今野家最速の男、今野義の誕生と事故による挫折|伝説のフレーム「三連勝」【前編】
Bicycle Club編集部
- 2021年06月27日
日本のスポーツ自転車の創成期、今野家という自転車一家があった。長男のケルビム、次男の三連勝、四五男のミユキ。同じ兄弟からいくつものブランドが生まれた。とりわけ次男の今野義が作った三連勝はアメリカにも本格上陸を果たし、世界の輪界にも強烈なインパクトを残した。
今再び、今野製作所が三連勝を継承し三連勝フレームが復活することに。今野家のブランドの復活は新たな伝説を生む。一時代を築いた三連勝とはなんだったのか? その伝説のスタートから隆盛期をたどる。そして新たに生まれる幻の秘刀とは!?
東京五輪に出るはずだった今野家最速の男、今野義
法政大学自転車部主将
東京2020の前の東京オリンピック、1964年の自転車ロードレース出場をほぼ確実なものにしておきながら代表を逃したレーサー「今野義」。のちに彼は「三連勝」ブランドを確立することになる。
「ケルビム」「三連勝」「ミユキ」で知られる今野三兄弟。同じ兄弟からこれだけのブランドが生まれた、驚くべき自転車一家だ。なかでも三連勝を立ち上げた今野義の情熱とカリスマ性は、日本および世界の自転車界にすさまじい影響を残した。
兄弟のなかではいちばんの剛脚を誇っていた次男坊「義」は、ケルビムの創業者となる長男「仁」の影響もあり、若くして多くの自転車競技に出場していた。都立紅葉川高校の自転車競技部に入部。1961年の全国高校自転車道路競争東京大会で個人優勝し競技者として頭角を現した。
とにかく競技が好きだった義。法政大学に進学し、もちろん自転車部に入った。日本人離れした長い手足を持ち、独特なライディングスタイルと持ち前の度胸で多くのレースでタイトルを奪っていた。主将も務め、競技者たちからの信頼も厚かった。
親交のあった選手には、のちに中野浩一のV10達成を支えたナガサワレーシングサイクルの長澤義明、後輩に九十九サイクルスポーツでカラビンカを作る田辺昭夫などもいた。長澤は日大時代から自転車をイジるのが好きだったが、今野義は走るのが専門だった。レース用ホイールを組めるようになったのは、後に自転車屋を始めてからだったという。
60年代中ごろ、今野家は東京・世田谷鶴巻のみゆき荘にアパート経営をしながら住んでいた。自転車作りを始めた兄弟たちはみゆき荘を工房としていた。法政自転車部の面々もひんぱんに出入りしており、さながら自転車のトキワ荘的な様相となっていた。
プレオリンピック
時代は1964年の東京オリンピックへと向かっていた。1942年生まれの彼は当時21歳と選手として乗りにのっていた時期だ。正式に発表された「個人ロードレース」のコースは八王子市内のアップダウンで繰り返される、およそ25㎞の周回コースを8周する200㎞に決定した。
本番1年前の1963年10月、同じコースに海外の有力選手や全国の強者たちが集結しプレオリンピックが開催された。雨が降ったりやんだりという過酷なコンディションだったが、今野義は海外選手と互角に戦い走り切り、7位という好成績を収めた。そして日本人では4位。ロードの日本代表枠は7人だったので、五輪出場はほぼ間違いなし、という成績だった。
まさかの挫折
義は練習を単独で行うことが多かった。世田谷通りから神奈川方面に向かうが、時間がとれないときは、川崎市の向ヶ丘遊園あたりの河岸段丘の坂を何度も上っていた。大学での合同練習はどちらかというとオマケ程度だったという。
そんな単独練習中に悲劇が起きた。向ヶ丘遊園の坂で車輪を取られ落車、深い側溝に落ちた。胸を強く打って倒れ、通りがかった人の通報で病院に搬送された。脾臓破裂の重体で即刻手術となった。一命はとりとめたものの選手としては決定的なダメージとなった。さらなる不幸は、執刀した担当医の処置が悪く1年間で3度の手術を要することに。選手生命はおろか、命さえ危うい時期が半年あまり続き、オリンピック代表どころではなくなってしまった。
作る側の道へ
持ち前の生命力と多くの人の助けで義は奇跡的に選手として復活を果たすことになる。しかしさすがに東京オリンピックには間に合わなかった。だが信望の厚い彼は、正式のサポートメンバーとしてオリンピックを支える立場となり1964年を迎えた。
ここで彼に衝撃を与えたのが、チネリをはじめとしたイタリアンレーサーたちだ。この約10年後、彼は目に焼き付いたフレームを自身の手で製作するまでになる。
大学を卒業後、丸石自転車に就職。このころ本格的な自転車人生を歩む決意をした。丸石自転車でも競技者として活動し、半ばセールスマン、半ばレーサーという立場だったようだ。60年代後半からは、日本アマチュア自転車競技連盟のコーチも兼務していた。
1970年に丸石自転車と連盟のコーチを退職、母校だった法政大学自転車部の監督を務めることになる。しかし監督の給料はわずかで、生計を立てるため自転車屋を開業することにした。これが後に三連勝を生んだ「シクロウネ」だ。
続く「シクロウネ創業!勝利のマシン、三連勝創成期」の記事は7月4日(日)に公開!
幻の「三連勝」をその手に!復刻オーダーフレームを限定販売
今野製作所により三連勝が復活。バイシクルクラブのECサイトでの10本限定生産の三連勝オーダーフレームが実現した。工房に残っていた当時のラグセットを使った貴重な限定モデルかつて三連勝のカタログにあったフラッグシップモデル 「カタナ(KATANA)」の仕様をベースに、復刻。今野義のポリシーも受け継いだ今野真一が作るサイズフルオーダーの三連勝はまさに一生物だ!
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- CREDIT :
- TEXT:今野真一/西山貴之(編集部) PHOTO:増川浩一/山田芳朗
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