イタリア・オルコ渓谷にて。目標だったルーフクラック「Greenspit」を完登|筆とまなざし#347
成瀬洋平
- 2023年10月18日
一本のルートを軸にして味わった、さまざまな経験や人との出会い。
10月9日、目標だったルーフクラック「Greenspit」を登ることができた。昨年は6日、今年は8日トライしての完登だった。そもそも、昨年は旅費を貯めるのに精一杯で完全なトレーニング不足。偵察がてらとりあえず行ってみようと出かけたものの、だいたいのムーブがわかった程度で完登には程遠いものだった。昨年、旅が終わるときには再訪するかどうかは五分五分だと思った。
けれども今年、気づくとイタリア行きのチケットを取っていたのは、圧倒的な傾斜に空へと続く一筋のクラックの美しさと内容のおもしろさに、すっかり魅力されていたからだろう。そして今年は昨年より少しだけ時期をずらし、涼しくなる季節を狙って訪れたのである。
雨が降ったのは最初の数日だけで、その後は晴れが続いた。北面にある湿っぽいクラックも徐々に乾いてきたのは幸いだった。しかし今年のヨーロッパは異常に暑く、毎日25℃くらい。「Greenspit」には直接日差しは当たらないのだけれど、谷の反対側に当たった日差しからの照り返しが暑い。少しでも風が吹いてくれると状態が良くなるものの、ほとんどいつも無風だった。指先にびっしょり汗をかき、一回のトライでテーピングが剥がれてしまう。さっきうまくいった箇所も次のトライではできなくなってしまって、有効なムーブなのかどうかもわからない。いたずらに日数だけがすぎてしまうのに苛立ちを感じながらもムーブの調整を続けた。
今年のオルコへの旅のもうひとつの目的が、毎年この時期に開催されるクライミングフェスティバルに行くことだった。4日間行なわれるこのイベントには、バーバラ・ツァンガールやワイドボーイズ、ニコラ・ファブレスなどといった世界の第一線で活躍するクライマーたちがゲストで登場。クライミングムービーの上映会やトークショーが行なわれた。イベントの期間中、偶然にも岩場でバーバラに会って話をすることができたのはとても幸運だった。彼女が「Greenspit」を登る動画を幾度となく観ていたからだ。
気温が下がるのを期待しつつ、トライ6日目にピンクポイントに成功。ピンクポイントとは、プロテクションをプリセットした状態での完登で、プロテクションをセットしながら登るレッドポイントより容易だ。そして1日置いた金曜日、レッドポイントでの完登をするために出かけた。その日は気温も下がり、珍しく風のある一日だった。核心のフィンガージャムからのカチ取りで落ち、次のトライのために休んでいるとひょっこり見覚えのある顔が現れた。ワイドボーイズのひとり、ピート・ウィタカーがボルダーのトラバースから「Greenspit」に繋げる「Pura Pura」をトライしに来たのだった。ピートは、現在において世界でもっとも優れたクラッククライマーで、数年前に出版されたクラックのテクニック本は多くのクライマーのバイブルとなっている。まだ32歳と若いけれどさすがはイギリス人。立ち振る舞いが紳士的である。ここでクライマーに会ったのは初めてなのだが、それがまさかのクラックマスターとは。ピートに応援されながらさらにトライするが、同じ箇所で落ちてその日は終わった。ピートはぼくらが帰ったあとでみごとに「Pura Pura」を完登したようだった。
いつも核心手前で手順がうまく運ばずもたついてしまう。それが原因で核心のフィンガージャムが浅くなってしまうし無駄に消耗してしまう。何度も同じことを繰り返すのは良くないだろう。そこで思いついたのが、カムとジャミングの位置を入れ替えたらいいかもしれないということだった。
2日レストして迎えた月曜日は最高気温27℃! と夏のような予報。アプローチからこれまででいちばん暑い。湿度が低いことが救いだけれど休んでいても手に汗をかいてくる。そしていつもどおりほぼ無風。今日はないな、と半分諦めつつもムーブの練習だけでもとアップがてら登り始めた。
背後に照り返しの暑さを感じる。途中のレストポイントですでに滑ってきたが、カチを繋いで件のポイントへ。とりあえずいままでどおりのムーブをしてみようと思っていたが、ハンドジャムが決まった時点でスイッチが切り替わった。いままでジャミングしていた箇所にカムを押し込み、左手をその下に入れる。するとおどろくほどハンドジャムがしっかり効いてずいぶん楽になった。遠い右手のフィンガージャムも難なくで届いて核心を越え、滑る手を出し続けると終了点にたどり着いた。問題はこの左手とカムの位置だった。もっと早く気づいていればと思ったが、気づくかどうかも実力のうちである。
完登から数日経ち、昨年からの日々を振り返ってみる。「Greenspit」がなければオルコを訪れることはなかっただろうし、この場所で生活することはおろか、景色や食べ物、村の人々と出会うこともなかった。一本のルートを軸にして、いろいろな人と出会い、さまざまな経験を味わう。結局、クライミングの魅力とはそういうことなのかもしれない。ロカーナでの生活は名残惜しいが、そろそろ別の場所へ移動しよう。その前に、もう少しこの景色を楽しむために、後日スケッチブックを持って「Greenspit」を再訪しようと思う。
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