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家族3人でおじさんの弔い登山へ~穂高岳小屋へ~|筆とまなざし#291

その風景に個人的な物語があることで風景は重層的な意味を持つ。

翌日も朝から快晴。こんなに気持ちの良い朝を迎えたのは何時ぶりでしょう。気温が上がらないうちにできるだけ進もうと、朝食を食べてすぐ、左手に屏風岩を見上げながら涸沢へ続く道を歩き始めました。朝日が昇ってきましたが山陰が強い日差しを遮ってくれ、快適。本谷橋を渡り、本格的な登山道に差し掛かりました。平坦な道は良いペースで歩いていた父も、傾斜が増すとペースが落ちてきました。休み休み、予定より時間がかかって涸沢に到着しました。

今日の宿泊地は北穂高小屋の予定です。しかしこのペースだとずいぶん遅れてしまいそう。急な登りに体力がもつかも心配でしたが、夕立もなさそうだし、父の気力は十分でした。午後2時に途中のクサリ場を通過できなければ引き返すことにし、北穂を目指すことにしました。

クサリ場は比較的早い時間に通過することができました。ゆっくりではありましたが父はがんばり、なんとか自分の足で北穂高岳の頂上へたどり着きました。四十年ぶりの北穂高岳登頂。あいにくガスっていて展望は望めませんでしたが、無事にたどり着いた安堵感を胸に北穂の小屋の戸を開けました。

小屋ではすでに多くの登山者がくつろいでいました。多くの、といっても、岩肌にへばりつくように建てられた山小屋、それほど収容人数が多い訳ではありません。よくもこんなところに山小屋を作ったものだと、山小屋の主の情熱にはただただ驚くばかりです。しかも横尾で切り出した木材を人力で担ぎ上げたというのだからたまげます。

小屋に入ると、黒光りする柱と床に囲まれたこぢんまりとした心地よい空間に夕食の香りが漂っていました。部屋へ向かう途中、階段を上ったところで父が言いました。

「ああ、四十年前の面影が残ってるなぁ」

外観と規模はずいぶん変わったものの、なかの作りはそのまま残っているところがあるようでした。そして昔と変わらないことは、食堂にクラシック音楽が流れていることと生花が飾られていることだと言いました。父が最後に北穂の小屋を訪れたのは四十年前の秋分の日。宿泊客は5名で夕食後にティータイムがありました。食堂にみんなが集まり、歓談をしているとモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」が流れてきたそうです。フルートの音色はなんて山に合うのだろう。それ以来、父はその曲とフルートが大好きになりました。翌朝は雪が積もっており、従業員がつけたトレースを頼りに下ってきたのだと言いました。

夕食後、外に出るとガスのなかに滝谷の岩壁が影となって浮かび上がりました。もう一度、おじさんをこの場所に連れてくることができました。おじさんの追悼の登山は父にとって追憶の登山となりました。妻にとっては穂高の景色に圧倒される山行となりさっそく作品のモチーフにしています。そしてぼくにとってはさまざまな思いの詰まった山行となりました。その風景に個人的な物語があることで風景は重層的な意味を持ち、見る人に大きな印象を与えるのかもしれません。

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PROFILE

成瀬洋平

PEAKS / ライター・絵描き

成瀬洋平

1982年岐阜県生まれ。山でのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作の小屋で制作に取り組みながら地元の笠置山クライミングエリアでは整備やイベント企画にも携わる

成瀬洋平の記事一覧

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