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<アルパインクライミングのカリスマ> ワルテル・ボナッティ 【山岳スーパースター列伝】#50

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2017年4月号 No.89

 

山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
ヨーロッパアルプス最強の男であり、伝説の登山家でもあるこの人物が登場する。

 

ワルテル・ボナッティ

「山岳スーパースター列伝」というタイトルにふさわしい人を選ぶとなると、1980年代くらいまでは比較的簡単だ。

第二次大戦後すぐの10年間くらいはオーストリアのヘルマン・ブール。ヒマラヤ8,000m峰初登頂の時代に、ナンガ・パルバット初登頂を単独無酸素で成し遂げてしまった超人である。1970年代から80年代は、イタリアのラインホルト・メスナー。エベレストを史上初めて単独で登頂した、これまた世界の登山界の大巨人。

では、そのブールとメスナーにはさまれた時代を代表する人物はだれかといえば、この人、イタリアのワルテル・ボナッティになるのではないだろうか。

ヒマラヤでは目立った活躍がなかったために、日本での世間的な知名度はブールとメスナーにおよばないかもしれないが、クライマーの間での、とくにヨーロッパでの人気のほどは絶大なものがある。時代を経て、むしろブールやメスナーよりも評価は高まっているのではないかと思われるほどだ。

ボナッティのもっとも有名な業績は、ドリュ南西岩稜単独初登攀と、マッターホルン北壁冬季単独初登攀。どちらもヨーロッパアルプスの山である。ボナッティもK2やガッシャブルムⅣ峰などでヒマラヤ登山の実績はあるが、知られているのは圧倒的にアルプスでの業績。ボナッティはアルプスで難課題とされていたルートを登りまくり、ヒマラヤ8,000m峰で華々しく活躍したブールやメスナーに匹敵する名声を得たのである。

ヨーロッパアルプスの山は標高4,000mそこそこ。しかし技術的に困難な岩壁が多く、ボナッティは時代を超えたテクニックとあふれるモチベーションで、それらを次々に落としていった。 ヨーロッパでは、すぐれたアルピニスト(アルプスの山を登るクライマー)は、日本では想像できないほど社会的に大きな尊敬を集めている。1950年代から60年代にかけて、ボナッティ全盛期の活躍ぶりはまさに圧倒的といってよく、彼はアルプスをベースに一大ヒーローとなったのだ。

技術がすぐれていただけではなく、ボナッティには先見性も備わっていた。登山技術と装備が発展し、物量と人員を投入すれば、ヒマラヤ8,000m峰といえど登れない山はない時代に入ったことを彼は早くから察知する。

このままでは登山はたんなる土木工事のようになってしまうと案じたボナッティは、時代に逆行して、装備とメンバーを絞り込み、あくまで個の力で山と相対する道を選ぶ。これは、その後、フリークライミングの基礎ともなった思想で、現在ではなじみ深い考え方だが、当時の先鋭登山界でこうした考えをもっている人物は少なかった。

さらに、辺境中の辺境だったパタゴニアに、1958年という早い時期に足を踏み入れている。いまでこそパタゴニアは世界中からクライマーが集まる地となっているが、ボナッティの時代は探検の地といえるほど、人跡未踏の場所だった。

ボナッティにとっては、いかに標高が高かろうと、物量を投入して安全確実なルート工作をするヒマラヤ登山には冒険を見出せなかったのだという。それよりも自分がやりたいことは、できるかどうかわからない、先行きがどうなっているかわからない、未知の領域に自身をかけて踏み込むこと。山頂はその結果にすぎず、やりたいことの本質は冒険だったのだと。

キャリア最高の業績のひとつとされるマッターホルン北壁冬季単独初登攀を果たした直後、ボナッティは、これだけ活躍した登山家としては珍しく、35歳でぷっつりと登山をやめている。その後のことはあまり知られていないが、有名な女優だった奥さん(ロッサナ・ポデスタ。正確には内縁の妻)と世界の辺境を旅行して歩いていたらしい。

「登山で自分がやるべきことは全部やってしまった」

早すぎる引退を、ボナッティ自身はそう説明している。自分にとって山は目的ではなく、自己を知るための手段だった。その段階はクリアしたと悟り、異なる自分を知る旅に出たのだという。

輝かしいキャリアをすっぱり捨てて、別の世界に行ってしまったボナッティ。そうした潔すぎるほどの態度がまた、彼を伝説としているのだ。

 

ワルテル・ボナッティ
Walter Bonatti
1930年~2011年。イタリア出身の登山家。1950年ごろからヨーロッパアルプスの山で活躍し、ドロミテやドリュ、グランドジョラス、マッターホルンなどで数々の初登攀を記録。1954年にK2(8,611m)初登頂隊に加わり、1958年には、カラコルム最難と目される山、ガッシャブルムⅣ峰(7,925m)を初登頂。2009年に、ピオレドールの初代生涯功労賞を受賞。

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PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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