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翼を持ったプロレーサー「奇跡の復帰」 増田成幸(前編)【La PROTAGONISTA】

落車による骨折、そしてバセドウ病との闘いを克服して
ロードTT日本チャンピオンの座を獲得した増田成幸。
その強さのベースは人力飛行機のパイロットとして培われてきた。
壮絶すぎるその歩みを2号に分けてお伝えする。

■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1983年10月23日 身長・体重/175cm・60kg
座右の銘/苦しいときは気持ちいいと思え

宇都宮ブリッツェン 増田成幸

【HISTORY】
2005     ベルエキップ
2006-2007  チームミヤタ
2008-2009  エキップアサダ
2010     チームNIPPO
2011-2012  宇都宮ブリッツェン
2013     キャノンデール・プロサイクリング
2014-現在   宇都宮ブリッツェン

闘病生活からの復活そして、地元での勝利

2018年5月13日Jプロツアー第8戦宇都宮ロードレース。舞台はジャパンカップでも知られる古賀志林道。

ルビーレッドジャージを着る窪木一成率いるブリヂストン、シマノレーシング、キナン、マトリックス、そして宇都宮ブリッツェン。そうそうたる顔ぶれがスタートラインにそろい、冷たい雨が降り出すなか、レースの号砲は鳴った。

オールラウンドに能力が試されるコース。身を小さくかがめてハイスピードで駆け抜ける平地、渾身の力でバイクを振り続けるヒルクライム、度重なるアタックの先に、とうとう宇都宮ブリッツェン鈴木譲とマトリックス安原大貴のエスケープが決まった。地元宇都宮でリードを奪う走り、選手の必死な表情にファン達はいつしか雨をも忘れていた。

レースは終盤、この展開にしびれを切らしたシマノレーシングがそのエスケープを捉えにリードアウトすると、一気にプロトンは小さくなり先頭をキャッチした。このレースが振り出しに戻った瞬間、マトリックス佐野淳哉がアイランフェルナンデスを従えて強烈にペースを上げはじめた。集団に緊張感が走った……。

「レースは動いた!」

すかさず飛びつく宇都宮ブリッツェン岡篤志、ライバルを減らすアタックを重ねるシマノレーシング入部正太朗。リーダージャージの窪木一成が乗り遅れた隙に強力なメンバーが先頭にそろった。

満を持して最終展開を作りに動いた、マトリックスのベテラン土井雪広に反応したのが宇都宮ブリッツェン増田成幸。振り向けば少し離れたトップグループ。その瞬間、間髪入れずに増田成幸が渾身の力を込めてペダルを踏み倒した。

レースは劇的なクライマックスを迎えた。この光景にファンの胸の鼓動は最高潮に達した。彼がゴールラインを抜けるまでの2kmのあいだに複雑な想いが駆け巡る…。

ちょうどこのレースの一年前、2017年5月18日に行われた記者会見。壇上に現れた増田成幸の身体は絞られた細身に拍車がかかり「レースを中断しパセドウ病と戦う」と発表。

ようやく復帰したツール・ド・北海道では落車し鎖骨骨折でリタイア。ほとんどレースを走れないまま終えたシーズンを乗り越えて魅せた独走劇。大きく拳を突き上げてゴールするその姿に「不死鳥」の姿が重なった。プロタゴニスタはJプロツアーのトップランカーとして10年、幾度ものケガや病を乗り越えて日本のエースとして立ち続ける増田成幸選手にフォーカスした。

人力飛行機のパイロットからの転身

2005年8月6日。日の出を迎えた駿河湾富士川滑空場。「朝凪」と呼ばれる風のやむ瞬間が訪れるタイミングを、彼はコックピットでひとり指示を待っていた。

人力航空機日本記録への挑戦。4年ものあいだ自力滑走で飛ぶトレーニングを続けて迎えた、初めての海の上での本番飛行。彼の身体の重さ、カタチに合わせて作られた日大式NM・03型メーヴェ21号。挑戦日の体重は57kg。揚力を生かせる設計体重に少しでも補給食を積むため、彼の極限まで身体を絞り切った。

「大学1年の11月にエルゴメーターのテストを経て、鳥人間のパイロットの候補生として選ばれました。大学の3号棟にある地下室の薄暗い電灯の下、部員全員で毎月お金を積み立て、一台の飛行機の研究と設計に日夜没頭しました。10人の情熱家達の夢を背負い、飛行機のワンピースとなるべく続けた3年間のトレーニング。『たった一日で壊れてしまう夢のフライト』僕らはセミのような人生だなと笑いました。飛ぶはずだった前年は台風で飛べず、自分は大学4年となり、まさにラストチャンスでした」

300wの出力でスタートして駿河湾に飛び出した。

設計した仲間の乗る船3艙に見守られながら、240w前後でペダルを踏み続け、1時間48分12秒におよぶ飛行は続いた。

「小さなコックピットはほぼ蒸し風呂。もうダメだぁ〜、頑張る〜を繰り返して、ついに脱水症状を起こし墜落。沈んでいくコックピットに仲間が引き上げに来たときにはもう力を出し尽くしてボロボロになっていました」

飛行距離は直線で49.172km、今もまだ破られていない日本記録を残した。

「そう、僕は本格的に自転車選手になる前からペダルで限界を見続けてきたんです」

かけがえのない仲間たちとの当時のフライトを想い出す増田選手のうれしそうな表情はいつものそれとはまた違う印象を受けた。

高いヒルクライム能力を持つ増田。迫り来るジャパンカップに向け虎視眈々とロードワークに励む

やりたいことに没頭する性格が転機を作った

「僕は本当にやりたいことに100%燃え尽きるまで没頭してしまうタイプなんです」

自転車も一度は高校2年の春に手を付けていた。中・高の軟式テニス部で燃え尽きた頃に、「シャカリキ!」(曽田正人著)に影響されて溜めていたお年玉でパナソニックのアルミのロードバイクを手に入れた。

「インターハイに出てみたい」と学校に折り合うも、進学校の方針により却下。通っていたサイクルショップで仙台商業の顧問佐藤正博先生に出会い、高体連登録ができなくとも同世代の選手たちといろいろなレースに連れて行ってもらう機会を得ました」

高校3年になると「どうしてもインターハイに出たい!」と宮城車連の高校の先生に懇願すると「優勝してもインターハイに出れなくていいならインターハイ予選の県大会に白いジャージと黒いパンツで出ていいぞ」と許可を得た。母親にゼッケンを縫ってもらい、名取市のサイクルスポーツセンターを20周する県大会に出場した。

「最後の周に落車をしてしまい後輪をはめ直して完走、8位になりました。それでもやりたかった自転車で、全国レベルで活躍する選手たちと戦えたことに満足しました。情熱で手に入れた大レース。元来積極的ではない人間だった僕が、やりたいと思えることに出会うと無限のエネルギーを発することに驚きました。そして、テニス部の5人の仲間たちが僕のこの成績を学校に頼んで掲示板に貼ってくれるように働きかけてくれました。僕ひとりの挑戦ではなかったことを彼らとの絆とともに感じ取りました」

以降、機械系のエンジニアを目指し受験勉強に没頭し、自転車からは離れてしまっていたが、日大の航空宇宙研究科で鳥人間と出合い、大学1年生の春に自転車トレーニングを再開した。

「パイロットの能力はヒルクライムの出力の出し方に似ている。訓練のひとつとして再びロードレースにも出ていました。鳥人間のパイロットを引退したとき、必死に踏み続けたペダルへの想いから「プロの自転車選手になりたい」という気持ちが湧き出て来ました」

日本記録への挑戦から2カ月後、増田は当時プロ入りへの登竜門であったジャパンカップオープンロードで準優勝した。

突然現れた脅威の新人、異色の経歴に目を付けた栗村修氏(当時チームミヤタ監督)から声がかかり事態は急転!

プロデビューを果たし世間を騒がせることとなる……。

(次号へ続く)

 

REPORTER

管洋介

アジア、アフリカ、スペインと多くのレースを渡り歩き、近年ではアクアタマ、群馬グリフィンなどのチーム結成にも参画、現在アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める
AVENTURA Cycling

 

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PROFILE

管洋介

BiCYCLE CLUB / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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