イタリア北東部の小さな村・バルツォへ|筆とまなざし#348
成瀬洋平
- 2023年10月25日
ヨーロッパを代表するトラッドクライミングエリア・オッソラにあるルーフワイドクラックに興味をそそられて。
オルコから北東へ、スイスの国境までわずか7kmの小さな村、バルツォへやって来たのは、Airbnbで探した安い宿があったからだった。村の南北を高さ数百メートルはあろうかという岩壁が取り囲んでいる。深い谷に家々がより集まり、端から端までは2kmにも満たない。谷沿いには車道のほかに鉄道も通っておりスイスへと続いている。そのため、イタリア語だけでなくドイツ語も聞かれるしスイスナンバーの車も目に留まる。ロカーナが陽気な雰囲気だったのに比べるとこちらはもっと山国という感じだった。
安宿は入り組んだ石造りの細い路地を歩いた先にあった。周りには民家があるもののあまり人の気配がしないのもロカーナとの大きな違い。玄関の前には葡萄の棚があって夏は心地よい日除となるのだろうが、バルツォに着いた翌日から毎日のように雨が降り、気温が10℃以上も下がり寒いので葡萄の木陰で涼む必要もなくなってしまった。そんな空模様も相まって、バルツォの村はなんだかもの寂しさを感じるのだった。
このあたりはピエモンテ州ヴェルバーノ・クジオ・オッソラ県である。オルコと同じような片麻岩質の地域でいくつもの岩場が点在しており、それらをまとめてオッソラの岩場と呼んでいるようだ。岩にはクラックが形成されており、オルコと並んでヨーロッパを代表するトラッドクライミングエリアとして知られている。もっとも、ボルトルートが盛んなイタリアにあって、古くから登られている岩場はクラックの横にボルト打ってあり、トラッドクライミングが盛んに行なわれるようになったのは比較的最近のことのようである。その証拠に、新しく初登されたクラックにはボルトが打たれていないし、元々ボルトを使って登られていた高難度クラックがバブシやヤコポ、ジェイムス・ピアソンらによってリムーバブルプロテクションで登られるようになったのもこの10年くらいの話だろう。ちなみに、このようなスタイルで登ることはレトロトラッドと呼ばれている。昨年には「オッソラ・クラック」というオッソラのオススメトラッドルートをセレクトしたトポも発売され、レトロトラッドとして登った初登者の名前も記載されている。
アパートからほど近い(車で5分!)バルマという岩場には、元々ボルトルートとして開拓された「Profond Rosso(8a+)」というルートがある。取り付きから見るとハンドサイズから少し広めのクラックになり、傾斜を増す上部には細いクラックが続いていて明らかに難しそうである。このルートは我らが平山ユージさんが2011年にトラッドルートとして初めて登っているのだが、それはこの地域のクライミングに大きな影響を与えたできごとのようで、岩場にもトポにも平山さんの名前が大きく記載されている。
さて、これらのことは実際にオッソラに来て肌感覚で知ったことである。図らずもこの地域のクライミングの歴史に触れることになったのだが、そもそもオッソラに興味を持ったのはカダレゼという岩場があるためだった。昨年、オルコで出会ったドイツ人クライマーからカダレゼを勧められた。帰国してからクライミングの本を眺めているとバブシがもっとも好きな岩場として挙げており、別のページにはピート・ウィタカーが「Mustang(7c~8a?)」という美しいフィンガークラックを登る印象的な写真が掲載されていた。さらにルーフワイドクラックの「Turkey Crack(8a)」にも興味をそそられた。オルコからも遠くなく「Greenspit」が登れたら立ち寄ってみようと思ったのである。
それなのに雨である。バルツォに来て今日で6日目だが、登りに行ったのはバルマに1回、カダレゼに2回のみ。カダレゼでは偶然にもバブシのパートナーであるヤコポに出会うことができたし、「Turkey Crack」の登り方がわかってきたのだが、ここのところ雨で3日間の停滞を余儀なくされている。停滞といっても一昨日は国境を越えてスイスのゴンドーという場所にある岩場を見学したり、昨日はこのあたりでいちばん大きな街ドモドッソラに街歩きと買い出しに行ったりしてたのしんでいる。今日は雨が止んだら登りに行ってみようと思っていたけどその気配はなく、安宿のなかでのんびりとすごしている。
古い建物の2階部分を借りていて、ドアを開けるとすぐに小さなキッチンと冷蔵庫のあるダイニングルームがある。隣には寝室があって、その先にトイレとシャワーが付いている。白いペンキで塗られた室内はかわいらしい雰囲気で、ホーロー製の流しの上には両開きの窓が付いている。毎朝その窓から空模様を伺うのだけれど、いまも相変わらず灰色のまま。明日はひさしぶりに晴れる予報。果たして3日間降り続いた雨で岩は乾くのだろうか。
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