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「だから、私は山へ行く」 #04 今田恵さん

標高2,996mに位置する山小屋「穂高岳山荘」。大正14年の創業以来、祖父から父へと受け継がれてきた山荘を、三代目として守る今田恵さんに聞く、山のこと、家族のこと、人生のこと。

「だから、私は山へ行く」
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山とともに育ち、山とともに生きる

日本第三の高峰である奥穂高岳(3190m)と涸沢岳(3110m)の鞍部、険しい稜線上に位置する穂高岳山荘。およそ1世紀前に今田恵さんの祖父である重太郎さんが礎を築き、その後、父の英雄さんに受け継がれたこの山小屋を初めて訪れたのは、恵さんがまだ5歳のころ。

「そのときは、ザックにすぽっと入れられて背負われていたんですけど、涸沢あたりで同い年ぐらいの男の子が自力で歩いているのを見かけて『恥ずかしいかも』って思ったことを覚えています(笑)。ただ、山での時間はすごく楽しくて、その後は毎年夏になると山荘に行くというパターンが定着しました。きっと普通の子が、夏休みにおばあちゃんの家に遊びに行くような感覚ですね」。

山荘の無人売店で売り子をしたこと、多くのお客さんやアルバイトのお兄さんたちが遊んでくれたこと、数え切れないほどの星々を絵日記に書いたこと……。そんな山での思い出を積み重ねながら成長した恵さんは、いつしか家業を意識するようになる。高校3年生のときには、将来、穂高岳山荘を継ぐことを決めていたというが、「一度は都会に出なさい」という両親の勧めで、早稲田大学政治経済学部に進学。登山サークルに入り、〝自分の登山〞を始めたことで、それまで暮らしの一部だった〝山〞の見方が変化したという。

「大学1年生の夏合宿で、北アルプスの表銀座を縦走したんです。すごく天気の悪いなか、1日6時間ひたすら歩いてテントで恋バナをして寝る……。そんな山行だったのですが、最終日に槍ヶ岳に向かう途中で雲が晴れて、自分が歩いてきた稜線がすごくきれいに見えたんです。そのときに『山を歩くって、楽しいなぁ』って。じつは毎年たくさんのお客さんを迎えながらも『みんなどうしてこんなに山が好きなんだろう?』と思うこともあったんですけど、『なるほど!』と(笑)」

大学在学中は登山だけでなく、スキーや学園祭の運営の広報などの活動にも取り組んだという恵さん。大学卒業後の数年間は、一般企業で働くことも考えていたが、父・英雄さんの願いもあって、卒業後すぐに家業に就職することを決意する。

「そのころは父の体調が優れず、『どうなるかわからんから、すぐに継いでほしい』と。それまで『継いでくれ』と言われたことは一度もなかったので驚きましたが、迷いはありませんでした。ちなみに父は、いまもぴんぴんしています(笑)」

こうして山荘に入った恵さんは、その翌年に、大学時代から付き合っていた公基さんと結婚。当初は東京に拠点を置き、夏のシーズンだけ山小屋に行く〝単身赴任〞生活を送っていたが、2012年シーズンには父の跡を継いで、三代目代表取締役に就任。2013年には公基さんも穂高岳山荘の仕事に就いている。

じつは、恵さんが三代目となった2012年のGW、穂高連峰では吹雪による6人パーティの遭難事故があり、低体温症に陥った遭難者が、穂高岳山荘に次々と収容された。スタッフの懸命の処置によって5名は一命をとりとめたものの、1人は回復せず、命を落としてしまった。

「険しい山域なので人の生き死にを意識することは、それまでにもありました。ただ、体が固くなって、命が消えていく……という瞬間を肌で感じたのは、あのときが初めてでした。悲しいことですが、しっかりとした装備や計画、技術、覚悟があっても事故をゼロにすることはできない。では、私たちが山小屋としてやるべきこととは、なにか。そのことを深く考えるようになりました」

通常の宿泊施設とは異なり、山小屋は登山道を整備し、遭難者を救い、自然を守っていく存在だ。しかし、どこまで山に手を加えるべきか。その線引きは難しい。

「登山についての考え方は人によって違うので、本当にいつも迷ってしまいます。でも、そんなときは、重太郎が最初に山小屋を建てたときの気持ちに立ち返るようにしています。山に登りたい人が命を落とさず、登りたい気持ちも消さず、安全に帰ってこられるようにしたい--。山案内人として穂高を歩き、稜線上に山小屋を築いた祖父は、そう願っていたはずだから」

現在、3歳と6歳のふたりの女の子を育てる恵さん。ここ7年間は現場を夫や長年いるスタッフに任せ、ふもとで国内外への情報発信などに取り組む恵さんは、「はやく山荘に戻りたいですね」と目を輝かせる。

「お客さんと話したり、小屋開け前の優しくてきれいな雪山を眺めたり、山小屋という〝船〞のような空間でみんなと過ごしたり……。私、山の時間が、すごく好きなんです」

この夏、恵さんは初めて長女を連れて穂高岳山荘を訪れたという。親から子へ、子から孫へ。穂高を愛し、穂高に生きる人々の思いは、きっとこの先も受け継がれていく。

 

 

今田恵
1985 年生まれ。幼いころから毎年のように父が営む穂高岳山荘に通い、早稲田大学卒業後に山荘勤務を開始。2012 年、27歳で山荘の三代目として代表取締役に就任する。現在は飛騨市神岡町でふたりの女の子を育てながら山荘の運営を支える

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ランドネ 編集部

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自然と旅をキーワードに、自分らしいアウトドアの楽しみ方をお届けするメディア。登山やキャンプなど外遊びのノウハウやアイテムを紹介し、それらがもたらす魅力を提案する。

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