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<世界最大の岩壁を世界で初めて登った男>ウォレン・ハーディング 【山岳スーパースター列伝】#34

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2017年2月号 No.87

 

山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
”バッツォ”の愛称で知られる、登山史上の異端人物を紹介しよう。

 

ウォレン・ハーディング

アメリカ・ヨセミテ渓谷。ここはロッククライミングの聖地とされ、ヒマラヤやヨーロッパアルプスとも並び、世界の登山史を語るうえで外せないエリアとなっている。

このヨセミテにあるもっとも巨大な岩壁がエルキャピタン。遠目にはなにも手がかりがないように見える岩壁が垂直にそそりたっている。その標高差じつに約1,000m。実際に目にすると遠近感が狂うほどのスケールで、「世界最大の一枚岩」などと呼ばれることもある。

この大岩壁を初めて登った人物が今回の主役である。名前はウォレン・ハーディング。

世界史に詳しい人は「あれっ」と思うかもしれない。それは1920年代のアメリカ大統領ではないのかと。もちろんたんなる同姓同名で、大統領がエルキャピタンを登ったわけではない。大統領が死去したのは1923年。今回の主役が生まれたのは1924年。ハーディングの親は、大統領の支持者だったのかもしれない。

ところがこのハーディング、両親の期待とは裏腹に(推測)、大統領というイメージからはほど遠い人物なのである。ざんばら髪に無精ヒゲで目つきはつねに危ない。イメージはまさしく酔っぱらい、あるいはホームレス。見た目だけでなく言動も、よくいえば個性的、悪くいえば野放図。口グセは「人生万事、道化芝居さ!」

同じ時期に活躍したロイヤル・ロビンスやイヴォン・シュイナードが世界の登山界・クライミング界で尊敬を集めているのに対して、ハーディングを尊敬していますと言うと白い目で見られそうな雰囲気すらある。あの有名なエルキャピタンを世界で初めて登った人物だというのに、この扱いはどうしたことなのだろう。

それは、クライミング界に対してツバを吐きかけるような、ハーディングの歯に衣着せぬ言動にひとつの理由がある。

「自分たちは大衆よりいちだん上の高等な人種で、クライミングというものは謎めいた、深遠なイメージのものにしておかなくてはいけないと信じていることのほうが、よっぽど俗物根性だと思える」(『墜落のしかた教えます』より)

これはロビンスやシュイナードにあてたコメントであることは明らか。ハーディングは、こうしたエリートクライマーに対する敵愾心を隠そうとしなかった。著書でも皮肉たっぷりに彼らを批判(というより揶揄)している。

尊敬されないもうひとつの理由は、ハーディングのクライミングスタイルにあった。彼は登るためなら手段を選ばないというのがモットーで、エルキャピタンを初登したときには1年4カ月、実働47日間もかけている。しかもボルトやウインチなど、あらゆる器具を岩壁に持ち込み、土木工事のように泥くさく登った。

そんなことをすれば登れるのは当たり前だろう、そんなのがクライミングといえるのか。可能なかぎりボルトを排除した「クリーンな」クライミングを提唱するロビンスなどからは、徹底的に批判される。それに対するハーディングの態度は「うるせえっ! ペッ、ペッ!」というようなもの。「理屈こねる前に登ってみろっ!」と言わんばかり。

ロビンスやシュイナードが、アウトドアウエアメーカーを設立してビジネスでも成功し、ことあるごとに登山界でも注目されることが多いのに対して、ハーディングはクライミングを引退して以降、その名を聞くこともなく、2002年にひっそりと亡くなった。

ときは流れて2015年。当代きってのビッグウォールクライマーとして知られるトミー・コールドウェルが、歴史的なクライミングに成功した。エルキャピタンでもっとも難しいとされるルートを登ったのである。

これはクライミング界を超えたビッグニュースとなり、オバマ大統領が祝福のコメントを出す異例の事態ともなった。しかしこのルートは、登り方こそ異なるものの、じつはその44年前にハーディングが登ったルートとほぼ同じ場所。ハーディングの初登直後に、「ボルトを使いすぎている」と怒ったロビンスの手によってボルトが撤去され、幻のルートとなっていたところなのである。

現代の有能なクライマーによって再生したハーディングの足跡。大統領にも祝福され、酔っぱらいおじさんは草葉の陰で「母ちゃんやったよ」とほくそ笑んでいたかもしれない。  

 

ウォレン・ハーディング
Warren Harding
1924年~2002年。アメリカのロッククライマー。第二次世界大戦中は航空機の整備工として働く。22歳で退職後に登山を始め、29歳で初めてヨセミテを訪れる。それまで登攀不可能視されていたエルキャピタンに目を付け、1958年に初登攀に成功(「ノーズ」ルート)。25年ほどにおよんだクライミングキャリアのほとんどをヨセミテで過ごした。

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PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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