弱虫ペダルサイクリングチーム 川野碧己【El PROTAGONISTA】
管洋介
- 2021年08月21日
5歳から始まったMTB競技人生
父の影響で、兄とともに5歳で始めたMTBレース。最初のころはまわりにまったくついていくことができず「きっと僕は向いていないんだろうな……」と競技に対し後ろ向きになることも多かった。
小学5年で八代正の指導するリミテッドチーム846に所属してからは全国レベルで走れるようにはなったが、どんなにがんばっても2位。一方、兄の太雅は中学3年での全国大会制覇を機に競技を引退してしまう。兄の背中を見て育った川野にとってそれは、「あのレベルで勝たなければやめられない」という大きな重圧となった。「中学に入りチーム合宿の練習内容にロードが入ってくるようになると、今までと少し感覚が変わりました。MTBで強い子よりも、ロードでは僕のほうが走れているのに気づいたんです」
新たな感覚に驚きながらも中学最後となる8月のMTB全国ユース選抜大会に照準を定めた。しかし、レースの規約が改正され、高校1年生も参戦できるようになったことで状況が変わってしまう。「MTBの中学生ナンバーワンを意識してきたので、力量差の大きい高校生と走ることで気持ちがあいまいになってしまいました」
結果は9位。シングルリザルトを残しはしたが、一抹の悔しさを噛み締めながら高校受験に気持ちを切り替えた。
ロード転向のきっかけは受験勉強
小学6年から少しずつ伸び始めた学校の成績。川野はMTBに打ち込みながら、勉強にも熱心に取り組んでいた。都立日比谷高校を目指し、受験を半年後に控えていたころ、塾の先生から意外な言葉をかけられた。「自転車競技部もある慶応を受けてみたら?」
その言葉にはっとした。国公立を目指す塾のプログラムとはまた別の勉強が必要となり、独学で過去問を研究し勉強を進めた。「受験まで過去問で合格ラインに達したことはありませんでした。でも僕は自分の実力を少し超えたところに挑戦すると、力が発揮できるタイプ。いい意味で緊張感なく臨んだ入試では、運も味方し慶應義塾に合格できました」
だが進学も決まり、ひさしぶりにMTBにまたがると、何か感覚が違うことに気付いた。「1.5あった視力が受験勉強で大幅に落ちていたんです。シングルトラックで走るMTBでこの視力は大きなマイナス。じつはこれがロード転向のきっかけでした」
もともと感触がよかったロード。初めてのバンク練習ではハロンタイム(駆け下ろし200m)で時速57.6kmの12.5秒を記録、瞬発力の才能に気がついた。
練習やレースを探求していくうちに、ロードレース特有の駆け引きなど、MTBにはなかったおもしろさも感じ始めた。
胸に誓った亡き友への想い
2018年7月18日、川野はつらい日を迎えた。まじめで伸び盛りの後輩が事故で他界したのだ。同じ競技を目指した同志の死。「人生ここからというところでなぜ……。彼のためにも全国優勝しなければ!」
この思いを胸に川野はロードレースで人生の勝負に出た。
2019年の全日本選手権ロードレースJrは、富士スピードウェイと外周の一部を利用した119km。トリッキーなコーナリングを含むコースレイアウトに、川野のMTBテクニックが光った。
当時ジュニア最強の選手だった津田悠義(現エカーズ)と2人で中盤から抜けだした。ラスト2周で津田の攻撃にやられてしまい、追走グループに飲まれて8位で終えたが、観客の誰もが突如シーンの最前線に現れた川野の存在に注目した。
再び全日本クラスの強豪に挑んだのは10月の茨城国体。コースはスプリンター向きだったが、ここでは歯車が合わず沈んでしまう。「高校最後に全国優勝して競技に区切りをつけようと挑みましたがダメでした。でもこのままでは終われないと……」
川野は慶応大学に進学して競技を続けることを決意した。そして現在の活躍のきっかけとなったのが大学の先輩にあたり、スポーツドクターを目指す大前翔(現愛三工業レーシング)との出会いだった。「上りでちぎれてゴールまで残れない自分。それまで漠然と登坂能力が低いからだと思っていた自分の力を、科学的な面から解析してくれました」
短時間の高出力には強いのに対して、FTP(1時間維持できる出力値)が極端に低いことが、淡々と上る展開では不利に働いていた。FTPの出力値を成長させるプログラムを練習に組み込み、走りながら回復できる閾値レベルのパワーを引き上げる必要があることに気づかされた。そして大前の指導のもと、川野の大躍進が始まる。
2021年3月、学生トップレベルがそろう神宮外苑クリテリウム。川野は中盤からの有力な逃げに合流、最終コーナーの立ち上がり3番手から一気にまくり、大きく手を広げゴールに飛び込んだ。「中学時代から夢見た全国大会での初優勝。これで亡くなった後輩にいい報告ができると……」
2021年は弱虫ペダルサイクリングチームに入団し、Jプロツアー転戦の大きなチャンスに恵まれる。そして、冒頭のTOJでの活躍。19歳にして日本最大のステージレースで表彰台の真ん中に立った。「力ではかなわない相手はたくさんいる。でも自分が勝つ可能性は必ずある!」
鋭い戦術でレースを運ぶ若きスプリンターから目が離せない!
REPORTER
管洋介
海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍
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