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夢を目の前に! Jプロツアーのニューカマー 半田子竜【La PROTAGONISTA】

2019年3月16日にJプロツアーが伊豆CSCで開幕し、
そこではグランツールで活躍したフランシスコ・マンセボも走る。
そして、弱冠20歳にして社会人2年め、自転車競技歴2年で
トップリーグへ上り詰めてきた男、半田子竜がプロデビューする。

■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1998 年4月16日生まれ 身長・体重/170cm 57kg
座右の銘/時間は有限、努力は無限 憧れの選手/鈴木真理選手

ホンダ栃木サイクリングクラブ 半田子竜

HISTORY
2016   リベルタスTBC
2017〜18 ブラウブリッツェン
2019   HONDA栃木

地元がジャパンカップの聖地だった

1990年、日本で初めて行われた、栃木県宇都宮市で開催の世界選手権ロードレース。それ以降、古賀志林道はジャパンカップロードレースのコースとして、毎年世界のトップレーサーがスタートラインにそろう。
多くのサイクリストに知られ、憧れのコース。この聖地を地元に半田子竜は生まれ育った。「子どもの頃から地元に自転車競技がありました。そして、少年時代から小学校の自転車教室に宇都宮ブリッツェンがやってきました。自然と自転車競技と触れ合う運命的な環境がありました」
それでも自転車競技を始めたのは18歳。そして彼自身の世界観はとても狭かったという。「僕が育った城山地区は、どこかやや閉塞的な地域性があり、地元以外で遊びまわったり、外へ足を運ぶ機会も少ない環境でした。私の両親はとくに同級生たちの親よりもひとまわり歳をとっていたこともあり、規律や門限に非常に厳しく、僕が県外へ自転車で飛び出すには社会人になるまで待たなくてはなりませんでした」
彼が18歳で就職し、若き社会人レーサーとしてデビューした理由がここにあった。

宇都宮クリテリウムの迫力に圧倒され憧れた

「少年時代の自分は、自転車でウィリーやドリフトを練習しては友達に披露する、根っからのお調子者でした」
柔らかい物腰で、少し甲高い声で、フワフワと笑顔で話す彼。ロードレース会場でもヒマがあれば前輪を足で転がしながらスタンディングを披露する、器用な姿を見せてくれる。
そんな彼がロードバイクにのめり込んだきっかけは、高校1年の冬に姉から借りて読んだ「弱虫ペダル」。地元のプロチーム宇都宮ブリッツェンに憧れを持ち、宇都宮駅前通りで偶然見つけた「サイクルショップカントウ」の門を叩いた。
「宇都宮ブリッツェンのサテライトチームである『ブラウブリッツェン』に入りたいんですと相談しました」
栃木のクラブチーム「リベルタスTBC」の系列店でもあったショップ店員から『まずは一度宇都宮クリテリウムを見に行くといい』という助言を受け、高校2年の3月、友人と宇都宮クリテリウムの会場へロードバイクで観戦に出かけた。
自分の意志で初めて観戦に向かった自転車レース。会場付近までたどり着くとウォーミングアップ中のプロチーム『キナン』のメンバーに一気に抜かれた。
「ものすごいリアル感。真っ白くそろったキナンのチームウェア。初めて見るカーボンホイールとその風切り音。憧れのデュラエースを付けた選手たち……。レースを見る前から味わったことがない興奮に全身が痺れました」
観戦したエリートカテゴリーのレースでは道幅一杯に目の前を駆け抜ける選手たちが巻き起こす風に驚いた。
「目が違う!緊迫した選手たちが作り出すスピードに圧倒され感動した次の瞬間……少し遅れてしまったブラウブリッツェンの選手が目に飛び込みました。僕が入りたいチームでも敵わないスピードなのか!家の門限もありプロレースを見る前に帰路につく間、ロードバイクの上で複雑な感情に浸っている自分がいました」

転勤先の足柄でトレーニングを積んだ半田。初のJプロツアーへの挑戦でその実力が試される

初めてのレースで練習との違いを味わう

クリテリウムで衝撃を受け、「社会人になったらロード選手になりたい」と決意を胸に、スピードを磨くため練習を開始した。
地元が古賀志林道という抜群の練習環境に、時間を見つけては自転車にまたがった。「ロードレースは危険だから認めない」という厳しい父親だったため、母親にだけ許可を取り、地元で行われるジャパンカップオープンロードレース出場を目指した。レース当日、古賀志林道のスタートラインに先頭で並び、いよいよ訪れた憧れのロードレースデビューに躍起だった。
「ところが『ドン!』とスタートを切った瞬間に後から押し寄せる大量の選手たちに圧倒され、1km先の上り口に入るころには集団の一番後ろで悶える自分がいました……」
夢のレースは一瞬で散った。自分なりに準備した練習も虚しく、あのとき宇都宮クリテリウムで見たレースの厳しさを体感し、呆然としていた。
このとき偶然にも師匠となる人物とめぐり会った。
ロードレースを紹介してくれたショップチーム「リベルタスTBC」の小口英之だ。
実業団レーサーとして長年培って来た経験で、ロードレースを走るとはどういうことかを的確に教えてくれた。「練習で強い者がレースでは負けてしまう難しさ。『レースと練習は違う』この言葉は今でも僕の心の底に響いています。小口さんには徹底的にうまい走り方、レースの展開の見方を教えていただきました」
高校3年生となり、就職活動をしながら週末はリベルタスTBCの練習会に足を運び、ロードレースを学んだ。そしてブラウブリッツェンのトライアウトに合格、就職先も高校が斡旋してくれた地元の建設会社である小平興行に決め、彼の夢は着実に近づいていった。

会社をも味方にJプロツアーを目指す

「重機を運転し建築現場の地盤を作るのが僕の仕事。工期が終わるたびに各地へ転勤を繰り返す生活で、今まで県外にほとんど出なかった生活が大きく変わりました。転勤先で乗るロードバイク、新しい仲間を見つけて練習をする日々は刺激的でした」
社会人となり、みずから求めた自由な環境に、ためていた感情が一気に放たれた。そしてブラウブリッツェンに入団し、プロへの夢も道筋を感じた。「入社してすぐに自転車のプロになりたい!
必ず仕事と両立させるのでサポートしてほしい!と会社の上司に相談しました。『何をいっているんだ』と思っていたであろう上司も、レース入賞の報告を繰り返すたびに『次はいつレースがあるんだ。カレンダーをもってこい』と応援してくれるようになりました」
会社をも味方につけ、E3カテゴリーからデビューした初レースは宇都宮クリテリウム。初めて観戦した憧れの試合。初戦は14位で終えたものの東日本ロードクラシックでは優勝することができた。そしてE2カテゴリーでは翌月の那須塩原クリテリウムで準優勝し、一気にE1まで上り詰めた。「小口さんから習った走り方。ブラウブリッツェンの鈴木真理監督の助言はスプリントが得意な僕の走り方にマッチしました。うまく集団を泳ぎ、最後のスプリントになるとフワッと身体が浮く感覚。ゴールラインが引き寄せられるようにもがけてしまうんです」
E1でも4度入賞し、競技歴2年でJプロツアーチーム「ホンダ栃木サイクリングクラブ」に入団を果たした。「Jプロツアー、憧れた未来がここにある。遠くの世界を知らずに生きて来た僕が全国転戦をするなんて考えもしていなかった。目標は宇都宮クリテリウム。トップレーサーの一員になった自分を両親に見せたい!」

REPORTER
管洋介

アジア、アフリカ、スペインと多くのレースを渡り歩き、近年ではアクアタマ、群馬グリフィンなどのチーム結成にも参画、現在アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める
AVENTURA Cycling

 

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PROFILE

管洋介

Bicycle Club / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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