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谷口けい 【山岳スーパースター列伝】#30

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2016年6月号 No.79

 

山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
日本の登山界に風のように現れ、突然に消えてしまった女性の存在を、ここに記しておきたい。

 

谷口けい

世界で初めてピオレドールを受賞した女性である。

ピオレドールというのはアルパインクライミング界でひとつの権威となっている賞で、クライミング界のアカデミー賞などとも呼ばれる。歴代受賞者には強力なアルパインクライマーが並ぶなかで、初めて女性として受賞したのが、この人、谷口けいというわけだ。

受賞当時は多くのメディアにも取り上げられ、読者のみなさんも一度は名前を聞いたことがあるかもしれない。日本人女性の先鋭登山家としては、田部井淳子以来、久々に現れた大物といってもいい。

だが、いまひとつこのコーナーにそぐわない感じがする。というのも、本人に「スーパースター感」がまるでないからだ。

よく言えば「風のような人」、悪く言えば「風来坊」。悪く言ったはずの風来坊も、当人はけっこう気に入ってしまいそうな雰囲気すらあり、少なくとも、スーパースターとどっちかを選べと迫ったら、迷いなく風来坊を選んでしまいそうな人なのだ。

だがしかし、非常に残念なことに、2015年末、彼女は北海道大雪山で転落死してしまった。谷口けいという登山家が存在していたことを記憶にとどめておくためにも、ここで取り上げたいと思う。

2016年3月、「谷口けいを偲ぶ会」が東京で行なわれた。500人くらいは出席していたのだろうか。そこであらためて感じたのが、彼女の交友の広さだった。出席者は3つに大別できた。「家族・友人・仕事関係」「登山関係」「アドベンチャーレース関係」。

対外的には、谷口けいの名前は圧倒的に登山で知られているのだが、それと同じくらいの数のアドベンチャーレース関係者が、彼女を偲ぶために集まっていた。 名をなした登山家でこういう例はあまり聞いたことがない。名をなすような登山家は、人生を登山一本に捧げてきた人が多く、交友は登山関係者がほとんどという場合が多いからだ。それとは異なる雰囲気が谷口の「偲ぶ会」にはあった。

谷口はそのときどきの興味の赴くままに、自転車やアドベンチャーレース、登山を行なってきた。そういう人はほかにもたくさんいる。私の身の回りにもいるし、あなたの知り合いにもいるだろう。だが、そのすべてで国内トップレベルの実績を残した人はいないはずだ。谷口が特異な存在である理由はそこにある。

そもそも私が谷口けいの名を初めて聞いたのは、アドベンチャーレーサーとしてだった。世界でもトップを競うチーム「イーストウインド」の一員として。イーストウインドといえば、田中正人や田中陽希が属する屈強中の屈強チーム。その唯一の女性メンバーなのだから、力のほどはうかがい知れたものだった。

その後も女性だけのチームを結成するなど、バイタリティあふれる活動でアドベンチャーレースシーンを引っ張っていた。

それがいつのころからか、登山でもその名を聞くようになっていた。それも、トレイルランニングやファストパッキング系の登山ならまだわかるが、谷口が向かっていたのはヒマラヤ。アドベンチャーレースの経験が役に立たない分野とはいわないが、ベクトルはだいぶ異なっている。

そのヒマラヤでも、野口健に誘われてエベレストに行っているかと思えば、平出和也と組んでテクニカルなクライミングも行なう。ここでもまたやっていることが、よく言えば幅広く、悪く言えば一貫性がない。でありながら、カメット南壁という未踏の壁を登ってピオレドールをかっさらっていく。

以降、雑誌で原稿を頼んだりすることが何度かあったが、北陸の低山を友人ときゃっきゃと登っている文章が送られてきたりした。

「私の本名の『桂』の木がとてもきれいな山だったんです」

たぶん、旧来の登山のモノサシでははかれない人だったのだろう。 

「私はクライマーではなく旅人」とよく言っていたという。確かに、やっていたことのレベルの高さを別にすれば、「山岳スーパースター」よりも、「風のような旅人」という形容のほうがはるかに似合う人だったのだ。

 

谷口けい
Taniguchi Kei
1972~2015年。和歌山県出身の登山家、アドベンチャーレーサー。大学時代に自転車を始め、アドベンチャーレーサーとして活躍。2001年には伊豆アドベンチャーレース優勝、アメリカ・エコチャレンジ11位などの実績を残す。2004年ごろから活動の主軸を登山に移し、マナスル(8,163m)やエベレスト(8,849m)に登頂。2008年にはインド・ヒマラヤのカメット(7,756m)南東壁を初登攀し、ピオレドールを受賞。2015年12月に大雪山で滑落死。

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PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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