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映画『SPOONS』とサンタバーバラ物語_vol.2

2020年に公開されて、大きな話題を呼び、サーフィンという枠を超えて、多くの映画賞を受賞した『Spoons: A Santa Barbara Story』。サブタイトル通り、カリフォルニア有数のリーフブレイク、リンコンを誇るサンタバーバラのサーフィンヒストリーがそのテーマだ。DVDもリリースされているコアな映画の裏側や時代背景をNALUでお馴染みの抱井先生が解説する。
◎出典: NALU(ナルー)no.120_2021年4月号

カリフォルニアのレジェンド、ジョージ・グリノー

藪の中で革命家とバッタリ

ジョージ・グリノーは1977〜’78年の冬だったか、映画ビッグウェンズデイの撮影に向かうその姿を見かけたことがある。自分とグリノーさんとの接近遭遇は、そのサンセットビーチを通るカムハイウェイの路肩のブッシュでの一度のみ。ビッグウェンズデイの撮影クルーは、バジェットのレンタカー群で派手に移動していたのですぐに目についた。グリノーは雑誌で見るままの黒いウェットスーツに自作の大きな35ミリムービー水中カメラを手に歩いていた。なんで歩きにくい藪の中を歩いているのか? 理解できなかった。
グリノーは知られる限り最初っからニーボーダーとして登場してきた。そのボードの長さは5フィート足らず。しかも魚に近いボードのしなり(フレックス)を求めてか? ボードを形成しているフォームを削り取り、ほとんどファイバーグラスだけのニーボードを創りだした。だからこそグリノーさんボードもまた、その見た目からスプーンと呼ばれるようになったのだ。この映画のタイトルがスプーンズと複数形なのもわかる。
この人の存在も、それからハイアスペクト・フレックスフィンのことも当時私はすでに知っていた。後に復活したロングボードブームのついでに蘇った1960年代のロングボーディング映像を観て、そのフレックスフィンが本当に機能していたのも解らされた。
▲ニーボーダー、クラフトマン、映像作家とマルチな才能を発揮したグリノー。靴やサンダルを履かなかったので、「裸足の天才」が異名
photo: Harold Ward

グリノーフィンとナット・ヤング

それはこの映画でも観れる1966年にサンディエゴで開催されたワールドタイトル決勝の映像で、グリノーデザインのハイアスペクトフィンをマジックサムと名付けられた自分のボードに装着したナット・ヤングが、素早いボトムターンと、もっと素早いスナップとを見せつけていた。たしかに緩やかなカットバックなんかじゃなく、まさにスナップ、ホイップといった革新的なマニューバーだ。ボードの長さこそ相変わらず9フィートを超えてはいたが、そこにはもう半月型の鈍重そうな大きなフィンは見当たらず、それだからこそ! というサーフィンをナットヤングは披露し優勝したのだった。(グリノーがフィンを積層する際の材料はイェーターさんの工場から調達したらしい)結果、ノーズライディングの勝負ではなく、ターンという語が強調された大会となった。
▲オーストラリアの雄、ナット・ヤング。歴史に「もし」は禁物だが、リンコンを訪ねていなかったら、1966年の世界チャンプの座は果たして?
photo: John Witzig

ショートボード革命の旗手となる存在

しかしグリノーによるそのフレックスするハイアスペクトフィンが、冬のハワイのパワー溢れる波でも支持されたという話はあまり聞かない。またグリノーが、先にオーストラリアに渡っていたボブ・クーパーを訪ねてオーストラリアに渡るまでは、本当に世界のサーフィンを変える変人という存在感をまだ発揮し得ていなかったのではないか? けれど渡った先のオーストラリア東海岸の上質なポイントブレイクで、シヨートボード革命の核心にいたボブ・マクタビッシュやナット・ヤングらのトータルインボルブメントに巻き込まれ、そこで5フィート足らず(4’8”)のボードでしかできないタイトなターン、ポケットに飛び込んでのクリティカルなサーフィン、そしてより垂直に近いバーティカルなサーフィンで、ショートボード革命の旗手として世界のサーフィンを進化に導くという役目を担うようになったのではないだろろうか。
▲ナットが世界チャンプに輝いたボード「マジック・サム」をシェイプしたボブ・マクタビッシュ。彼もリンコン詣でをしたオージー
photo: John Witzig

サンタバーバラとオーストラリアの交流

オージーも魅了された海の女王

時はちょっと前後するが、ナット・ヤングは 1966年、マクタビッシュは1967年にサンタバーバラを訪れている、というかリンコンでサーフィンしたと映画中で述べている。そしてハワイにボードを置いてきてしまったというマクタビッシュは、イェーターさんの工場で自分のリンコンの波用のボードをシェイプすることになる。このようにサンタバーバラとオーストラリアの急進派のサーファーとの交流は早くからあったというわけだ。でももしそこにオーストラリア東海岸の上質なポイントブレイクにひけをとらないリンコンというポイントブレイクが存在してなかったら、いったい状況はどう変わっていただろうか? サンタバーバラ伝説はまた、リンコン伝説でもある。
映画のエンドロールに『クイーンオブザコースト』とリンコンが呼ばれる訳を探る場面がちょっとあるが、その答えはなかなかハッキリしない。でもカリフォルニア沿岸の地名にはネイティブアメリカンの冠した地名が多くある。きっとリンコナダデルマーとスペイン語で命名されるに至った以前の言い伝えもあるだろう…。だれもそれに触れないのはちょっと意外だった。いずれにせよ、サンタバーバラが世界のサーフィンの進化の始動を手助けした土地のひとつであったのは間違いない。
▲サーフボードにフレックスという新しい概念をもたらしたジョージ・グリノー。ヴェロと名付けたニーボードにしなるフィンをつけて滑走
photo: “Innermost Limits of Pure Fun” George Greenough

映画『SPOONS』とサンタバーバラ物語_vol.1 はこちら>>>

映画『SPOONS』とサンタバーバラ物語_vol.1

映画『SPOONS』とサンタバーバラ物語_vol.1

2021年10月22日

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FUNQ NALU 編集部

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テーマは「THE ART OF SURFING」。波との出会いは一期一会。そんな儚くも美しい波を心から愛するサーファーたちの、心揺さぶる会心のフォトが満載のサーフマガジン。

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