41歳でブエルタに勝ったアメリカ人選手、クリス・ホーナーの逆転人生
中田尚志
- 2021年09月05日
INDEX
シーズン前半の手術、来季契約なし、チームからのサポートなし。2013年ブエルタ・ア・エスパーニャでクリス・ホーナーは、どうやって総合優勝の栄冠を掴んだのか? 前回に続きピークス・コーチング・グループの中田尚志さんがオンラインでインタビューした模様をお伝えする。
41歳、来季契約なし
冷たい雨の降る春先のティレーノ〜アドリアティコで腸脛靭帯炎を患い、ホーナーは長期離脱を余儀なくされた。彼の膝を治せる医者はすぐに見当たらず、長期離脱を余儀なくされた。アリゾナ州フェニックスで手術を受けレースに復帰したのは8月。この時既にチームの来季構想から外れていることを知っていたという。41歳の故障がちな選手にチームは興味を持たなかった。
彼は来季の契約を掴むため、唯一のサポーターである妻とスペインに渡った。
チームを味方につける
ブエルタのスタート地点に到着するもチームは彼が指定したバイクを準備できておらず、念のためにアメリカから持ち込んだトレーニングバイクで走ることを余儀なくされたという。
チームは数億円の複数年契約を結んだファビアン・カンチェラーラを中心に戦う方針で、ホーナーにエースを任せるつもりはなかった。
第3ステージで優勝しリーダージャージを獲得したときでさえ、翌日の作戦は「ファビアンでステージ優勝を狙おう」。ステージを狙いつつ一応総合も考えるという散漫なチーム戦略が上手くいくはずもなく、彼はマイヨ・ロホを失うことになった。
チームのサポートを得られないホーナーにとって唯一の味方はレースに同行していた彼の妻。ストレスが重なった日の夜は一緒に過ごすことで平静を取り戻したという。「ストレスを解消するために、彼女に来てもらったり、30分ほど外で過ごした。もうひとりのチームメートだったからね」
チームがホーナーへのバックアップ体制を整えたのは、ブエルタの後半に入ってから。彼が第10ステージに勝ってからのことだった。チームの動きは素晴らしく、平地ではカンチェラーラ、山ではキゼロスキー、スベルディアなどが彼のアシストを務め、総合争いに集中できるようになった。
総合優勝争いの戦術
若い頃から小さなチームで戦ってきたホーナーは、戦術面に長けていた。戦力が乏しくともアシストを上手く使ってレースに勝つ方法が身についていたのだ。
彼が求める最高のアシストは「最後までエースと一緒に先頭集団に残ってくれること」。プロの世界ではエースが孤立無援になった瞬間をライバルは見逃さない。
他チームから総攻撃を受けた時、ひとりでもチームメートが残っていればエースは脚を温存できる。パンクなどのトラブル時にも有効だ。またプロのレースは後半になるほど激しさを増すため、その時こそアシストを必要とするのもその理由だ。
そのため、彼はいわゆる前待ち作戦を好まない。
「前にひとり送るということはアシストがひとり減るということだ。そんな力があるのだったらエースの元にとどまって風よけや上りのアシストをするべきだよね。最終的にリーダーを守った選手が総合優勝者になる。アシストは無駄に体力を使うべきではない。アシストするか翌日以降のためにセーブするか。グランツールは3週間を通してどこでアシストを使い、どこで温存するかを考えなければならない」
第3週に入り、総合優勝争いはビンツェンツォ・ニバリとイバン・バッソのイタリア勢、アレハンドロ・バルベルデとホアキン・ロドリゲスのスペイン勢、そしてホーナーに絞られた。
「バルベルデとホアキンは元チームメート。どちらかがアタックしたら自身は追わないといった連携をとることは予想できた。もし先頭集団に友だちがいたら、できる限り手伝ってあげたいのが人情だろ?」
目標を総合優勝一本に絞ってから一切無駄な動きはせず、緻密な計算の元に攻撃を重ね第19ステージでニバリに3秒差をつけて総合リーダーに躍り出た。
アングリルを支えたピンズ
2位のニバリと3秒差で臨む最終決戦。第20ステージ。アングリルへの山頂ゴール。スタートセレモニーでホーナーは思わぬ経験をする。
「スタート地点でスペインの警官が僕に近づいてきた。 “ヘイ! もうすぐ42歳になろうとする君がこんな大きなレースで活躍しているのは凄い。僕らは君のレースを見守るために警護している。これをあげよう” そう言って彼は僕に警備隊のピンズをくれた。大接戦のアングリル。僕よりスプリント力に長けるニバリが、ゴール前でダッシュしたら3秒差はひっくり返ってしまう。 僕はこのピンズをお守りに身に着けて走ることを決めた」
アングリルでもホーナーの戦術はいかんなく発揮された。焦ってアタックを連発するニバリが疲れるまでじっと耐え、山頂に近づくのを待った。
山頂まで数百メートルのコーナーの出口で先行していた選手を追い抜くタイミングでアタック。アウトに膨らんだ彼らにニバリがブロックされるように仕向けた。
急斜面のコーナーで勾配が大きく変化することを読んでの動きだった。それまでアタックを連発していたニバリは対応できず遅れ、ホーナーのアタックが決まった。
「ヨーロッパのレースはいつも最後はエース同士の戦い。脚さえあればこれは意外に単純。でもアメリカでは、差のつきにくいコースレイアウトを短い距離で戦うために戦術面で失敗すると取り返しがつかない。しかも僕は小さなチームで戦っていたから、いつも自身の脚をどこでつかうか? アシストをどこで使うか? を考える必要があった。それが戦術についてよく考えるようになったキッカケだ。だから僕はヨーロッパでも戦術面で間違いをおかなさない選手になれた」
残すはマドリッドでの平坦ステージのみ。ホーナーはアングリル山頂でブエルタ優勝を確定させた。それはいまだ破られぬグランツール最年長優勝記録の更新でもあった。
インタビュー後記
ホーナーは26歳のときにアメリカ国内での活躍が認められワールド・ツアーにデビュー。しかし、ヨーロッパでの暮らしは上手く行かず失意の帰国。34歳で再度ワールド・ツアーに挑みツール・ド・フランスに初出場を果たした。
2度目の渡欧時、空港に着いたときの所持金はわずか数万円しかなかったという。こう聞くと少しぶっ飛んだ印象を受けるが、実際には冷静な判断力と自身を客観視する能力が高い大人の男性の印象だ。ホーナーの生き方から日本から世界を目指す若者が学ぶことは多いと感じた。
Chris Horner
https://www.youtube.com/channel/UCn7YuJaZmdmx_ERZH9r6eTA
中田尚志 ピークス・コーチンググループ・ジャパン
ピークス・コーチング・グループ・ジャパン代表。パワートレーニングを主とした自転車競技専門のコーチ。2014年に渡米しハンター・アレンの元でパワートレーニングを学ぶ。
https://peakscoachinggroup.jp/
SHARE