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偉大な背中を追いかけて 安原大貴【La PROTAGONISTA】

安原大貴は、オリンピアンであり現在所属するチームの監督である
安原昌弘の息子としてレース界では知られた存在だ。
近年、攻撃的な走りが実を結びそうな勢いの彼に、プロタゴニスタはフォーカスした。

■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1997年4月5日 身長・体重/171cm・61kg
血液型/A型

マトリックスパワータグ 安原大貴

【HISTORY】
22017-2009  奈良県立榛生昇陽高等学校自転車競技部
2010     日本大学自転車競技部
2011-2017  マトリックスパワータグ
2017後半   シエルヴォ奈良プロサイクリング
2018-2020  マトリックスパワータグ

プロトンが風を巻き上げながら周回コースを通り過ぎ、しばらく時がたった……。静かな森の奥から先導バイクのヘッドライトの光が現れた次の瞬間、風にハンドルを突き刺すように猛進してくる数名の選手たち。レースが動いたことを察したファンや関係者たちに緊張が走る……。プロトンとのタイムギャップを確認すると、周囲はレースの予想にがぜん慌ただしくなった。

身を削りイニシアチブを握ろうと果敢に展開する選手たちの存在はレースを熱くさせる。近年、レースが大きく動くシーンに安原大貴の名がアナウンスされることは珍しくない。「僕はレースでしか自分を表現できない。スタートラインに並んだときから、飛び出したくて身体中が騒ぐんです」

ハンドルに食い付くように深く構える彼のフォームは独特だ。後半に本命のエースが合流してもなお、レースのフロントで粘りアシストする姿はファンを感動させる。

オリンピアンの父の下で自転車競技に転向

これまでチームの監督でありアトランタ五輪に出場した父、安原昌弘の存在にプレッシャーを感じない日はなかったという。「少年時代はいつも『お前の父ちゃんスゲーな!』と言われ、どこかうれしい気持ちでした。でも、自分が同じ競技をやるとなれば真逆ですよね……」

それまで勉強も手につかないほど野球一筋の人生を送っていた彼は、大商大堺高校野球部に推薦され、その練習を見学に行った。しかし厳しい練習と規律を目にして、強豪校への進学の期待も一転、完全に萎縮してしまう。「学校推薦をもらっていたものの、僕は体育会系の縦社会がどうにも苦手で『これはちょっと無理やわ!』と……」

これをきっかけに、自転車に転向したいと父に持ちかけた。「今思えば自転車競技をなめていましたね、小さいころから父のレースを見ていて、『こんなん踏み込んだらいいだけやろ』と……」

父から榛生昇陽高校の徳地末広監督を紹介されると、優しく対応してくれた監督に安心し、進学を決意した。しかし入部すると様相が一変、そこは全国でも指折りの厳しい指導とキツい練習で有名な自転車競技の名門校だった。時に吉田隼人、入部正太朗をはじめとした全国区のトップレベルを争う先輩たちがズラリとそろっていた。「練習でちぎれるなんて許されない。学校では顧問と廊下で鉢合わせしないように、うまく逃げていました(笑)」

先輩たちと走っているだけで実力がついてくる環境。始発で学校に向かい、部活を終えて寝に帰る3年間を過ごした。「これで速くならなかったらおかしいと思える練習」は実を結び、2年のインターハイではポイントレースで準優勝、3年では大会新記録でチームパーシュート優勝を果たした。「結果を出して『大学でも選手を続けたい、でも少しラクなところがいい』と顧問に相談すると『力をつけているから、おまえは日大だ』と再び規律の厳しさで知られる日本大学に進学することに……」

しかし年ごろを迎えていた彼に、自転車で生活を縛られる苦しさを耐え抜くのは不可能だった。いったん自転車競技部に在籍するも、部のルールの厳しさに何度も逃げ出し、いつしか不登校に……。「ふつうの学生生活を送ってみたかったんです、体重も7kg増え、前に進めなくなっていました」

大学も半年で退学、彼の人生は進退きわまる状況を迎えてしまう。

ダイキ、諦めるなウチで走ってみないか?

2010年、チームマトリックスは阿部良之、真鍋和幸の五輪経験選手に、チームニッポからの外国人選手を支え新体制を整えていた。目標を失っていた安原に当時のGM松村拓紀が声をかけた。「トップスピードとレース勘を持ち合わせていた彼のポテンシャルを伸ばしてみたかった」(松村)

高校時代に必死にペダルを踏んできたことで道がつながった。そして同時にプロレーサーになったことで偉大な父の功績が重圧となってのしかかった。「父を前にしてレースで弱い自分であってはならない」。突然プロになってしまった自分にとまどううちに、いつしかまわりには無口で感情を抑えたおとなしい印象を与えるようになっていった。

しかし彼は自身のなかで、この重圧を払拭するたったひとつの方法を見出していた。それはレースで勝つこと……。以降、身を粉にしてペダルを踏み続けチームのアシストに徹する姿は、レースごとに目立つようになっていった。

そして2018年の東日本ロードクラシックではレース中盤、宇都宮ブリッツェンの増田成幸とプロトンを飛び出しレースをリード。最終展開でもチームメイトのアイラン・フェルナンデスの勝利に大きく貢献し、自身も4位となりトップで戦えることを証明した。

続く2019年4月のツール・ド・フィリピンでは、リーダージャージを着るフランシスコ・マンセボを守るため、ひとりでプロトンを60km牽引。「お前はカワサキバイクか!?」とマンセボに称えられ、チームの気運を持ち上げる存在にまで成長した。そして、いつの日か彼の表情は晴れ晴れとしたものに変わっていた。

先行していれば勝つ可能性がある

弱冠20歳でプロデビューして以来、無数に繰り返された彼のアタック。失敗を恐れずに挑んできたそのスタイルは、プロ10年めにしてレース展開の要となるまで磨きがかかってきた。

なぜ消耗を強いられる走りを貫くのかと聞いてみた。「性格的なものもありますが、レースの追手にまわってしまう怖さに比べれば、飛び出してからその先の展開を考えるほうがラクに感じるんです。それに先行していれば僕が勝つ可能性もある……」

2019年開幕戦では先行に徹した展開が功を奏して、シマノレーシングの入部正太朗、横山航太、愛三工業の岡本隼人相手にスプリント勝利を収めた。「もし自転車をやっていなかったら……。今の自分がどうなっていたかなんて想像もつかない。僕が小さいころそうだったように、自分の息子たちが『お前の父ちゃんスゴいな!』って言われるようにしてやりたいんです」

いよいよプロ選手としてピークを迎えようとしている安原大貴。その走りに注目していきたい!

チームの要として外国人選手からも信頼を置かれるようになった安原大貴

REPORTER

管洋介

海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍
AVENTURA Cycling

 

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管洋介

Bicycle Club / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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