筆とまなざし#230「残雪の中央アルプス宝剣岳、中央稜ルートへ。(後編)」
成瀬洋平
- 2021年06月09日
梅雨のなか休みの青い空。クライミングシューズに履き替えて、宝剣岳の山頂へ。
落石の通り道を避けて思いのほか柔らかい急な雪面を登り、小さなルンゼの草付きに取り付きました。草付きを登ってバンドを左にトラバースするとリングボルトがありました。この辺りが1ピッチ目の取り付きのようです。
セルフビレイを取って準備を開始。クライミングシューズに履き替えます。さっそく1ピッチ目を登り始めますが、どこから登ったら良いかあまり明瞭ではありません。トポでは2とおりのラインが書かれており、右の草付きよりだとⅢ級、左のハング下をトラバースするとⅣ級とあります。右寄りを登ろうとしますが、いきなりの被り。Ⅲ級ではありません。左のほうへ行ってみるものの、どこからでも登れそうでありながら、どこから登ってもなんだか悪そう。トポに拘らず弱点を探して登ることにしました。登りはじめたもののやはり意外と悪い。幸い、岩はしっかりしているので適当なラインを見分けながら慎重に登っていきます。しばらく登ると傾斜がなくなり、快適な岩登りとなりました。ハングに突き当たったところで左へ。クラックと灌木を使ってアンカーを作りました。トポでの2ピッチ分を登ったようでした。
次のピッチは左の凹角。ここがA1またはⅤ級という核心ピッチ。岩も硬くて乾燥し、荒い花崗岩の結晶が気持ちいいまでに指先に食い込んできます。核心ピッチよりも1ピッチ目のほうが悪かったなと思いながらロープを伸ばし、ピナクル手前のテラスでピッチを切りました。気持ちの良いテラスでひと休み。雪渓がずいぶん下に見え、八丁坂を登る登山者が小さく見えます。初夏の陽光が燦々と降り注ぐ山々。硬い花崗岩。ここだけみるとヨーロッパアルプスのようです。吹く風は穏やかで寒くもなく暑くもない、最高のコンディション。こんな岩壁をクライミングシューズで快適に登れるとは、なんて気持ち良く、なんてすばらしいんだろう。風景も雰囲気も、まさに期待していたとおりです。
ピナクル右のクラックを登ると、中央稜のハイライト「オケラクラック」が空に向かって続いていました。広めのすっきりとした、とても美しいクラックです。傾斜がなくて難しくはありません。上部に続く岩壁もいっしょに登り、ハイマツでビレイ。易しい歩きまじりの1ピッチを登りきると、まさにそこが宝剣岳の頂上でした。頂上に立つと、すっきりと晴れ渡った梅雨のなか休みの青い空がどこまでも広がっていました。
山ですごした時間はどうしてこれほどまでに思い出深いものなのでしょう。人生の豊かさとは、どれだけ忘れえぬ思い出があるかということなのかもしれません。
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