若手中心のチームを引っ張るよき兄貴分 高木三千成【La PROTAGONISTA】

彼のアタックがレースを大きく動かす場面も珍しくない。
自分で果敢に挑みチームのために見せ場を作る、
アタックが信条ともいえる熱い走りが魅力の高木。
自転車競技人生10年、プロ3年めの生き方とは!?

■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1993年4月16日 身長・体重/175cm、60kg
座右の銘/がんばるときは、いつも今! 趣味/コーナーを攻めること
憧れの人物/フィリップ・ジルベール

東京ヴェントス 高木三千成

【HISTORY】
2009-2011 埼玉県立浦和北高校自転車競技部
2012-2015 立教大学自転車競技部
2016    那須ブラーゼン
2017-現在  東京ヴェントス
    

レースを動かす渾身のアタック

先頭の選手どうしが見合った直後の一瞬の隙、アップダウンの先にあるブラインドコーナー……。ロードレースの戦い方においてこんなシーンを好機に果敢に攻める選手たちがいる。

強豪チームの選手たちによるアタックは、エースの勝利を導くための戦術として知られた展開だ。彼らにくらべて個々の走力に大きな差がある中堅チームの選手たちは、彼らの展開に応じてレースを走る手段を強いられる。

そんななか、東京ヴェントスの高木三千成選手の走りはひと味ちがう。Jプロツアーでも若手をそろえた中堅チームに所属しながらも、彼のアタックをきっかけにレースが大きく動く場面も珍しくない。「チャンスを自分で作っていくこと……。僕はテクニカルなコースで少人数に絞られた展開でのスプリント勝負を得意としています。これは有利に運べると感じた瞬間、僕の身体にスイッチが入るんです」。

チーム内ではエースを任されるポジション。脚を残すことを考えれば追手に身を任せる方法もある。しかし彼がレースを戦う姿勢は「アタックが信条」。それを知るファンたちはその走りに熱くなる。

自転車にのめり込んだ高校時代

バイクを降りれば、愛嬌のある笑顔で落ち着いた立ち振いの姿。レースを攻める姿とは対極に、親しみやすい雰囲気が彼の素顔だ。「これが昔からの雰囲気なんですが、スポーツだと手を抜けない性格が表に出てしまうんです」。

埼玉県上尾市に育った少年時代から水泳やサッカーに夢中になり、時間を見つけてはスポーツサイクルで地元を駆けまわった。「身体を動かして遊ぶのが小さなころからの習慣で、自転車も自分でコースを作って友達とタイムを競い合っていました」。

本格的に目覚めたのは、東経大サイクリング愛好会出身の父の影響。自宅にはアマンダ、トーエイと当時のツーリングの定番だったランドナーが数多く並んでいた。高校では新たなチャレンジをしたいと思っていたとき、近くにあったスポーツ自転車に興味がわいた。「進学校で、かつ自転車部のある高校を探して巡り会ったのが浦和北高校でした」。スタートした競技人生。雨の日も往復30kmを自転車で通い地脚を鍛えた。

ときは2009年、当時ロードバイクの一大ムーブメントを起こした「弱虫ペダル」が注目を集めていた。また新城幸也、別府史之のツールドフランス初出場と日本のレース界に大きな気運が訪れていた。

「振り返れば高校自転車競技界を席巻していた西村大輝(当時昭和第一高)が今年ジロ・デ・イタリアに初出場したように、明確に未来を見据えられた世代でした。そして奇遇にも僕の育った上尾市はチームブリヂストン(当時ブリヂストンアンカー)の拠点があり、彼らがトレーニングする姿をサイクリングロードでたびたび目にしていました」。

コンタドールとアンディ・シュレクの戦いに憧れ、地元ではプロ選手の雰囲気に圧倒され、これまで夢中だったサッカーや水泳にはない世界観にのめり込んでいった。

無念のインターハイから一転飛躍した大学時代

多くの刺激を受けながらインターハイを目指すも、簡単にはその切符を手に入れられなかった。ようやく初出場したのは高校3年生。ところが最後の晴れ舞台を目前に、自然気胸を発症し力を出し切れない状態で当日を迎えてしまう。「先頭から2分1秒遅れの71位。誰の目にも留まらない結果。目標をダメにしてしまった悔しさが、後の奮起につながりました」。

大学での競技活動は文武両道を志とした。AO入試で立教大学理学部化学科に入学。朝4時からロード練習、授業と研究と実験を終えて夜はローラーに乗り寝るという生活を4年間繰り返した。

3カテゴリーで構成される大学自転車競技界で彼がトップのC1に上り詰めるのに時間はかからなかった。1年のロードシリーズ第2戦で2位となり、その冬の学連・行田クリテリウムでは水野恭平(現インタープロ)、鈴木龍(チームブリヂストン)らとエスケープ、コーナーの隙をついてアタックし独走優勝を果たした。「スプリント力では負けてしまう相手の隙をつく。テクニックが必要なコーナリングや横風を利用して飛び出す。今の走りにもつながる価値のある勝利でした」。

急なコーナーを抜けた後ろは2〜3車身離れていることに、彼は気付いていた。逃げて勝機を見出すスタイルを確立してからは、高校時代には手の届かなかった選手たちと年間総合成績を争うほどの活躍をみせるようになっていた。

攻撃で突破口を開いてくレース運び。彼の走りを期待して会場に足を運ぶファンも多い

突然やってきた世界トップとのレース

2014年、その活躍が認められ埼玉県車連の推薦でツール・ド・フランス・さいたまクリテリウムに出場。スペシャルチームとして佐野淳哉、橋本英也、徳田鍛造とともに、ペテル・サガン、ヴィンツェンツォ・ニバリ、マルセル・キッテルなどワールドツアーを走る超一流の選手たちと戦った。

「かつてインターハイに出るのも苦労した自分が、サガンやキッテルの車輪を追いかけている。つねに当たり合う密集度の高い集団、アタックの切れ味。今自分は夢の中にいるんだなぁと……」。

この経験をきっかけに「プロレーサーになりたい!」という想いが彼の人生をさらに前へ押し進めた。「大学の先輩で那須ブラーゼンで走っていた岩井航太さん(現那須ブラーゼン監督)に相談し、チームに成績を通していただきました。今しかできない競技人生、やれるだけやってみたいと!」。

2016年に那須ブラーゼンと契約しプロ選手、高木三千成が誕生。「チームに貢献したい。ファンを喜ばせたい。プロ活動で、たとえトップに届かない試合でも、そこで見せ場を作るのがプロの仕事と思うようになりました」。

2016年に出場したジャパンカッププロロードでは、エースの吉岡直哉が不調のなか、なんとかチームを目立たせたいとがんばった。ワールドツアーの選手たちのラインに入り追走の先頭に立ったり、ファンのためにカタチを残すことに尽力した。

プロ2年めからは東京ヴェントスに移籍。チームのエースとして、大前翔(現愛三工業)とともにレースの成績を求め続けた。そして彼がレースで仕掛ける姿を見ることも多くなった。「プロのスピードで展開するなかで、なんとしてでも突破口を自分で開きたい。他力本願で戦っては言いわけができてしまう。隙を見つけて車輪を奪い、位置取りで弾かれても、とにかく前に突き進んでゴールラインを求めていく」。

そして東京ヴェントスでプロ3年めの今年は社会人として働きながらのレース活動となった。これは彼が望んだ環境でもあった。「研究に明け暮れつつ時間を捻出して走っていた大学時代は、自分が成長できるいい時間でした。勝負に妥協しない環境を作るために社会人になると決めました」。

限られた時間だからこそ学ぶべきことがある。自分の高みを追求していきたいと語る彼の表情は気概と自信に満ちていた。

 

REPORTER

管洋介

アジア、アフリカ、スペインと多くのレースを渡り歩き、近年ではアクアタマ、群馬グリフィンなどのチーム結成にも参画、現在アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める
AVENTURA Cycling

 

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