絵描きにとって「スケッチ」とはなんだろう?|筆とまなざし#340
成瀬洋平
- 2023年08月16日
画家とクライマー、どちらも日々の積み重ねなくしては思い描いたものを体現できない。
絵描きにとって、スケッチとはなんだろう? そう考えるようになったのは、安曇野山岳美術館で足立源一郎のスケッチ展を見てからだった。
足立源一郎は明治22年に大阪で生まれた。若いころから絵画を学び、第一次世界大戦中をフランスですごす。30代後半から本格的に登山にのめり込み、昭和9年には吉田博らとともに日本山岳画協会を設立。徹底した現場主義にこだわり、油絵を含めて現場で描くことをモットーにした。とくに北穂を愛したことは有名で、北穂小屋に滞在しながら多くの作品を残している。体にロープを結びつけて岩場から身を乗り出して描いたという逸話も残っていて、その情熱のほどが窺える。比較的小さな作品が多いのも現場主義にこだわったためである。代表作『滝谷ドームの北壁』は安曇野山岳美術館が所蔵し、今回訪れた際も見ることができた。
油彩画で知られる足立源一郎だが、今回はスケッチ展ということで、北アルプスの風景を鉛筆と水彩で描写したスケッチが数多く展示されていた。けれど、それらはあくまでもスケッチ。展覧会に出展する「作品」ではなかっただろう。そこで思う。画家にとってスケッチとはなんなのか、と。
一般的に英語の「スケッチ」とは、見たものをそのまま描く写生、素描のこと。大作のための素材となることもあるけれど、スケッチはそれ自体で完結する場合が多いだろう。フランス語の「エスキース」は作品(「タブロー」)を制作するために描かれた下絵や素案で、そのもので完結するものではない。ちなみに「デッサン」は鉛筆や木炭で描かれた素描を指すことがほとんどだ。
つまり、スケッチとは、エスキースと違い直接「作品」とは関係のないものだといえるだろう。それなのにどうして画家は「スケッチ」をするのか。
描きたいという感興に駆られたものを、すばやく描き留めること。それは、楽しみであり鍛錬なのだと思う。自分の血となり肉となり、その積み重ねが一枚の作品を描くときの底力になる。クライミングでたとえるならばトレーニングで登ることに近いのではないだろうか。いっぽう「エスキース」は目標ルートのムーブ練習のようなものなのかもしれない。クライマーが日々のトレーニングでクライミング能力を磨くように、画家はスケッチをすることで描写力を磨く。どちらも日々の積み重ねなくしては思い描いたものを体現できない。
小川山での四日間の講習が終わり、次の講習までの間はスケッチをしたりボルダーでトレーニングしたりしてすごしていた。なるほど、それらは別のジャンルではあるけれども同じ行為だったのか(笑)。雨上がりの青空を見て、ふとそんなことを考えていた。
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