<山岳救助の神様> 谷口凱夫 【山岳スーパースター列伝】#51
森山憲一
- 2023年03月12日
文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2014年4月号 No.53
山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
今回紹介するのは、職業的使命感から山に携わってきた人物。その使命感は歴史を変えた。
谷口凱夫
この人を「スーパースター」と呼ぶと、本人はとても嫌がるのではないかと思う。しかし日本の登山界において、この人物が残した功績は果てしなく大きく、その働きはスーパーと呼んでもまったく差し支えないものと私は信じる。
たとえば北アルプス後立山の稜線を歩いているとき、滑落しそうになったとする。「落ちるなら富山側へ」――。長らく、そういうことが言われてきた。 後立山連峰は富山と長野の県境になっている。富山側に落ちれば、富山県警山岳警備隊が出動してくれる。彼らが来てくれれば、助かる可能性が高まるというわけだ。山岳救助の世界において、富山県警というのはそれほどに絶対的な存在となっている。
今回紹介するのは、その山岳警備隊を現在の姿に導いた人物である。発足から30年以上にわたって富山県警山岳警備隊に務め、「落ちるなら~」と言われるまでの組織に育て上げた立役者、その名は谷口凱夫。
富山県警山岳警備隊は1965年に発足した。その6年前に作られた「山岳救助隊」を格上げする形で誕生している。谷口は「救助隊」時代からの初期メンバーである。
当時は、山岳救助のための装備や態勢はほとんど整っておらず、山の技術すらおぼつかないもので、山小屋の小屋主やガイドがいなければなにもできないようなレベルだったという。そんな状態から谷口は、これはという人材を集め、訓練も行ない、専従で山岳救助にあたれる態勢も整え、ヘリコプターなどの最新機材も導入していった。
現在では、他県がうらやむ充実した救助態勢を備え、山の技術ひとつとっても、トップクライマーに伍するような強力な人材を何人もそろえる組織になっている。テレビなどで報道されることもよくあるので、ご存知の方も多いだろう。
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これから書くことは私の勝手な想像であるが、「山の仕事にそんなに人材や予算を割く必要があるのか」という意見が警察内部にもあるはずだ。なにしろ一般社会では、大きな遭難事故があるたびに、「遊びで行っている人間を税金を使って助けるのはどうか」という主張が根強くなされる。
日々、街で起きる多くの事故や犯罪を前にしている現場の警察官からすると、なおのこと山での事故になど対応している余裕はないだろう。「そんな余裕があったらこっちの交番に人をまわしてくれ」「ヘリコプターを買う金があるなら、パトカーを一台でも多く買ってくれ」。なにか新しいことをやろうとするたびに、こういう声があがることは容易に想像できる。
こうした内部の声に対抗していくことの難しさや労力は、組織で働いたことのある人ならだれでもわかると思う。谷口はおそらく、そういう人たちに山岳救助の重要性を粘り強く説き、少しずつ実績を積み上げることで、救助態勢の拡充を勝ち取ってきたはずだ。
富山の先例がある現在なら話は早い。「富山ではこうしてます」といえば、ぐっと話は通りやすいからだ。しかしそんな前例がほとんどなかった谷口の時代には、山岳救助がどういうものなのかを理解してもらうことから始めなくてはならない。そもそも、「それは警察がやるべきことなのか」という意見だってあったと思う。
谷口はそういうことを、自分の著書にはほとんど書いていない。だからあくまで私の想像にすぎない。もしかしたら富山県警には最初から理解があったという可能性もある。しかし普通に考えれば、山岳警備隊黎明期は、そんな戦いの連続だったに違いないと思えるのだ。
そこを貫いて大きな仕事を成し遂げた谷口を私は尊敬してやまない。たとえ私の想像とは違って苦労はなかったとしても、それは変わらない。谷口が育て上げた山岳警備隊の働きによって、助かるはずのなかった多くの命が救われた。その事実は変わらないからだ。
谷口凱夫
Taniguchi Katsuo
1938年、富山県生まれ。高校卒業後に富山県警察官拝命。警察の山岳訓練で登山の魅力を覚え、山岳救助を志す。1964年の山岳救助隊発足当時から中心的に携わり、1990年~1997年には山岳警備隊隊長を務める。同年、富山県警を定年退職。著書に『アルプス交番からのメッセージ』(山と溪谷社)などがある。
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PROFILE
PEAKS / 山岳ライター
森山憲一
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com