筆とまなざし#239「子どものころと少しも変わっていない、目の前の風景」
成瀬洋平
- 2021年08月18日
夏の午後。幼少期にすごした家で、不意に思い出された過去の風景。
平日に出かけられる身なので、いつもお盆はできるだけ地元にいるようにしています。もっとも、今年は豪雨続きでとても出かけられたものでもなかったのだけれども。
今から10年ほど前までは仏さま参りにたくさんの親戚がやってきていたのですが、祖父の代が亡くなってしまったいまは、父の兄弟が訪れるくらいになりました。我が家の仏壇は車で数分の本家にあり、祖父が亡くなってから本家には叔父さんがひとりで住んでいます。
中学3年までを、ぼくは本家ですごしました。中学3年の夏に父がひとりで建てた新しい家が住めるようになると一家は引っ越したのだけれど、それまでは祖父たちといっしょに暮らしていたのです。そのため、ぼくの幼少期の思い出は本家ですごした毎日です。
その家は小高い田んぼの真ん中の、あたりでいちばん日当たりの良い場所に建っています。日当たりの良い場所は田んぼになるのが田舎のつね。どうしてこんな場所に家が建っているのか不思議なのですが、かつては成瀬家とは関係のない豪邸が建っていたのだと伝えられています。豪邸は別の場所に移築され、めぐりめぐって我が家の先祖がこの土地に家を構えたのでした。築100年くらいの一般的な民家。いまはもうボロ屋です。子どものころは、家族総出で田植えや稲刈りをしていたのはもちろん、筵の上で祖母が木製の小さな槌で小豆の殻を叩いては実を取っていたりと、まだ古くからの山里の暮らしが断片的に残っていました。梅雨時になると田んぼの隣の湿地に花菖蒲がみごとに咲き、秋になると裏庭の柿の木に甘い実がたわわに実っていたのを思い出します。
豪雨が落ち着いた15日、ご先祖さまに線香をあげるために本家を訪れました。叔父さんは留守でした。静かな座敷に掛けられた祖父、祖母、曽祖母の遺影。懐かしい部屋の風景。畳に仰向けに寝転がり、黒光りした天井を見上げると、夏の午後、開け放した窓から田んぼを渡る風が心地よく吹き抜けていく風景が不意に思い出されました。過去と現在と未来が一筋の糸で結ばれていく感覚……。
外に出ると雨は止み、雲間からわずかに青空が顔を出していました。庭からは西の方角に牧場のある山々が見渡せ、ここから眺める風景がとても好きでした。中学生のころ、父のカメラを持ち出してはよく写真を撮っていたけれど、子ども心にそんな風景をなにかの方法で表現したいと思っていたのでしょう。それは絵を描くようになる原点でもありました。
時代は変わり、生活は変わり、そして自分自身も変わりました。けれども、目の前の風景は、子どものころと少しも変わっていない。そのことが、なにかとても大切なことのように思えたのでした。
SHARE