「新しい門出に絵を贈りたい」コマクサは友情の証|筆とまなざし#321
成瀬洋平
- 2023年03月29日
退職する友人に贈る絵を依頼されて。
「退職する友人に絵を贈りたい」
そう言われたのは少し前のことだった。ご依頼してくれたのは、ぼくが高校生のときに入っていた地元山岳会のNさんである。高校1年生のとき、夏合宿でいっしょに北岳に登った思い出がある。食当だったNさんに「洋平くん好きな食べ物はなに?」と聞かれ、パスタだと答えると晩ごはんはオイルサーディンのペペロンチーノとなった。山岳会の合宿にしてはとびきりオシャレで、ぼくは生まれて初めてペペロンチーノなるものを食べたのだった。もう20年以上前の話で、Nさんはいまのぼくよりもずっと若かったはずである。
Nさんは小学校の先生をしており、働き始めてすぐに山好きの同僚と出会った。
「年はひとつ下なんだけど、お互い学生時代にワンゲル部だったってこともあってすぐに仲良くなったの」
すっかり意気投合したふたりは年末年始の休みを利用し、女性メンバーだけでニュージーランドに向かった。ルートバーントラックを歩いたりマウントクックをすぐ間近で仰ぎ見た。その後は違う職場になったけれど友好関係は続き、授業のための勉強会サークルをいっしょに立ち上げた。その活動はいまも続いている。
「定年にはまだ早いんだけど、彼女が早めに退職することになったの。いまのうちにやりたいことをしたいって、大学院に通うことになって。人生にはいろんな転換点があるけど、彼女にとっていまがそう。新しい門出に絵を贈りたいと思ったの。山の風景だと好みがある。それに若いころは頂上を目指したけれど、いまはもっと心が和むもののほうがいい。ワンゲルに入ったとき初めて高い山に登って初めてコマクサを見た。『これがコマクサかー』って思ったんだけど、きっと彼女もそうだと思ってね。だからコマクサの絵をお願いしたいです」
Nさん自身、山岳会の遠征でチベットの未踏峰を6,200m地点まで登っているしアイガーにも登頂した経験の持ち主である。
「いまはあまり山に行っていないけど、トレーニングして3年後くらいにいっしょにスイスの山に行きたいねって話になったの」
そう話すNさんの笑顔は20数年前と全く変わっていなかった。
新しい門出を祈願して描いたコマクサはふたりの友情の証。そしてふたりの新たなる山旅を祈願するものになってくれたらと思う。
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