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高橋達郎が描く水彩画の挿絵と短編エッセイ『絵本の中に想う』|筆とまなざし#286

「ヒュッテ ジャヴェル」の創設者が紡ぐ、味わい深いエッセイ。

最近の週末はクライミング講習会を行なっています。晴れが続けば笠置山、天気を見て瑞小川山や瑞牆、伊那のジムなど少し遠出することもあります。そんな折、ある参加者が山の絵文集を何冊も持ってきてくれました。見るからに年代もので大判の本ばかり。これまで、大切にしてきた本だろうことはすぐにわかりました。

「もしよかったらお貸ししますよ」

そう言われて受け取って持ち帰り、アトリエで読んでみることにしました。

辻まこと『山で一泊』『山からの絵本』『辻まこと山の画文』、畦地梅太郎『山の出べそ』、上田哲農『きのうの山 きょうの山』、高橋達郎『絵本の中に想う』。

これまで読んだことのある本もありました。けれど、高橋達郎という人は聞いたことがありません。黄ばんだ白地の表紙にはあっさりとタイトルと著者名が印字され、その下に坂本直行の絵を思わせる水彩画が載っていました。白い山並みと灰色の雲。雲の切れ間に青空が覗き、手前には冬枯れの草原が広がっています。奥付の著者欄を見ると、現住所に「諏訪市霧ヶ峯沢渡 ヒュッテ ジャヴェル」とありました。霧ヶ峰にある山小屋「ヒュッテ ジャヴェル」。訪れたことはないけれど小屋の名前は聞き覚えがありました。著者はその山小屋の創設者でした。

大正2年、長野県南安曇郡穂高町生まれ。小学生時代に長野市に移住。その後、東京で暮らしていたようですが(たぶん)、戦時中に長野県諏訪郡富士見町に疎開。そして戦後間もなくして霧ヶ峰に山小屋を建て「ヒュッテ ジャヴェル」として営業を始めます。自身もその場所で暮らし、一年を通して霧ヶ峰の自然を見つめ続けました。

『絵本の中に想う』は、著者が60歳をすぎたころに書かれたもので、短編エッセイに水彩画の挿絵が添えられていました。エッセイは霧ヶ峰でのこと、若いころの冬山登山のこと、ドイツでの思い出など多岐に渡ります。決して洗練された文章ではないけれど、そこに書き記された思いはとても味わい深い。著者の写真を見ると、味わい深い人生を歩んできた人の生きざまが滲み出ているように感じられました。

絵の多くは霧ヶ峰から遠望できる北、中央、南アルプスや八ヶ岳を描いたもので、単純化された線と色彩が独特の温かみを醸し出しています。繁忙期の夏はとても絵を描く時間がないため、宿泊者がまばらになった秋ごろから絵を描くのだと言います。雪山を描いた絵が多いのはそのためです。

著者は『山の絵本』で知られる尾崎喜八に大きな影響を受け、親交を深めたそうです。尾崎喜八が富士見に疎開していたことは知っていましたが、著者もちょうど同時期に疎開していたのです。本文の端々に「尾崎先生」と書かれており、なにより「ヒュッテ ジャヴェル」は、尾崎がフランス人登山家エミール・ジャヴェルから取って名付けたのだそうです。

かつて、ぼくも二度ほど霧ヶ峰を訪れたことがあり、ページを捲るごとになだらかな草原の広がる夏の爽やかな風景が思い出されるのでした。

エッセイのなかにこんな一文がありました。

「登山という美しく、清く、生と死との堺を紙一重の道を己を大切にして一人歩むのが幸福への近道であるように私は思う。物質的な富だとか、名誉だとか、地位だとか、それを乗り越えて個の確立ができるか、どうかが、人の一生を支配するものであるように私は思う。」

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PROFILE

成瀬洋平

PEAKS / ライター・絵描き

成瀬洋平

1982年岐阜県生まれ。山でのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作の小屋で制作に取り組みながら地元の笠置山クライミングエリアでは整備やイベント企画にも携わる

成瀬洋平の記事一覧

1982年岐阜県生まれ。山でのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作の小屋で制作に取り組みながら地元の笠置山クライミングエリアでは整備やイベント企画にも携わる

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