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荻窪圭のマップアプリ放浪「『京都』も古地図を見ながら歩くと意外な発見がある」

京都には全体に微妙な高低差があるのだ

京都に仲の良い友人がいるので、一時期、年に数回は遊びに行ってたことがある。そしてあるとき、折り畳み自転車がマイブームだったわたしは何度も愛用の折り畳み自転車(Birdy。当時はBDー1と言った)を持って行ったのである。

2006年夏のこと。京都の北の方を攻めてみるかと千本通を北上したとき気づいたのだ。漕いでも漕いでもスピードに乗らない。北風も吹いてない。自転車の調子が悪い?もしかして寝不足で新幹線に乗ったから体調不良?

京都の地形。黄色が約50m、水色が約30mで標高を示してみた。一見平らでも御所から桂川にかけて微妙に高低差があるのがミソだ。自転車で走ると如実に実感。

いやいや、京都が平らではなかったのだ。何度も遊びに行ってたのに、徒歩や車移動が多くてまったく気づいてなかったのである。JR京都駅の標高は約27m。二条城の庭園は約39m、京都御所に至っては約51mである。京都駅と京都御所は約24mの高低差があるのだ。直線距離で約4km。4kmで24mの標高差なのでほんとに微妙なのだけど、平地だと思ってたけど微妙に上ってたっていう地形はメンタルを削られるのだ。

ちなみに京都の地形を細かく見ると、北が高くて南が低いというより、北東が高くて南西が低い。そんなん地元の人しか知らんわ。

今の京都の場所は平安京の場所ではない

京都人ではない我々は、京都といえば平安京、京都の碁盤目の町割りは平安京を受け継いでるのだ、と思いがちである。でも、行ってみると「あれ?」と思う。京都からちょっと北へ行くと東本願寺、その西に西本願寺がある。そうやって並ばれると両本願寺の間の道が京都の中心線かな、と思っちゃう。駅からも近いし。

北に向かうと繁華街の四条烏丸も近いし、西本願寺前の堀川通を北上すると二条城、東本願寺前の烏丸通を北上すると京都御所、その間に京都府庁もある。

でも平安京遷都時に建立された東寺と西寺(西寺は残ってない)はもっと西にあるのだ。東寺へ行こうと思ったら、京都駅の南口を出て線路沿いに西に向かい、そこから九条駅まで南下しなければならない。中心から外れた場所というイメージだ。

でもこの東寺こそが平安京の入口。ここと西寺(現存せず)の間にあった羅城門から北上する線が(ちょうどそこを山陰本線の線路が通ってて道すらないのだけど)平安京時代の中心線だったのだ。

なぜ平安京時代と今で中心がこんなにずれてるのか?はじめて東寺を訪れたとき、そこがめちゃ気になったのである。

平安京の中心線だった朱雀大路は京都駅や本願寺といった今の中心線から大きく西にずれていた。

なぜ、ずれているのか?『地形が理由』?

京都といえば源平の争いから応仁の乱まで、廃れたり復興したりを繰り返して来た都ではあるが、あれこれ読んだ中で一番しっくりきたのが『地形が理由』。前述したように京都の地形は北東が高くて南西が低い。そして地下を流れる豊富な水がある。

ということは、南西は低湿地帯なのだ。

そういう地形を無視して碁盤目の都を作ったので、南西部は人が住むのに適しておらず、平安時代の時点で西の方はすでに廃れ、地盤が安定した北東方面へ広がったというのだ。

では高低差で色分けした地形図に『スーパー地形』を使って明治時代の地図を重ねてみよう。分かりやすいよう、平安京時代の中心線(朱雀大路)を引いてみた。

現代地図と同じエリアの明治時代版。朱雀大路(白い縦線)の西はほとんどが田んぼだったことがわかる。思い切り東に偏っていたのだ。

いやあ、びっくり。明治時代の時点で、西の方はほぼ田んぼ。北西には北野天満宮や龍安寺と著名な古社古刹があるけれども、南西はほぼ田んぼなのだ。小さい集落がときどきあるだけ。逆に東の方は二条城を西の端としてびっしりと市街地になってるのである。平安京の中心だった大内離なんか影も形もない。じゃあ我々が知る古都京都の姿はいつできたものなのか。

乱世の京都を再現した地図を発見

よし、京都の古地図を探してみようと思ったのである。京都のことだから室町時代の絵図とかさくっと出てくるかなと思ったら、そんなに甘くはなかったのだけど、ひとつ面白いものに出会った。『中昔京師地図』である。『中昔』はちょっと昔という意味。めちゃ昔は『上古』(今でいう『古代』くらいのイメージ。平安時代とか)。中昔だと室町時代くらいと思って良さそうだ。

江戸時代中期に『森幸安』という地図制作者が応仁から天正の120年間(応仁の乱から織田信長くらい)の荒廃していた京都を描いた『江戸時代に制作された乱世の京都の古地図』なのだ。そして、さらにその写しになるので、検索するといろんなところが所蔵し、デジタル化されたものを閲覧できる。

わたしがよく見ているのは国立国会図書館デジタルコレクションの『中昔京師地図』。写しが丁寧で文字が読みやすいから。

中昔京師地図は豊臣秀吉が整備する前の京都を見られるのがミソだ。

『中昔京師地図』の部分。京はどんな歴史を持っていて、いつからいつまでの京の姿を考察して描いたってことが漢文で書いてある。

では、本当に古い京都は、いったいどこにあったのか?

まず、東本願寺も西本願寺もない。天正19年(1592年)に豊臣秀吉が京都を整備する際、現在地に本願寺(西本願寺)を建立。その後慶長7年(1602年)に徳川家康が寺地を寄進し、東本願寺が建てられたのでこの地図の時点ではまだないのだ。

二条城もまだない。二条城は徳川家康によって築かれた城だから。もちろん平安神宮もない。あれは明治28年創建だから。でも『八坂神社(祇園社)』も、『北野天満宮』も『平野神社』もあるし、道の名前も多く残っていて一条から九条まで書かれているし、烏丸や京極、今小路と今に続く地名も残っているから今の地図と照らし合わせるのもできないことはない。

しかも『中世京都歴史地図』なので、歴史的な場所が網羅されており、室町〜戦国好きにはたまらないのだ。『将軍室町花御所旧地』(足利将軍家の邸宅。室町幕府である)や『義昭公二条御所』(足利義昭のために織田信長が築城したもの。今の二条城とはちょっと場所が違う)も描かれている。

応仁~天正の京都を示した『中昔京師地図』。八坂の塔や恵比須神社も同じ場所にある。祇園社の鳥居が南に描かれているのも気になる点だ。こっちが元の表参道だったか。
ほぼ同じ地域の現代図。松原通沿いの古社古刹から古い通りだとわかる。そしてこの通りを道なりに行くと清水寺に辿り着くのだ。

現在の松原通が実は本当の五条通

で、コロナ禍の前、この地図を見ながら京都をぶらぶら歩いていたときのことである。実は『こちずぶらり』(Stoly Inc.)というアプリに『中昔京師地図』(国立国会図書館デジタルコレクションとは別のバージョン)が収録されているのだ。作りが古いアプリで上下に黒い帯が入ったり、大量に収録されている古地図から選ばねばならないなど使い勝手は良くないけど、この地図を見られる唯一のアプリだと思う。

たまたま八坂の塔の近くに宿泊したので、八坂周辺をぶらぶら歩き、飯でも食おうと松原橋で鴨川を渡ったときのこと。この地図を見ると『あれ?ここが五条橋?』と思った。五条通ってめちゃ幅広い大通りじゃなかったっけ。で、松原橋のたもとにある解説板があったのでそれを読むと、松原通が平安時代の五条大路で清水寺の参詣道でもあったが、豊臣秀吉が方広寺大仏殿造営にあたり、五条の橋を少し南(今の五条通)に架け替えて『五条橋』と称したとある。

なんと秀吉のしわざか!

いわれてみると確かに、四条と五条は妙に離れてるし、五条天神は松原通沿いにあるし、六道の辻や六波羅探題跡といった平安時代の史蹟もあるし、東へ歩いて行くと清水寺に辿り着くから、平安京時代からの古道だったってのはすごく分かる。牛若丸と弁慶が決闘したという『京の五条の橋の上』は今の五条大橋ではなく、この松原橋だったのだ。五条通ってさすが国道1号だわ、五条大橋もさすがデカいわ、とか思ってたのがなんか悔しい。でもガイドブックとかで『ここがかつての五条大橋でした』といわれるより、古地図でどかんと示される方がインパクトがあってよいですな。リアルにそれを感じられる。

今の松原橋。古くてコンパクトで良い橋である。そして牛若丸と弁慶が戦った(という)橋はこちらだったのだ。

かくして、マップアプリやネット上に公開されているいろんな古地図を駆使して、地形と歴史を机上で楽しもうというこの連載も今回でひとまず終了。ほぼ東京の話だったけど最終回はどかんと京都へ飛んでみた。

また、機会があればどこかで。

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荻窪圭 

flick! / ライター

荻窪圭 

老舗のIT系ライター、デジカメライターなるも、趣味が高じて『古地図と地形図で楽しむ東京の神社』(光文社知恵の森文庫)など歴史散歩本執筆や新潮社の野外講座『東京古道散歩』講師なども手がける。 https://ogikubokei.blogspot.com/

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