筆とまなざし#237「講演『吉田博の山旅』を行なって。多くの気づきがありました」
成瀬洋平
- 2021年08月04日
講演会をさせていただいて。自分を新しいステップへ誘ってくれるような気づきと学びがありました。
7月最後の土曜日に、静岡市美術館で行なわれている「没後70年 吉田博展」にて講演をさせていただきました。テーマは「吉田博の山旅」。登山者の視点から、吉田博や作品についてお話するという、少し珍しい内容でした。そしてこの講演は自分にとって今年いちばんの一大事でした。なにせ、若輩者が巨匠の展覧会で、巨匠についてお話をするというものだからです。
講演のご依頼をいただいたとき、とても畏れ多いし烏滸がましいけれど、せっかくお声がけいただいた機会、10年ほど前から吉田博の足跡を追いかけて北アルプスを歩いていたことを交えれば、なにかお話できることがあるかもしれない。もう開き直って自分が気づいたこと、考えていることを率直に話そうと準備をして当日に臨みました。
資料を作りながらいろいろなことを考え、また多くの気づき、学びがありました。吉田博のこと、作品のこと、絵を描くということ、登山のこと、フリークライミングのこと、学生時代に取り組んだ東北地方のサケの伝承のこと、アトリエ小屋作りのこと、自分自身のこと。ぐるぐると自分のなかに渦巻いていたものが、不思議と重なり合い、ひとつの交差点で交わり始めたのです。
人は、自然に働きかけなければ生きてはいけません。大切なのはその折り合いをどこにつけるのか、ということ。それは、自分自身がどのように生きるのか、ということにほかなりません。自然に争い、自然を自分に近づけるのではなく、自分が変わり、自分の側から自然に少しずつ近づいていくこと。そうすることによって自然はその懐に秘めた美しさを垣間見させてくれる。吉田博は、100年前にそのことに気づき、実践しながら絵を描いてきたのだと思います。それはフリークライミング的思想であり、また東北地方のサケの伝承で語られていることであり、アトリエ作りでこだわったことそのものです。その気付きは、自分を新しいステップへと誘ってくれるような気がします。
自分にとっての大仕事を終え、ゆっくり身近な風景を描きたいと、今日は大家さんの庭先に咲く向日葵を描くことにしました。夏雲の湧く青空を背景にしてすっくと伸びる向日葵を見ていると、数年前、ゴッホが暮らしたアルルを訪ねたことを思い出しました。あのときは柔らかな黄色い日差しがとても暑かったけれど、今日も猛暑日になりそうです。
さて、絵を描くことも山を歩くことも岩に登ることも、実践の哲学だと思います。頭でっかちにならず、机上の空論にならず、大文字を使わず、実践を通して体現していくこと。それが大切なのでしょう。どれも未熟で、それを行なっていくのは果てしなく思えますが、少しでも近づいていけるよう、日々精進していきたいと思います。
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