飯豊連峰天幕縦走55時間 前編|ヒトよりもクマの密が気になる東北の山塊
PEAKS 編集部
- 2021年07月15日
未知のウイルスと梅雨前線に翻弄されながら、目指すは東北に連なる飯豊連峰。公共交通機関でのアクセスに難があり、稜線へのアプローチが長いため、人気(ひとけ) が少ない静かな山域を梅雨の晴れ間を縫って、30㎞のテント泊縦走へ。やっぱりヒトには原生の自然に触れる時間が必要なのだ! と気付かされた3日間のドキュメントだ。
文◉森山伸也 Text by Shinya Moriyama
写真◉大森千歳 Photo by Chitose Omori
取材期間◉2020年7月19日~21日
出典◉PEAKS 2020年9月号 No.130
太陽とともに起き、寝る、山の暮らし。このときを4カ月間待っていた。
withコロナ登山のデビュー戦が、編集部からのオファーで7月後半に決まった。自粛期間中も裏山を駆け回り、山菜とイワナと戯れていたので体調は万全だ。しかし、山の幸をアテに真昼間からビールを大量消費していたので約3㎏の体重オーバー。デビュー戦当日までに減量せねばならない。
ところでこのご時世ゆえ、対戦相手を決めるのが悩ましい。人が集まる密閉された小屋を避けたテント泊が望ましい。せっかくなら2泊はしたい。住まいのある新潟県境はできるだけ跨がず移動距離は短く。などと感染リスクと山行充実度を天秤にかけて浮上した相手は、飯豊連峰。デビュー戦の相手にとって不足はない。
飯豊連峰は、新潟県、福島県、山形県の山深い県境に連なる峰々の総称で、主峰の飯豊山(標高2105m)は日本百名山のひとつとして数えられる。その主稜線から派生する尾根や谷はどれも長く、険しく、生半可な気持ちで入山する登山者を撥ね飛ばす。さらに山奥ゆえにアクセスに難があったりして、必然的に避難小屋やテントに泊まる中・上級者向けオーバーナイト登山となる。
いつものテント泊装備に、マスクとアルコール除菌シートを加えて車を走らせた。ときは首都圏で感染者が増加する7月19日。できるだけ寄り道はせず登山口へ直行だ。同行するカメラマンも県境を跨がないほうがいいとの判断で妻の千歳が撮影を担当。ソロ登山特集なので、それぞれ個人装備を背負う。なるべく距離をとって、会話せず、食事も別々、ソロに浸る。コロナというよりも特集を意識したソーシャルディスタンス。よそから見れば、喧嘩をわざわざ山へと持ち出したバカ夫婦である。
飯豊温泉の登山口には10台ほどの車が止まっていた。 “新型コロナの影響で危険です。登山決行は慎重に!” などと物々しい注意書きがいたるところに貼ってあり、なんだかいけないことをしている悪人になった気分だ。
登山届を書いて丸森尾根にとりついた。谷から湧いてくる雲が肌にまとわりついて汗を誘う。ときおり頭上のガスが切れ、稜線が青空に浮かんだ。かつて、大汗をこれほど待ち焦がれた山行があっただろうか。汗が自粛期間中のモヤモヤを洗い流すようで、すこぶる気持ちがいい登りだった。
しばらくすると女性が3人、尾根を下ってきた。登山道の端へ寄り、どうぞとジェスチャーで道を譲ってくれた。「ありがとうございます」という言葉を飲み込んでいそいそと登る。すれ違う瞬間、彼女たちはネックチューブを口元へ上げ顔を覆った。息苦しいほど蒸し暑いというのに申し訳ない。あいさつもない無言の沈黙。荒い息遣いだけが森に響いていた。頭をもたげながら3人とすれ違って、ようやくそっぽを向いて「ありがとうございます」と口にする。昨晩はどこに泊まりました? 小屋番はいました? 水は出ていました? ビールは売っていますか? 聞きたいことが山ほどあるのに、話しかけていいものなのかわからない。きっと彼女たちも同じ気持ちだっただろう。下山口へ向いた彼女らは振り返ることなく「お気をつけて」と空に向かって言った。withコロナ登山のお手本のようなマナーだった。
なんという世界になってしまったのか。山こそ、普段会話することがない人たちと親交を深め、老弱男女問わずだれとも会話を楽しめる場ではなかったのか。静かな山中で人と人が出会い、たがいを気遣うことなくそっぽを向いて背を向ける。山よ、おまえもか。目の前の鮮やかな新緑が色褪せていくようだった。
それから3人の男性とすれ違ったが、みなあいさつだけで会話が弾むことはなかった。「新潟県内から来ました」とポップな書体でプリントされたバッジを作ってキャップに付けて歩きたいという低劣な考えが頭を支配するのだった。
標高約1000mの小さな谷に湧く夫婦清水で頭を冷やし、水を汲む。ブナなどの雑木に濾された清水は滑らかで甘く、うまい。山の水を体に入れると、ようやく飯豊連峰にいる実感がやってきた。
今年は暖冬で雪が少なかったとはいえ、さすが豪雪地の飯豊連峰だ。稜線に乗ると登山道はときおり雪の下に消え、目がサングラスを求めたが持ち合わせておらず。コロナボケの装備反省点は、サングラスと軽アイゼン。「ビールは4缶にしようか。いや5缶か? えーい6缶にしちゃえ」などと能書きをたれている場合ではなかった。
細い稜線でバランスをとるように建つ門内小屋が見えてきた。例年のこの時期なら常駐しているはずの管理人は留守のようだ。
飯豊連峰の主稜線には山小屋が8軒ある。それらは3県に跨っており、例年ならばほとんどの小屋に県から委託された管理人が駐在しているのだが、今シーズンは新型ウイルス感染防止策を指示する県によって運営形態がさまざまだった。たとえば、新潟県胎内市が管理する頼母木(たもぎ)小屋と門内小屋は、混雑する週末を避け平日の2~3日間アルコール消毒や清掃、設備維持のため管理人が登ることになっていた。新潟県阿賀町の御西小屋にいたっては、管理人は一度も登ることがないという。山形県小国町の梅花皮(かいらぎ)小屋も同様に管理人は不在。一方、福島県喜多方市の本山小屋、切合(きりあわせ)小屋、三国小屋は例年どおり7月から10月10日まで管理人が常駐する。宿泊者をコントロールできない避難小屋の性質上、管理人不在は致し方ないというか、当然の対応であろう。避難小屋にシーズンをとおして毎日管理人がいるこれまでのスタイルはむしろ異例だったともいえる。
飯豊山と北股岳を視界に入れながら息が切れないほどよいアップダウンをわっせわっせと歩く。梅花皮小屋に着くと玄関前でおっさんがタバコを燻らせていた。
「にいちゃんどっからきた?」
マスクをしない60代後半と思われる髭男がつっけんどんにしゃべりかけてくる。管理人はいないはずなので登山者だ。おっさんの周りだけはコロナ以前の空気である。これまでの登山者とは明らかに温度差があり、山のあるべき姿におれはうれしくなったが、嫌な人もいるだろう。管理人がいない避難小屋はいわば無法地帯である。さまざまな価値観を持った人が集まるので、これまで以上に柔軟な対応力と順応力が求められる。
テントを張って、行動食のミックスナッツを肴にビールを飲んでいると、10人ほどのお客を連れたガイドツアーがやってきた。小屋に入るやいなや、水場へ行くたびにわがテントの前をぞろぞろ通る。ガイドを含めてだれもマスクをしていない。会話から察するに地元の人ではないようだ。
ちなみに梅花皮小屋を管理する山形県小国町の指針は次のとおりである。
『避難小屋にあたっては、県の指針(マスク・消毒液携行、寝具貸与不可、就寝時距離2m以上確保、会話控えマスク着用、部屋換気、連泊滞在自粛、休日利用自粛)に則った利用をお願いします』
その晩(日曜日)、梅花皮小屋には20人ほどの登山者が泊まった。一人ひとりの距離を2m以上とれるわけがない。梅雨が明け、ハイシーズンがやってきた飯豊の山小屋を想像するとゾッとする。有人の営業小屋は予約制にして宿泊者数を制限できるが、避難小屋はできない。来た人を受け入れるのみ。100人来たら100人が泊まる。テントスペースだってそう広くない。もしかしたら、宿泊予約を前提とする北アルプスよりも感染リスクは高まるかもしれない。だから今年、管理人は常駐しない。賢明な判断だと思う。山でお客の命を守ることを主な生業とする登山ガイドは、中高年登山者を10人も引き連れて宿泊制限されていない小さい避難小屋に泊まることをどう思っているのだろう。
山形県の指針に従うなら、今シーズン、連休や週末の飯豊縦走は控えたほうがよさそうだ。平日限定で狙うなら、紅葉が終わりを迎え、降雪が近い10月10日すぎがいいだろう。去年の同時期、飯豊を歩いたがだれとも出会わなかった。ただ防寒や悪天のリスクは高まるので天気を見極めて決行すること。
一晩中風速10~15mの西風が吹き荒れた。バサバサとテントが泣く音で夜中に何度か目が覚める。いつもなら深いため息が出るような夜半だが、山風とともにすごせる夜がうれしくてニヤニヤしながら寝袋に包まれるのだった。
※この記事はPEAKS[2020年9月号 No.130]からの転載であり、記載の内容は誌面掲載時のままとなっております。
>>>飯豊連峰天幕縦走55時間 後編へつづく
>>>ルートガイドはこちらから
森山伸也
アウトドアライター。新潟の山村に居を構え、山とともに生きる暮らしを実践中。北欧のロングトレイルに足しげく通い、著書に『北緯66.6°ラップランド歩き旅』がある。
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文◉森山伸也 Text by Shinya Moriyama
写真◉大森千歳 Photo by Chitose Omori
取材期間:2020 年7月19日~ 21日
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装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。
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