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人生を賭けてチームを引き続ける若き機関車 徳田 優【La PROTAGONISTA】

名門鹿屋体育大学を経てプロ選手となった徳田優。
大学時代には兄、鍛造のU23全日本選手権2連覇を支え、
チームブリヂストンではチームには不可欠なアシスト選手として活躍する

■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1994 年5月31日生 身長・体重/182cm、64kg
血液型/AB 型 スポーツ歴/少年野球3年 陸上3年 自転車競技10年

チーム ブリヂストン サイクリング 徳田 優

【HISTORY】
2010-2012  京都府立北桑田高校自転車競技部
2013-2016  鹿屋体育大学自転車競技部
2015—    チャンピョンシステム
2017-2018  チーム右京
2019—    チームブリヂストンサイクリング

力強いアシストとしてチームのために走る

2019年7月6日 Jプロツアー第10戦東広島ロードレース。

レース前半、目まぐるしく展開が入れ替わった末のエスケープ。各チームの思惑が合致し、メンバーが固まるといよいよプロトンとの差を広げはじめた。

中盤にかけてタイムギャップは1分20秒、11人のメンバーはシマノレーシングの木村圭祐、中井唯晶、入部正太朗。宇都宮ブリッツェンの小野寺玲、チーム右京の吉岡直哉、内間康平、チームブリヂストンの孫崎大樹、平塚吉光、マトリックスのホセ・ビセンテ、佐野淳哉で、メイン集団からリードを奪う。この強力なメンバー構成にファンは勝者を想像しはじめた。しかし、目前を通り過ぎるエスケープを見送り、振り返ると遠くから白いジャージの塊が見えてくる。

今シーズン好調を維持するチームブリヂストンのトレインだ。エース格の孫崎大樹や平塚吉光を先頭へ送り距離を測っている流れから、後半には一気にペースを上げてギャップを詰めてきた。

その追っ手の主軸となっているのが今回のプロタゴニスタ(主人公)徳田優だ。アンダー23時代はインカレロード2連覇、ナショナルチームの常連メンバーとして名を馳せた若きトップレーサー。長身で手足が長く、プロトンの中でも一際目立つ彼が、こうして先頭を引き続けるシーンを今シーズン何度目にしただろうか。ファンたちは彼が強烈に引く姿に、次なる展開の予想に忙しくなった。

「今日のエースは黒枝(士揮)さん。上りが得意ではない近谷(涼)さんや(橋本)英也さんが平地で上手く牽引できるよう、コントロールしながら黒枝さんの最終展開に持ち込みたい!」力のない選手を散らしていくほど壮絶な彼らのペースアップで、みるみる詰まるタイムギャップ。そしてエスケープグループは再び活性化し、とうとう先頭は空中分解しはじめた。

「結果を残すことを課せられたエースのためにも……」徳田の猛追は続き、先頭グループをキャッチ、そして混戦を抜け出したエース黒枝士揮選手は2位でゴールした。

「翌日のクリテリウムでも黒枝さんの好調が続き優勝することができました。自分で勝負したいという気持ちも、もちろんあります。でも、勝てる可能性のある選手のために走ることに僕は抵抗はないんです。それはこういう動きを大事にしてくれる先輩やチームの存在あってこそ。僕の走りで流れを変えていきたい」2018年に六峰亘監督の就任以来、選手のコミュニケーションはすこぶる良好。外から見てもチームブリヂストンの団結力の強さを感じる。

徳田は今シーズン、チームに加入したが、大学時代同じ釜の飯を食べて気心が知れたメンバーがいいる。彼が徹底してアシストにまわる姿はもはやチームブリヂストントレインのハイライトとして、関係者はもちろんファンからもの評価されるようになった。

Jプロツアー第10戦東広島ロードレースでトレインを牽引する徳田選手。いまや名物となっている

トップレーサーに囲まれて成長したアンダー時代

プロレーサー徳田優。

その名を聞けば鹿屋体育大学在学時に兄、鍛造の全日本選手権ロードU 23の2連覇の立役者として、大きく手をあげワンツーフィニッシュしたシーンが思い浮かぶ。

自転車競技を始めたきっかけは兄の存在。インターハイ優勝をはじめ、名門、京都府立北桑田高校の黄金時代を築いた兄の背中を追って同校に入学、2010年に自転車競技人生をスタートさせた。「それまで続けてきた陸上競技で、インターハイを戦うのは難しいと感じていた自分に、兄の活躍は希望をくれました。悪く言えば自転車なら上り詰められるかもという少し安易な期待も込めて……」

しかし、高校1年にはツール・ド・東北のタイムトライアルで優勝し注目を集めるものの、ロードレースでは落車が続いた。

「集団の中で要領を得ていない走り、力を出し切れない走りが続きました。そのころから言われはじめた『脚はあるのに……』という周囲の言葉はどこか今まで自分のコンプレックスとなっていました。『だったら最初から逃げて勝てる選手になる』とTTの練習に打ち込みました」

182cmの恵まれた体格、競技を始めたころから兄をはじめ同世代のトップレーサーに囲まれた環境は、走りに妥協する隙も与えられず彼の競技人生は進んでいった。

「攻め切る」と決めた競技への決意は、高校2年生で迎えた秋田インターハイロードで花咲いた。

レースは最終局面、田沢湖を抜けた登坂8kmの入口から勝負を賭けスパートを決めた。「広島の大野宏樹選手には負けたましたが、先手勝負した末の2位。やっと力を出し切って掴んだ全国区の表彰台でした」

晴れてナショナルチームに選考されてからは海外遠征を繰り返した高校時代、ジュニアを代表するトップ選手として兄の後に続き鹿屋体育大学へ入学した。大学では後のチームメイトとなる黒枝士揮、橋本英也、そして石橋学と、兄鍛造が鹿屋旋風を大学競技界に起していた。

「先輩方の大活躍に加えて、母校の北桑田高校では後輩の草場啓吾、孫崎大樹が大活躍していて、僕自身が活躍しなければいけないというプレッシャーを受ける環境にありました。インカレは勝ちましたが、トップレーサーなら穫るべき全日本選手権U 23は2年連続2位。再び耳にするようになった『脚はあるのに……』という言葉。勝ち切れない自分に葛藤を覚えました」とはいえ、ビックタイトルを並べた戦績により、大学在学中にニュージーランド籍のU CIコンチネンタルチームであるチャンピオンシステムへ入団。大学卒業後はチーム右京と、外国籍の選手を含むプロチームを渡り歩いた。

プロレースの世界で学んだ戦う姿勢

より過酷なレース環境、仕事として勝ちを求められるプロレースの世界へ足を踏み入れた選手人生。チーム右京ではエースであるオスカル・プジョルのツアー・オブ・ジャパン前の尖った集中力を目の当たりにした。

「勝ちを任されたエースは重いものを抱えて走っている。それに比べればアシストの僕は調子の良し悪しに関係なくやるしかない。エースのために彼らの期待以上のアシストをしてあげたいと思うようになりました。チーム右京では外国人選手に絶対的な力で勝利をカバーしてもらっていましたが、最終局面まで戦うアシストはエースの力と遜色ない実力が必要です。日本人の若手で構成しているチームブリヂストンでは、アシストを終えた後でも粘って結果を残す平塚さんを見て、この世界で生き残る姿勢を学びました。そして、勝てる力を持ちながら最終局面でアシストにまわる窪木さんの姿。次第に僕がいなければ勝ちにつながらない!という気持ちで試合に臨む様になりました」

先頭を引き続ける彼の徹底した仕事ぶりは、いつか勝負を任される選手になりたいという意志の現れでもあった。

「Jプロツアーの石川大会では終盤まで続く逃げにも乗りました。もしかしたら!というチャンスがまたいつ来るかわからない。続けて頑張ることが大事だと感じています」

トップランカーでありながら、己の殻を破るためにペダルを踏み続ける彼の走りに注目したい。

 

REPORTER

管洋介

アジア、アフリカ、スペインと多くのレースを渡り歩き、近年ではアクアタマ、群馬グリフィンなどのチーム結成にも参画、現在アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める
AVENTURA Cycling

 

La PROTAGONISTAの記事はコチラから。

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PROFILE

管洋介

Bicycle Club / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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