筆とまなざし#264「『Arts and Climbs』な旅に沖縄へ。〜その5・民芸を訪ね歩く~」
成瀬洋平
- 2022年02月16日
紅型、芭蕉布、そして壺屋やむちん通りで出逢った琉球ガラス。
辺戸岬で二日間登り、翌日は雨予報だったので沖縄の民藝を訪ね歩きました。
柳宗悦の『手仕事の日本』には紅型などのほかに「いまも沢山織っているもので、おそらくいちばん美しい」ものとして芭蕉布を挙げています。バナナの仲間である糸芭蕉の繊維を丹念に紡ぎ、その糸で織られた芭蕉布。ざっくりとした質感は風通しがよく、暑い沖縄の夏の着物として昔から親しまれてきました。制作工程が非常に大変なために高額で、自分などには到底手の届く代物ではありません。けれども、大宜見村で見た、生成りに琉球藍の淡く控えめな絣模様の入った着物は、素朴でありながらとても上品で、その佇まいはしっかりと脳裏に刻み込まれました。また、柳は「この島が生むものとして、忘れてならない」ものとして、那覇の壺屋で作られる焼物を紹介しています。沖縄では方言で「やちむん」と呼ばれ、ぽってりとした厚めの陶器に太い筆で描かれた色とりどりの絵付けが印象的。作家作品を集めたギャラリーをめぐりました。
そろそろ旅も終わりに近づいてきました。翌日は半日クライミングをしてから那覇へ移動。沖縄の高速道路は安くて便利。しかも直行すれば2〜3時間で到着するので移動も苦ではありません。今回は「ガーリックチキン 5.13a」「PMA 5.13ab」と目的のルートが登れましたが、トポ未掲載のルートもあるのでいずれまた訪れてみたいと思います。
さて、沖縄の民藝のなかでもうひとつ気になるものがありました。それは琉球ガラスです。学生のころ、大学の近くにあった民藝品を扱ったお店で、琉球ガラスのグラスを買ったことがあったからです。けれども改めて『手仕事の日本』を読み返してみると、なぜか琉球ガラスが取り上げられていません。どうしてだろう。旅の前から少し気になっていました。
安宿にチェックインし、壺屋やちむん通りへ向かいました。この辺り一帯がやちむんの産地で、いまもたくさんの窯や焼物屋が軒を連ねています。石畳の曲がりくねった路地をしばらく歩いたときでした。小綺麗なお店ばかりが並ぶ通りに、お世辞にも綺麗だとは言えない小さな店がありました。なかを覗くとやちむんではなく、これまた綺麗とは言えない不揃いのグラスが無造作に並べられ、奥では店主が煙草を燻らせながらアコースティックギターを爪弾いていました。店主の男性はこちらに気づくと煙草を消し、ギターを置きました。
「戦前の沖縄でもガラス製品は作られていましたが、いまの琉球ガラスは米兵によって持ち込まれたコーラやビールの廃瓶をリサイクルして作られたのが始まり。コーラの瓶も、アメリカのものと日本で作られるようになったものとでは色が違う。このお皿はブラウン管を溶かして作られていて、光にかざすと虹色に見えるんですよ」
店主はそう言ってお皿を薄暗い蛍光灯にかざしました。スモーキーな茶緑色のなかにたしかに見え隠れする虹色。それは決して透き通って煌びやかなものではありませんでした。ここにあるのは、そのように作られた古いグラスで、50年以上前に作られたもののほか、もはやいつ作られたのかもわからないものなのだと言いました。
柳宗悦が最初に沖縄を訪れたのは昭和13年。翌年は2回も沖縄を訪れています。当時の旅を元に『手仕事の日本』が著されたのが敗戦後の昭和23年。柳が琉球ガラスを取り上げていないのはそのためでした。沖縄の住民の4人に1人が犠牲になったと言われる沖縄戦。焦土と化したこの島で、カンカラ三線を弾き、廃瓶で作ったグラスに泡盛を注いでいた人々を思う。
ぼくと妻はそれぞれ気に入ったグラスを買い求めました。青緑色のぽってりとした厚手のガラスに無数の小さな気泡が入っており、溶けたガラスの雫が表面に付着していました。下部が六角形と五角形になっていて、両手で包み込むと柔らかく手に収まります。旅から帰ってきてひと月が経ちました。少々薄汚れたグラスは、いつの間にか毎日使う愛用のグラスになっています。
SHARE