サーファー、デーン・ピーターソンの人生とは?
FUNQ NALU 編集部
- 2021年10月26日
INDEX
ロングボードシーンを3回変えた男
1999年、トーマス・キャンベルによってリリースされたサーフムービー『The Seedling』で、その存在感を示し、ロングボードシーンに変革を与えたサーファーの一人であるデーン・ピーターソン。本職は写真家、シェイプは遊びだと言う彼が作るサーフボードが、今話題となっている。
◎出典: NALU(ナルー)no.116_2020年4月号
彼のサーフボードを心待ちにするファン達
「本職は写真家。シェイプは遊びさ。だから何本作らなければならないとか、いくら儲かるとか考えながらボードを作る必要はない。最高のものだけを作ることに没頭できる」
シェイプルームでボードをチェックしながら早口でまくしたてるデーン・ピーターソンのボードを心待ちにしているファンは多い。そのリストには一般のサーファーだけではなくアレックス・ノストを筆頭に名の知れたサーファー達が名を連ねている。興味深いのは彼らも一般のユーザーと同様にボードを購入していることである。
「商売じゃないから宣伝する必要もない。だからチームライダーも必要ない」というスタンスがより強固にファン達を引き付けている。サーフボードを半ば自由に手にすることができるスター達が、金を支払ってまで乗りたいボードを作るデーン・ピーターソンとは何者なのか。
▲フィルム撮影にこだわるフォトグラファー、デーン。独自の美学と哲学は、彼のシェイピングにも通じる。唯一無二のボードデザインは、今後も注目を集めていくだろう
1999年、トーマス・キャンベルによってリリースされた『The Seedling』はハイパフォーマンススタイルに違和感を持っていた世界中のロングボーダー達を虜にした。はにかんだ笑顔とスムースなトリム&グライドでボードを自在に操る若き日のデーンは、ロングボードシーンに変革を与えた影響力のあるサーファーの一人に数えられることとなった。それ以来カリフォルニアではロングボードといえばシングルフィンを指し、その影響でアレックス、ロビン・キーガルのようなニュージェネレーションが輩出され今に続いている。
そのころ既にデーンは生まれ育ったカリフォルニアからオーストラリアに移住していた。そして再びその地で彼は変革者となった。彼の地のサーフシーンをハイパフォーマンス・スタイルからシングルフィンロングボードへと一変させたのは彼の功績である。その後もデーンの影響力はとどまるところを知らず「ハイパフォーマンスピッグ」という新たなカテゴリーを創出し、今度はノーズライディング一辺倒となりつつあったロングボードを倦怠期から救い出し、3度変革者となった。それは現在世界中で行われるシングルフィンロングボードのイベントを見る限り明らかだ。ノーズでの爆発的な加速と波のポケットを飛び出したボードを急激にスイングさせるカットバックのコンビネーション。ロングボードの楽しさと可能性を倍増させ、アレックスはデーンのボードを駆って圧巻のパフォーマンスで優勝を重ねた。その後、6年間にも及ぶ背中の故障から復活を果たし、再びデーン・ピーターソンはメインストリームに舞い戻ってきた。
▲マリナ・デル・レイの自宅にてパートナーと愛犬とともに
サーフィンとサーフボードについて
サーフィンを始めたころのことを教えて下さい。
1982年、12歳の時に父親に連れられて初めてサーフィンに行ったんだ。すぐにハマったけど、そのころは海から少し離れた所に住んでいたから毎週末は自分でピーナッツバターサンドを作ってビーチに行っていたよ。その後マリブに通うようになり、ジミー・ガンボアやマット・ハワード、ジョシュ・ファブロー達と出会ったのさ。
シングルフィンロングボードに傾倒していったきっかけは?
最初はあらゆるタイプのボードに乗っていたけど、シングルフィンロングボードに乗るジミーのサーフィンにひかれてね。彼のサーフィンは楽しくてクールでスタイリッシュだった。そして初めてサンオノフレに行った時、メローな波にはゴーイングファストなシングルフィンロングボードがベストマッチすると確信したんだ。
オーストラリアのサーフシーンを変えたひとり
あなたはオーストラリアのサーフシーンを激変させた張本人と言われていますが。
いや、自分より前にトム・ウエグナーがすでに移住してたよ。当時オーストラリアのサーフシーンは90年スタイルのロッカーの強いボードによるハイパフォーマンスが全盛期だった。そこでスムースにシングルフィンログを操る僕とトムのスタイルはすぐに地元のサーファー達にリスペクトされるようになったんだ。彼らはロングボードの歴史もよく理解していたからね。そういう意味では、オーストラリアにシングルフィンロングボードを広めたっていうことではとても貢献したとは思うよ。なぜなら、今ではオーストラリアはカリフォルニアに次ぐシングルフィンロングボード大国だから。
オーストラリアではプロサーファーではなく写真家の道を選びました。そして、なぜ再びカリフォルニアに戻ってきたのですか。
元々はサーファーとフォトグラファーの活動を両立させていたんだけど、次第にファッション誌の依頼が増えて、同時にカリフォルニアでの撮影が多くなった。それにお金を得るためにサーフボードを作るよりも、趣味でシェイプするほうが自分に合っていると感じたんだ。
デーンが手がけるボードの魅力とは!?
あなたのボードはアレックス・ノスト、デボン・ハワードなどの一流のサーファーの間でも人気が高いですよね。
自分が手がけるボードはビギナーには少し難しいかも知れないけど、トップサーファー達が求めるベストスポット、ハイポケットにおいて最高のパフォーマンスをすることができる。彼らが求めるのはノーズだけではなくスピード、マニューバー、ターンをシングルフィンのロングボードで可能にすること。僕のボードは彼らのあらゆる要求に対応するように作られていると考えている。
現在の世界のロングボードシーンを席巻している「ハイパフォーマンスピッグ」というタイプのボードは、あなたによって考案されたと言われていますが。
オーストラリアに渡ってすぐのころ、古いサーフボードに出合った。それはボブ・マクタビッシュやミジェット・ファラリーが使用していたキャットスタイルといわれるボードだった。僕はオーストラリアにカリフォルニアのシングルフィンロングボード文化を持ち込んだと言われているけど、でも実際はオーストラリアには置き忘れたようなシングルフィンロングボードの歴史があったんだ。そこで僕はキース・ポーによって作られた1967年のヴィンテージボードを元に、少しだけモダンなロッカーを加えた。そのボードがカリフォルニアスタイルのノーズライディングとハイパフォーマンスを融合し、シングルフィンロングボードのスタイルを一変させたんだ。
現在、新しいボードデザインのアイデアはありますか?
たくさんあるけど今は言えないよ(笑)。なぜなら僕が作った「ハイパフォーマンスピッグ」は今や世界中のシェイパーによって作られてるんだから。アイデアは秘密(笑)。最新作は次世代ガールズの中心のローラ・ミニョーに作った「ピッグペン」というモデル。ストレートなアウトラインでレールに少しエッジを入れ、軽量のガールズにも簡単にコントロールできるボードに仕上げた。女の子がシングルフィンに乗っている姿はとてもセクシーでクールだよね。
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FUNQ NALU 編集部
テーマは「THE ART OF SURFING」。波との出会いは一期一会。そんな儚くも美しい波を心から愛するサーファーたちの、心揺さぶる会心のフォトが満載のサーフマガジン。
テーマは「THE ART OF SURFING」。波との出会いは一期一会。そんな儚くも美しい波を心から愛するサーファーたちの、心揺さぶる会心のフォトが満載のサーフマガジン。