
今年の冬も、たくさんお世話になった瑞浪の岩場|筆とまなざし#412

成瀬洋平
- 2025年03月05日
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家から車で30分。冬に登れる花崗岩の貴重な岩場、瑞浪。
先週末で今シーズンの瑞浪でのクライミング講習を終えた。毎年12月初旬から2月いっぱいまでの冬の間、瑞浪の岩場が主な講習場所となっている。標高が低く冬でも暖かい(といっても雪が舞う日もあるのだが)瑞浪は、貴重な冬の花崗岩の岩場である。メインはクラック講習で、ハンドジャムからフィスト、フィンガー、ワイドまでリクエストに合わせてさまざまな練習をしている。瑞浪での講習が終わりを告げると春の到来をしみじみと思う。これからは笠置山や小川山が仕事場となる。
瑞浪の岩場は家から車で30分ほどのところにある。トータル時間を考えると笠置山よりも近く、もっとも近い岩場といえる。中央高速を見下ろす明るい森のなかに、大小さまざまな花崗岩の岩塔が点在している。長いルートでも20mほど、多くは10m以下の短いものが多い。短いけれどクラックは個性的なものが多く、5.9でも被っているルートさえあるのだから、初めてこの岩場を訪れるクライマーは面食らうに違いない。スラブやフェイスも含めてグレードは辛め。「ミジカシイ」典型的な岩場が瑞浪である。
当時はひっそりとしていたが、いまでは幅広いレベルのクライマーが訪れるようになった。
この岩場が登られるようになったのは、日本のフリークライミング黎明期である1980年代のことである。ここを代表するワイドクラック「アームロックききますか」の初登者が清水博氏であることに由緒を感じずにはいられない。とはいえ、当時のクライマーといえばごくわずかな物好きやアウトローだけで、岩場はひっそりと登られていたのだろう。
ちなみに、ぼくが初めて瑞浪の岩場に行ったのは高校生のときで、いまから30年近く前のことである。最寄りの釜戸駅から歩き、フィックスロープを張ってアッセンダーで「イブ」(瑞浪を代表する5.11cのフィンガークラック)を触っては「難しくて全然できないなー」と思った記憶がある。ジャミングのジャの字も知らないのだから当たり前である。当時は前傾壁のスポートルート全盛期。花崗岩のクラックなど訪れる人はまばらだったように思う。
当時からすでに「イブ」や「ノア」(5.12bのスラブ)など、今日でも目標とされるルートが誕生していたが、多くは5.10台であり、どちらかというと瑞浪は初心者向けの岩場だった。この岩場が新たなフェイズに入ったのは、いまから10年ほど前である。今井考氏によって「栗きんとん」(5.13aのスラブ)や「マロングラッセ」(5.13bのフェイス)、さらには「ワイドマスター」(5.12aのインバージョンワイドクラック)などの高グレードのルートが追加され、幅広いレベルのクライマーがこの岩場を訪れるようになった。ぼく自身は15年ほど前にUターンしてから毎週通い、クラックのテクニックを磨いた。さらに5年ほど前からは、名古屋のクライマー伊藤光徳氏を中心に地元住民との交流も生まれ、地元の方々と共同で年に一度清掃活動を行なっている。東海地方はもとより、関東からも総勢50名以上のクライマーが毎年集まっている。
岩場に対する愛で満ち溢れた居心地のいい場所。
地元地権者との交流が生まれると、再びルート開拓も行なわれるようになった。ぼくもこれまでに7本のルートを作っている。瑞浪の岩場は少しずつ進化を遂げて、昨今のクラックブームも相まって休日ともなれば順番待ちになるほどのクライマーで賑わいを見せている。
岩場に行けばいつもだれか顔見知りがいて、みんな思い思いにクライミングを楽しんでいる。ここでは、ルートは消費されるものではなく、何度も登られて愛着を育んでいくものなのかもしれない。だからこそ、ここにやってくるクライマーはこの岩場を愛し、大切にしようという気持ちが強いのではないだろうか。岩場に対する愛で満ち溢れている。だから居心地がとても良いのだ。
これからみんな、思い思いの岩場へ散らばっていく。そしてまた冬になると、当たり前のようにまたこの岩場で顔を合わせるのだろう。こんな岩場が近くにあることはとても幸せなことである。今シーズンもありがとう。そして来シーズンもよろしくお願いします。
瑞浪の岩場と、岩場に関わるすべての人に感謝を込めて。
著者:ライター・絵描き・クライマー/成瀬洋平
1982年岐阜県生まれ、在住。 山やクライミングでのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作したアトリエ小屋で制作に取り組みながら、地元の岩場に通い、各地へクライミングトリップに出かけるのが楽しみ。日本山岳ガイド協会認定フリークライミングインストラクターでもあり、クライミング講習会も行なっている。
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