筆とまなざし#236「絵は魔法。描こうとすると輝き出して見えてくる身近な風景」
成瀬洋平
- 2021年07月28日
スケッチをとおして、中学生時代のできごとを思い出す。
涼を求めて、近くの川へスケッチに出かけました。村の中心を流れる川の上流、渓谷にある神社まで行こうと車を走らせたものの、ここのところの大雨で林道が通行止めになっていました。林道の入り口にマス料理店がありました。けれども、いつの間にかその店は取り壊され、基礎のコンクリートと残骸が残っているだけでした。子どものころ、学校行事でも訪れたことのあるその店。時代のせいとはいえ、寂寥感を感じずにはいられませんでした。
道端の空き地に車を止めて、すぐ横の河原に下りてみることにしました。下流に向かった風景を描きたいと思ったからです。橋を渡り、その袂から河原へと続く踏み跡をたどりました。橋の下は日陰になっていて絵を描くのも涼しそう。サンダルを脱いで川を渡渉し、対岸の石の上でスケッチブックを広げました。
花崗岩の間を流れる清冽な水。渓の音とセミの鳴き声。しばらく絵を描いていると、ふと、中学校時代の図工の時間のできごとを思い出しました。
中学校は、そこからほど近い丘の上に建っていました。ある図工の時間、外に出て写生をすることになりました。ぼくはグラウンド脇の見晴らしのいい草原に座り、牧場のある遠くの山を描いていました。けれども、なかなか思うように雲を描くことができません。見回りにきた図工の先生にそう伝えると、先生は絵筆を取って雲を描き始めました。するとどうでしょう? 青空のなかに、走らせた筆の先からモクモクと白い雲が沸き立ってきたのです。
「魔法だ」
中学生のぼくはそう思いました。いまもそのときに受けた衝撃は鮮明に覚えています。
一枚描き終えてから、目の前に流れる水流を描いてみることにしました。変化しながらも絶えず流れ続ける水は、リズムを刻みながら同じような動きを繰り返しているのだけれど、決して同じ動きはありません。観察し、鉛筆の下絵はそこそこに絵の具でその印象を描いていくことにしました。色、光、艶やかさ、水泡、渦巻く流れ、見ていて飽きることのない風景。気がつくと、その場で4時間も絵を描いていたのでした。
ただ通りすぎてしまえば気にも止めなかった風景が、絵を描こうとするととたんに輝き出して見えてくる。絵は魔法。そう、絵は世界を輝かせくれる魔法のようなものなのかもしれません。中学生時代のことを思い出したのは、スケッチをとおしてこの土地の風景が新鮮に見えたからなのでしょう。
今日は久しぶりに夕立のない夕暮れです。強い西日のなかで、ヒグラシの鳴き声が響き渡っています。
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