平
- 2022年06月29日
ひさしぶりに口にした桑の実のおいしさに魅了されて。
黒紫の細長くて少しひん曲がった実。小さな膨らみが密集し、その曲線が光を反射させて輝いています。隣にはまだ色付いていない、黄緑色の実。熟した実を一粒ポロリと手に取って口に入れました。
「桑の実ってこんなに甘かったっけ?」
記憶の味よりも格段に美味しく、枝を引っ張っては色付いた実を次々と口に運びました。手を見ると、桑の実を食べた動かぬ証拠のように潰れた果汁で皮膚が紫色に染まっていました。
それは岩場からの帰り道。小川に沿って畑の畦道を歩いていたときのことでした。かつての養蚕の名残でしょうか。川沿いに桑の木があったのです。それ自体は珍しいものではありません。以前住んでいた家から長い坂を下ったところにも桑の木があり、この季節になるとたくさんの実が落ちて道が紫色に染まるほどでしたし、ほかの場所でもときどき見かけることはありました。けれども食べたのはずいぶんひさしぶり。記憶をたどると、子どものころ、近所にあった桑の実を食べて以来のことのように思いました。ひさしぶりに食べた桑の実はとても甘く、種が潰れるような独特の食感と美味しさにすっかり魅了されてしまいました。熟した実をひとしきり食べてから車へ戻りました。
たしかこのあたりにあったはず……。幼少期をすごした本家の裏。田んぼを挟んだ反対側にある家の手前からクランク型の道を進むと、クルミの木の側に桑の木がありました。すっかり熟した実がたわわに実っています。しかし木の背が高く、容易には採れそうにありません。そもそも、そこは裏のおじさんの土地。子どもでもあるまいし、勝手に採っていたら不審がられるでしょう。けれども、子どものころの記憶どおりにいまも桑の木があったことに、なんだかとても安心することができました。
土地との繋がりとはなんだろう。子どものころは近所の田畑や森で遊んで、その土地に慣れ親しんでいました。この場所を離れ、戻り、仕事や岩登り出かけていると、未だにその土地との繋がりを再構築できていないような気がします。移動も車ばかりで、その風景と関係を結ぶにはいささかスピードが早すぎるのかもしれません。
今週は晴れが続いています。天気予報によると異例の早さで梅雨が明けたのだとか。一粒の桑の実に思いを寄せた、束の間の梅雨でした。
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