家族3人でおじさんの弔い登山へ|筆とまなざし#290
成瀬洋平
- 2022年08月10日
ぼくら家族にとって大きな意味をもった穂高登山。ミッションを携えて。
73歳になる父と妻と3人で北穂に行ってきました。父は四十年ぶりの北穂。妻は初めての穂高登山。この山行は、ぼくら家族にとってとても大きな意味がありました。それは、十数年前に亡くなった父の従兄弟、ぼくのおじさんの弔いの登山だったからです。
父よりも九つ上のおじさんは、若いころに穂高の岩壁に通ったクライマーでした。結婚を機に山をやらなくなったのだけれど、滝谷を登ったときの話などをおもしろおかしく話してくれたことが思い出に残っています。ぼくが山やクライミングに興味を持ったのも、少なからずおじさんの影響があります。そのおじさんの遺骨を持って穂高に登る。それが父にとってもぼくにとっても、やらなくてはならないミッションだったのです。滝谷は北穂の岐阜県側に切れ落ちた断崖、父は北穂高小屋に特別な思い入れがありましたし、妻も小屋の雰囲気を気に入りそう。ぼくもテント泊しかしたことがなく一度小屋に泊まってみたいと思っていました。
数年前に一度行ったものの、雨がひどくて涸沢で引き返してきました。行こうと思えばいつでも行ける……そう思いながらも悪戯に年月だけがすぎていました。いや、いつでも行けると思っているうちは行けないもの。普段山に登っていない父は体力的なリミットもあり、ウォーキングで足腰を鍛えていました。タイミングは今年だと思いました。7月に予定していたけれど長雨のために延期。束の間の晴れを狙って、8月に入ってすぐに出かけることにしました。
父のようすを見るため初日は横尾まで。梓川沿いの道を、途中の徳沢でソフトクリームを頬張りながら歩きました。いいペースで順調に進み、昼すぎには横尾に到着。久しぶりに見る青空。爽やかな風と木漏れ日が眩しく、穂高の山々がくっきりと望める、すばらしい一日でした。
早く着いたので梓川の畔の前穂が見られる場所に腰を下ろし、スケッチブックを取り出しました。午後になると稜線には鉛色の雲が広がりました。陰っているときはいいけれど、陽が差すと暑くて仕方がありません。炎天下でのスケッチは日射病の危険があります。鉛筆での下描きを終えたところで木陰に移動し、絵の具で着色しました。描いていると実際とは違う色彩のイメージが湧き上がり、その印象を頼りに絵筆を走らせました。この絵は、きっと自分にとってとても大切な一枚になるだろう。描き終わったとき、ふとそんなふうに思いました。
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