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荻窪圭のマップアプリ放浪「江戸城、名古屋城、大阪城と地形の関係」

城趾は、どんな地形に存在するか?

今も昔も歴史的観光の目玉は『城址』である。城祉。天守閣があろうがなかろうが、今は城としては使われてないので、城址だ。

城といっても無数にあるので一概には言えないけど、城址に辿り着くまでやけに登らされるな、という印象ありません? あれ、予想してないと疲れるよね。

今回はそんな話。

城址とひと口で言ってもいろいろと種類があって、立地で分けると『山城』『平山城』『平城』の3種類。

中世から戦国時代の城は『山城』が多い。山の上に城を築く。生活したり城下町を発展させるには不便だけど、守るには有利だ。敵は急斜面を登ってこなきゃいけないし、山の上からは敵がどこから来るのかよく見える。だから戦いのための城だ。

江戸時代になると戦いより、統治や城下町の発展が重要になるので、平地にお濠をめぐらした『平城』が増える。

その中間の、台地や丘を利用した城が『平山城』。たとえば江戸城だ。平山城と平城の区別ははっきりしてなくて、江戸城は平城に分類されることも多いようだけど、低地と台地の差を利用して築城しているし、もともと室町時代の城を発展させたものだから『平山城』にしていいと思う。

で、そういうのって地図を見ただけじゃわからないわけで、例によって『スーパー地形』の出番である。

スーパー地形は『標高パレット』機能で標高別の色分けを自分で決められる。これ、狙い通りに色分けするのが難しいのだけど(わたしもなかなかコツがつかめない)、なんとか江戸城の地形がわかりやすくなるようにしてみた。

左にある地図パレットを用いて江戸城周辺の地形を色分けしてみた。地図は明治時代のもの。城と地形の関係がよくわかる。

江戸城は武蔵野台地の東端に造られた平山城

元の地図は『今昔マップon the Web』のデータで明治時代のもの。江戸城本丸のところに『本丸』って書いてある。

これをみると、江戸城が台地の東の端にあり、東側と北東側は低地で標高は5m以下。本丸の標高は20mちょっとなので、低地と本丸の高低差が15m以上ある。

江戸城本丸は『皇居東御苑』として無料で一般公開されているので訪れたことある人も多いと思うけど、大手門から入ったあと、延々と坂を登らされる。その理由がこれなのだ。

皇居東御苑(江戸城本丸跡)。大手門を入ったあと、このように何気なく上り坂が続く。見えている石垣の上が本丸の高さ。

平面の地図で見ると『城の周りをお濠が囲ってる』だけだけど、こうして高低差を色分けしてみると、お濠によって標高が全然違うのがわかる。

白い枠は地形図的に『人工的に掘削したっぽい』ところ。そこだけ地形として不自然なのだ。

さらに江戸城の内堀と外堀を地形図で見ると『ああここは川が作った自然の谷地を利用した堀だな』『ここは人工的に無理矢理掘削した堀だな』ってのがなんとなくみえてくるのもまたよし。

大変なところを担当させられた武将のみなさまお疲れ様でした、だ。

皇居に残る江戸城の天守閣の石垣部分。天守閣は1657年に消失したが、町の復興を優先し、以降再建されず。

名古屋城と熱田湊を結ぶ熱田台地

城と地形とお濠を掘るのも大変だってのが分かったところで、他の城も見てみたい。

まずは『尾張名古屋は城で持つ』と言われた(そういえば最近は聞かない気がする。今でも言うんだろうか?)名古屋城。

今の名古屋城が築かれたのは徳川家康の時代だが、もともと那古屋城という小さな城があった場所だ。織田信長も一時期那古屋城にいた。

北側の低地(名城公園)から見た名古屋城。石垣の高さが低地と台地の高低差だ。石垣の下には濠がある。

で、地形図で見ると実に面白いのである。

ちょっとした台地の北西の端にあるのだ。名古屋城を訪れる人はたいてい南か東からアプローチするので気づきづらいが、北や西とは高低差があるのだ。そして東と南は人工的に掘った濠で囲まれている。道路をみると、高台だけきれいに碁盤目になっている。台地に城下町を作った名残だ。

名古屋城は台地の北西端に築城されたのがわかる。北西の低地には水田が広がっていた。

明治時代の地図だともっとわかりやすい。

明治時代の地図+地形。低地は水田だった。台地の端に熱田神宮や熱田湊があり、名古屋城と道や堀川で結ばれていた。

低地だった名古屋城の西側は大きく水田が広がっている。逆に高台だった南と東に街が延びている。

ちなみに名古屋城の標高はだいたい10~12m。西側や北側の低地は3~4mなので周囲との高低差は江戸城に比べると小さい。

さて、名古屋の地形が面白いのは、名古屋城の南。象の鼻みたいに台地が南に細く延びているのである。

この細長く南に延びた先っちょには何があるか?

名古屋が誇る古社で、三種の神器のひとつ草薙剣を祀る『熱田神宮』である。往古は海に突き出した岬状の土地だった。

熱田神宮のある台地の南端には熱田湊があった。江戸時代もこのあたりまで入り江になっており、東海道の『七里の渡し』(ここまで陸路で来た東海道は、熱田から桑名まで距離が七里ある海路を使っていた)があったのである。

で、熱田湊から名古屋城まではちょっと距離がある。そこで1610~11年に熱田湊から台地の西側に沿って名古屋城まで『堀川』が掘られた。人工の川だ。これで名古屋城に船で物資を運んだのである。

堀川の名古屋城の南西あたり。かつては物資の集積所。今はクルーズ船が出ている。

家康が名古屋城築城を急がせたのは、西国大名に対する守りの要として考えていたからだといわれている。まだ大阪城に豊臣秀頼が健在だったからだ。

名古屋城の天守完成が1612年、大坂の陣をしかけたのが1614年である。

大阪城は上町台地の北の端にあった

北西の方向から内堀を経て眺める大坂城天守閣。ただし、現在の天守閣は昭和初期に建てられた鉄筋コンクリートの再建天守。

というわけで大阪。ここもまた強烈な地形なのだ。

大阪城を訪れるたびに、やたら坂を登らないと城にたどり着けない上に大阪城ってめちゃ広いので、歩くだけで疲れるってイメージがあると思うけど、やはりそういう地形だったのである。

大阪城周辺の地形をみるとこんなだ。

大阪城は三方が低地で、西はすぐ海(当時)、北と東は多くの河が流れていて天然の要衝だったのだ。古代の難波宮も大阪城のあたり。

大阪城の周りが全部低地で大きな川が何本も流れている。

実は大阪城は上町(うえまち)台地と呼ばれる台地の北の端なのである。

三方が低地、つまり高低差があって守りやすく、弱い南側には大きな堀が築かれた。

ちなみに、大坂冬の陣で活躍した真田信繁の『真田丸』はこの南側に作られた出丸。徳川家康の陣地も南側の台地上だった。戦いに地形は大事である。 大阪へ観光で行くと、普通は大阪駅から、つまり大阪城の北側から城へ向かう。大阪城も寄りの京橋駅も大阪城公園駅も低地にある。だから坂を登らねばたどり着けないのだ。

大阪城があるのはかつての『河内国』。河の内である。

大阪城は石山本願寺跡に秀吉が築城したもの。石山本願寺といえば、織田信長を悩ませ、攻略に長年かかった宗教勢力だ。

何しろ京都とつながる淀川と瀬戸内海をつなぐ水運の拠点であり、周辺を複雑に入り組んだいくつもの河に囲まれていて攻めづらいけど、放置しておくわけにはいかない場所だったのだ。

往古は大阪城がある上町台地の北側まで海が入り込んでいた。その周囲は水害に悩まされ、なんと日本書紀にも仁徳天皇が治水を行って大阪平野を開発したという事跡が書かれている。それほど昔から苦労してきた土地。

ちなみに標高パレットを変えて大阪城と低地の高低差を目立たせてみた。おおざっぱにいって青っぽいところは往古は水の中だったと思っていい。

大阪駅も京橋駅も低地に位置する。天王寺駅はさすが、飛鳥時代からの古刹『四天王寺』だけあってちゃんと台地上にある。

江戸城・名古屋城・大阪城と見てきたけれども、やはり戦国時代から使われてきて大きく発展した城は似たような地形だったのである。

今回紹介した地図アプリは「スーパー地形」

『カシミール3D』を開発したDAN杉本氏が手がけた地図アプリ。地形や各種地図を重ねて見られる他GPSログ機能もある。
「スーパー地形」
販売元:Tomohiko Sugimoto 取材時のバージョン:4.0.6
価格:無料(App内課金、機能制限解除980円)

■App Storeで「スーパー地形」をダウンロード
■Google Playで「スーパー地形」をダウンロード

(この記事は『flick! 2020年9月』に掲載された「荻窪 圭のマップアプリ放浪」を再編集したものです)

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PROFILE

荻窪圭 

flick! / ライター

荻窪圭 

老舗のIT系ライター、デジカメライターなるも、趣味が高じて『古地図と地形図で楽しむ東京の神社』(光文社知恵の森文庫)など歴史散歩本執筆や新潮社の野外講座『東京古道散歩』講師なども手がける。 https://ogikubokei.blogspot.com/

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