GPSナビなしで未舗装路を545km走るウルトラ・グラベル|竹下佳映のグラベルの世界
竹下佳映
- 2022年02月16日
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アメリカで人気沸騰の未舗装路を走るグラベルレース。なかには500㎞を超える驚きのレースも存在する。ここではグラベル版ブルベともいえる545㎞を走る「アイオワ・ウィンド&ロック」、2021年唯一の女性完走者で、北米で活動するグラベル界の第一人者竹下佳映さんのレポートをお届けしよう。まずはその準備からお届けする。
そもそもアイオワ・ウィンド&ロックってどんなレース?
米国中西部に位置するアイオワ州は、アメリカのハートランド(中心地)と呼ばれています。公道の6割はグラベルロードが占めていて、グラベルが全米中で人気になるずっと前から、グラベルイベントが行われていた州です。
初代ウルトラ・グラベル・レースとも言える「トランス・アイオワ」という名の、春先の不安定な天気の頃にグラベルロード500+αkmをサポート皆無で走る大会が、2005年から2018年までこのアイオワ州で14年間続きました。私がグラベルを始めたのが2014年、トランス・アイオワを知ったのが2016年頃。インターネットで見ることのできるレース写真やレポートもほとんどない中、噂ではとんでもなくタフらしいというこの大会に興味はあったのですが、なかなか都合が付かず、結局参加することができませんでした。
今回の話は、2019年からこの大会の後身として登場した「アイオワ・ウインド&ロック」に、2021年4月に初挑戦した時の経験です。
2020年11月の参加登録の時点でわかっていたことと、ルール概要は以下のとおり。トランス・アイオワとほぼ同じフォーマットです。
外部からのサポートはなし、GPSナビ機能も使えない
毎年大体340マイルのレースコースで、2021年のコース距離は約341マイル(547km)。スタート・ゴール地点は決定次第通知。獲得標高不明(でも、ものすごいらしい)。コースは事前に公開されず毎年変更する。GPSファイルやコース全体像が見られる地図は事前配布されず、当日にも配られない。コースマーキングはなし、コースマーシャルもなし。
開始15分前に、一つ目のチェックポイント(以下CP)に行き着くまでの道順を書いた紙(キューシート)が配られる。CP1に到着したら、次のCPまでのキューシートが与えられる。外部からのサポートを受けることはご法度で失格とみなされる。コース上で家族や友人に会うのも失格対象となる。全て自己責任で対処すること。参加者同士で助け合うのは問題ない。
各CPでは一人当たりドロップバッグ一つを使うことができる(※)。CPに水がある以外はニュートラルサポートはない。コース上にある店を利用することは可能(あればの話)。CPは2カ所あり、各CPには決められた時間までに到着すること、できなければその時点で失格。スタートは土曜の朝4時、ゴールは翌日14時に閉鎖。制限時間は34時間という厳しさだ。
唯一のサポートは自身が預けるドロップバッグ
事前に用意した飲食物等を決められた規格のバッグに入れ、それが各CPに搬送される。CP1からCP2には搬送されない。食べきらない・使い切れないものは返却されず、破棄されるか、ホームレス宿泊施設に寄付される。CPに自力でたどり着かなければバッグは回収できない(ドロップバッグは2020年から採用したようです。パンデミックの関係もあり、屋外でドロップバッグを使うことによって、店に入る必要をなるべく避けるため)。
最小限の情報しか見つからず、コースに関するわずかなヒントすらありません。これは完全な初期設定グラベル、何が起こるか全くわからない未知の世界です。過去の完走率は限りなく低く、2019年は10%、2020年は最悪の天気と強風により1人のみでした。他の可能性を考えてみました。
道路標識の一部はなくなっている。アメリカ中西部の春天気は変わりやすく予測不可能で、当日もきっと良くない。竜巻の時期ではないが強風の可能性は高い。冬の間に荒れたグラベルロードの整備のために、新しく砂利がまかれている(つまりゴロゴロ)。大会名のアイオワ・「ウィンド&ロック」がまさにピッタリな状況です。
距離だけ考えても走り切るのに一苦労ですが、いろいろと大変な状況に陥ることが予想されます。ちなみにこの時点までの私の最長ライドはグラベルで400km強でした。
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ロードでは300kmなので、500km超えはちょっと想像がつきませんでした。参加登録をするのに、一瞬どころか3日ほどためらいました。結局未知のグラベル冒険の誘惑に勝てず、登録確定! 挑戦あるのみです。
レースに向けて直前の準備
大会直前の数日間は、かなり慌ただしいものでした。完璧にセットアップしていたはずのバイクが直前になって部品故障のトラブルに見舞われ、対処する時間がなく別のバイクに換えることになりました。
バイクを丸ごと交換するだけとはいえ、装備を全部移し、必要なタイヤだギヤだと、あれこれと作業には何時間も掛かりました。そこでさらにこれまた別の問題が発生し、普段から大半の整備・修理・交換は自宅で行うのですが、今回に限り夜中まで掛かっても解決できず焦るばかり。近くのバイクショップにSOS発信し、忙しい中翌日の営業時間前に時間を作ってもらい、ようやく機材の準備が整いました。
大会前の一週間は天気予報に釘付けになっていました。二日間朝4時起きで、外気温0℃の日の出前に少し近所を走り服装チェックをしました。お日さまがあるのとないのでは同じ気温でも全然違いますからね。夜間の気温はかなり低くなるものの、コンディションは完全にドライということで、暖かくさえしていれば大丈夫と踏んでいましたが、いつの間にかレース前夜が雨の予報に変わっています……。降雨時間が短いので大したことはないはずと思いながらも、念のため耐水性レッグウォーマーも荷物に入れておくことにしました。
アイオワ州に向けて出発する前日に再度予報を確認したら、雨の時間帯が数時間長くなっていてスタート時間過ぎにまで及んでいることに気付きました。「いや、これは良くないな。スタート時の気温は多分2-3℃しかない。最初の1~2時間で濡れてしまったら、その後乾くような気温にもならないし……」。ジャケットや手袋は防水のものを持っているのですが、この雨予報だと耐水性レッグウォーマーでは対処しきれなさそうでした。持っている防水ロング・ビブは途中で暑くなったときに体温調節できない、キットの上から履けるレインパンツの方が良いな、となり、急遽レインパンツを購入すべくアウトドアショップへ向かいました。最後の一枚だった自分のサイズを入手することには成功しましたが、大会のスタート地点に着く前に随分とくたびれてしまった感じでした。でも、これでもう大丈夫ですよね?
アイオワ州ウィンターセットから早朝のスタート
レース当日の起床は2時25分。しっかり食べてコーヒーも飲んで、準備万端です。真っ暗で雨が降る中、開始場所のウィンターセットという小さな町にある教会の駐車場に徐々に参加者が集まり始めました。
開始直前に配られたキューシートはラミネートされていないただの紙で濡れてしまうと困るので、チャック付きポリ袋に入れてコックピットにくくり付け、私もスタート地点に並びました。パンデミックのおかげで2〜3人以上のライダーと集うなんて、もう一年以上ぶりです。勢いはないものの、まだ小雨が降り続いていて気温も低かったですが、ほぼ完全防水の装いだったので、それ程ひどくありませんでした。ドライで暖かです。
小さな町とはいえ砂利道に出るまでは住宅街なので、大会主催者からの静かな「Go」の声がスタート合図となりました。みんな興奮気味だったのか、それとも単に雨で視界が悪かったのか、なんと全員が道順シートのたった二つ目の曲がり角を見逃し、4ブロック先まで通り越すというハプニングが発生してしまいました。初っ端からこれだと本当に笑ってしまいますが、そういう自分も、道順の最初の三つ目の角くらいまでは開始前に確認しておくべきでした……。
幸いなことに雨は小雨程度になってきましたが、最初の砂利道に入った途端に、濡れた地面と前方ライダーからの水しぶきで足元も体もビシャビシャです。防水対策をしておいて、本当に良かったと思いました。
住宅エリアを出るともう街灯は一切ないので真っ暗です。ヘッドライトが何人分もあるので前方は見えるには見えるのですが、奥行きの感覚はつかみづらく、道と橋の間に隙間や段差があるのか、上りや下りの距離、カーブ角度も直前にならないとわかりません。念のため、通常集団走行で保っている距離よりも少し間を開けて走りました。
夜が明けてみるとBロードの洗礼
小鳥のさえずりが聞こえ始め空の色も明るくなってきた頃には、先頭集団も徐々にバラけてきて、私は他2人のライダーとちょうどいい具合のペースで走っていました。雨もいつの間にかやみ、ヘッドライトを点けていない状態でも目の前の道や景色が見えます。前方に続く長い道、奥の方の地面の色が違っていて濃い茶色をしているのに気付きました。「なんで色が違うんだろう。うーん、濡れた土かな?」
その正体はレベルB・ミニマムメンテナンスロード(以下Bロード)です。それが一体何なのかと言うと、整備が最低限しか入らず砂利すら敷かれない、基本的に農業機械専用の道です。地元住民ですら自家用車で走ることはありません。そして、大した降水量でなくてもBロードのコンディションはすぐに悪化します……。
過去何年にも渡るBロード走行経験のおかげで、どれだけのダメージを起こす可能性があるかわかっていたので、私はかなり気を使いながらBロードに入りました。交換したバイクはグラベル専用フレームというよりは、オール・ロードのレース仕様フレームで、フレームとタイヤのクリアランスはほんの少ししかありません。つまり泥詰まりを起こしやすく、泥との相性は最悪のバイクです。良いラインというラインもないのですが、一番ベタついてなさそうな場所を選んで慎重に進みました。
最初の数秒は特に問題なさそうで気にし過ぎたかと思いましたが、15メートルくらい進んだところで嫌な感じがバイクから伝わります。「あ、ダメだ。すぐに降りなきゃ」。直ちに飛び降りたのですが、すでにタイヤ表面には泥がべったり、フレームとの隙間にも泥土がびっしり。車輪が回転しないので自転車を押して歩くこともできません。担いで歩きながら、泥の塊を掴んでは捨てました。見ると、ドライブトレインは早朝に走った濡れた泥道の飛沫がこびり付いた状態になっています。「うわぁ、どこもかしこも泥だらけ」。すでに自転車から降りている状況だったので、一度止まって一番ひどい部分だけでも払い落すことにしました。
Bロード地面はとてもベタベタしていて、シューズも泥だらけになり、まるで大きいブーツを履いているように見えました。一歩進むごとに足が重くなっていきます。荷物を積んだバイクも重く、さらに泥の重さもあり、ひどく遅い歩行でした。Bロードの脇には草が生えていたので、そちらに移動したら少しは楽になりましたが、自転車に乗ったり押して歩くことはまだできず、ここで下手に頑張ってリアディレイラー故障につながっては困るので、Bロードが終わるまではおとなしく歩くことにしました。後ろから何人かのライダーが追いついてきました。歩く人や走る人、頑張って乗ろうとする人、そして乗り切れずコケる人もいました。最終的にはファットバイクを除く全員が歩いていたようです。
スタートしたのは81人、第一チェックポイントでは36人に減った
やっとBロードの悲惨さから解放され、故障箇所がどこにもないことを確認した後、今日はレース日和だ!という感じがしてきました。空気はまだ冷たかったけど太陽が出ていて、ほどよい風が顔に当たって気持ち良かったです。
1時間程経過し、また他の砂利道とは違う色の道が見えてきました。それはBロードではなかったですが、砂利ではなく土ベースの道で泥詰まり確定の場所だったので、横の草むらを歩いたり走ったりしてマイペースに進みました。ファットバイクに乗ったライダーは楽々と走っていき、私たちを追い越していきました。後から聞いたのですが、前のBロードとこの土道区間でリアディレイラー故障によるリタイヤが何人も出たそうです。
集団はもう存在せず、皆散らばって走っていました。誰かに追いつくたびにお互いに声を掛け合って励ましの言葉を交わしました。誰かがバイクを横に歩いてるのを見かけました、リアディレイラー故障みたいです。故障部品を外してチェーン調整しシングルスピードに変身させたら走り続けられますが、どうやら彼は途中棄権を選んだようでした。
私はやっとリズムが落ち着いてきて、後はキューシートに沿って進むだけです。キューシートを使ってのナビゲーションは久しぶりでしたが、地元クラブライドやセンチュリーライドに参加し始めた頃は、今使っているようなガーミンのGPSは普及しておらず、印刷されたシートと速度・時間・距離だけのシンプルなキャットアイを使っていたので、今回も特に問題はありませんでした。当時に比べると、GPS画面で自分が正しい道を走っているかどうかは確認できるので簡単です。もちろん注意していないとコースから外れますので、常に気にしながら走ります。
参加登録締切日の時点では120人以上もいた参加者数が、大会一週間前には81人まで減っていて、そして恐らく雨予報のせいで直前棄権が多発し、当日朝4時にスタートラインに並んだのはたった52人でした。そこから、泥道のせいで10時頃にはコース上に42人のみ残り、12時にCP1が閉鎖する頃にレースが続行できていたのはたった36人だったそうです。
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竹下佳映
札幌出身、現在は米国シカゴ都市部に在住。2014年に偶然出会ったグラベルレースの魅力に惹かれ、プロ選手に混ざって上位入賞するなどレースに出続けている第一人者。5年間グラベルチーム選手として活躍し、2022年からはプライベティアとしてソロ活動。ここしばらく飛んでいないが飛行機乗り。
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PROFILE
札幌出身、現在は米国シカゴ都市部に在住。2014年に偶然出会ったグラベルレースの魅力に引かれ、プロ選手に混ざって上位入賞するなどレースに出続けている第一人者。5年間グラベルチーム選手として活躍し、2022年からはプライベーターとしてソロ活動。ここしばらく飛んでいないが飛行機乗り。